2015年10月 9日 (金)

やるせない思い

先日、友人から巨峰とマスカットを頂きました。私も子供達も巨峰とマスカットが大好きで、この時期は度々購入しているのですが、戴いたそれは、艶やかで甘く瑞々しく、今まで味わったことのないような感動的な美味しさでした。

「あんなに美味しい巨峰とマスカット、初めて食べた」と伝えると、とても喜んでくれました。その友人の親友が、福島の果樹園から毎年送ってくれるのだそうで、我が家もそのお裾分けに預かったのですが「喜んで食べてくれる人ばかりではない」という話も聞きました。

「福島産」というだけで、捨てていく人がいるのだそうです。厳しい放射性物質検査をパスしたものしか市場には出ていないのに…せめて、私達にわからないように処分して欲しい…と言っていると聞き、胸が痛くなりました。

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2015年9月12日 (土)

ペダルの融合(12)~2009.5.3の記事~

何年も経った今になって、理解だけは出来るようになりましたが、先生が楽譜に書き込んで下さったメモ、レッスン風景を録画したビデオ、そういったものを改めて見直しながら、一つ一つ思い出し、再現し、自分のものとしていくのはこれからです。気の遠くなるような工程ではありますが、何年かかってもやりたいと思っています。今は細々としか出来ないのですが、それを理解して下さっているA.M先生に、帰省の度にレッスンして頂くのを目標としています。そしていつかまた、H.K先生にレッスンをお願いしたいと思っています。自分自身の為、そして偉大な先生方のレッスンや講座との出逢いの為に、これからも日々学びを積み重ねていきたいと思います。

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ペダルの融合(11)~2009.5.2の記事~

音高音大の7年間、そしてその前の受験準備期間の3年間のおよそ10年を振り返ってみると、S.D先生の御言葉ではありませんが、弱音ペダル禁止令が、暗黙の了解であったように思います。受験の課題曲3曲共、只の一度も弱音ペダルを踏むように言われたことはありませんでしたし、それは音高に入ってからも同じでした。指で表現するべき弱音をペダルで助けるのは怠けている・・・というような雰囲気がありました。ダンパーペダルについては様々な先生に細々と指導して頂きましたが、弱音ペダルはそうではありませんでした。その頃からキャリアを積んでいたら、N.S先生のレッスンの時、もっと沢山の素晴らしいペダリングを教えて頂けたのではないかと、それだけが悔やまれます。以前書かせて頂いた記事「エッセンス」と少し重複してしまうかもしれませんが、あの時の私には、先生の素晴らしいペダルのイメージ、独立した芸術とも思われる程の技術を受け取れるだけの下地がなかったのです。

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ペダルの融合(10)~2009.5.1の記事~

N.S先生とS.D先生のレッスンを経て、手よりもペダルのほうに神経が集中してしまう時期がありました。その頃聴きに行ったピアノ・リサイタルでも、ついペダルばかり見聴きしてしまっていたのですが、いつも驚く程ペダルが駆使されていました。それはトレモノのように細やかで繊細な動きであったり、ベースの雄大な響きを助けるような深い踏み込みであったり、自然な和音解決にひっそりと添えられたものであったり・・・ほんの一音、余韻の最後の波動に至るまで、文字通り隅々まで両方のペダルが生かされていたのです。キラキラと舞い散るようなパッセージも、唯の一音も混じり合うことなく美しく響いたかと思うと、ベースと、或いは隣り合う音と微かに混じり合い、違う色合いを見せることもありました。それら全てがペダルでコントロールされていたのでした。そして両足共、それだけ駆使されていながら、コトリとも音がしませんでした。完全に足先とペダルとが一体となっていたのです。どうしてこれ程重要な、第3第4の腕とも言われるペダルを、手指と同等に感じることが、今まで出来なかったのでしょうか。

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2015年9月11日 (金)

ペダルの融合(9)~2009.4.25の記事~

右手、左手、デクレッシェンドを助け寄り添う為の左足の、徐々に踏み込む弱音ペダル、そして響きの清潔感の為に徐々に浅く調節していく右足のダンパーペダル・・・4本の腕が、それぞれ全く違う動きをしていながら、全てが緻密で完璧なバランス・・・それが理想です。

弱音ペダルはまた、ダンパーペダルと同様に、細やかな踏み替えも大切です。フレーズの締め括りに添えるようなウナ・コルダ・・・フレーズの最後の2~3音のみフレーズを閉じる感覚でフワッと踏む場合があります。輝きや煌めきの対比としての色合いを出したい時に、上澄みだけを掬うように踏む場合もあります。積み重ねられた歴史、過ぎてゆく時間の感覚を表す為に使う場合もあります。やはりN.S先生が仰っていたように、手の感覚と同様に足を第3第4の腕と感じ、繊細にペダルをつけることが大切なのだと思います。

(ペダルの融合10に続きます)

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ペダルの融合(8)~2009.4.25の記事~

グラデーション・・・という表現だったかどうかは曖昧なのですが、低音をタイで継続しながら演奏するような場合、その低音時に踏み込んだペダルを生かしつつ、高音域も清潔な響きを保つ為にグラデーションのように繊細にペダルを上げていきます。一般的なペダルの深さは2~3cmといったところでしょうか。全体の響きに耳を傾けながら、薄皮を剥ぐように、ジワジワとペダルを上げていきます。響きのバランスによって、その2~3cmの間をmm単位で調節するような感覚です。響きとペダルとの、完全な一体感を目指します。

グラデーションのようなペダリングは、デクレッシェンドで弱音ペダルを踏み込む時等も同様です。デクレッシェンドに寄り添うように、少しずつペダルを深く踏んでいきます。

ダンパーペダルと弱音ペダルが、同時に逆のグラデーションとなる場合もあります。どちらもとても繊細なペダルです。

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当ブログについて&コメントBOX

当ブログを御訪問くださる皆様、いつもありがとうございます。 前auブログと同様、記事毎のコメント欄は閉じております。auブログは2011年3月に完全閉鎖となりました。こちらは2010年11月21日に開設させて頂きましたが、auでの過去記事を少しずつ移しながら、新しい記事も投稿している為(タイトルの後に日付が入っているものが過去記事です)わかりにくくて申し訳ありません。 過去記事はカテゴリー一覧からお入り下さい。記事は、内容毎に細かくカテゴリー分けしております。auブログでは、ピアノ曲についての記事と長女のレッスンについての記事を、同じピアノのカテゴリーに入れていましたが、こちらではレッスン記録は、長女次女共新たに「レッスン」というカテゴリーに整理し、長女の幼稚園からの記録も全て移行したいと考えています。私の書き散らしたもの等は「物語」というカテゴリーに入っており、まだ移していない長女の創作童話もこちらに入れる予定です。 尚、頂いたコメントのお返事は、クロスコメントではなく、こちらにさせて頂きたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願い致します(この記事は定期的に更新致します)

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2015年9月 5日 (土)

美しい人

美しい人
いつも花と人に囲まれていた、素敵な方の笑顔が思い出となって一年が経ちました。美しい花がお好きだったあの方は、今もきっと花を愛でていらっしゃることでしょう。

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2013年11月 8日 (金)

ペダルの融合(7)~2009.4.20の記事~

思い出されるのは、偉大な先生方のペダルに対する芸術的な表現でした。

トレモロペダル、ヴィヴラートペダル…

細かいパッセージ等の時、その一つ一つを生かしつつ、一つのフレーズとして全てが繋がるように、そして完全に濁りが排除されるように、トレモロのように、或いはヴィヴラートのようにペダルをつけます。右足の先は非常に小刻みな動きとなり、それは手の指のトレモロのようです。踏み込みは、ペダルの深さの1/3~1/4程の薄い間を震わせるような感覚でしょうか。あくまでも目安ですが…ピアノによってペダルの深さも微妙に違いますので、その都度そのピアノに合わせた踏み込みの感覚を掴まなくてはなりません。

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ペダルの融合(6)~2009.4.19の記事~

そのレッスン時、生徒さんが言われたのは、ダンパーペダルのことだけではありません。弱音ペダルについてもS.D先生は仰り、そして怒り出されました。

「どちらのペダルもON/OFFではありません」

「日本では、弱音ペダル禁止令でも出ているのですか!」

「貴女はピアノを始めたばかりで、まだペダルに脚が届かなかった頃の小さな女の子のまま、大人になったようだ」

ピアノの前で小さくなっている生徒さんを気の毒に思いながら、私はN.S先生のレッスンを思い出していました。先生は「ペダルは第3第4の腕とも言うべき重要なもの、ピアノの音と常に共にあるものです」と仰っていたのです。S.D先生も同じことを、その生徒さんに伝えたかったのではないでしょうか。

N.S先生にレッスンをして頂いたことで、私のペダルに対する意識は確かに変わりました。しかし、第3第4の腕と言い切れる程の意識は持てていないということを改めて自覚し、愕然となりました。

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2013年11月 7日 (木)

音楽の背景に(3)

J.D先生は、ラテン語で歌いながら弾いて下さいました。その演奏は、もしその部分の言葉(歌詞)を、宗教的背景を、意識しなかったらどう音楽が変わるのか・・・等と考える余地すらない、圧倒的な迫力と説得力に満ちていました。テーマの4音を聴いただけで、大地のとてつもない怒りが、バリバリと世界を飲み込んでいくような恐ろしさを感じました。減7度下のGis音は、肌を切り裂くような鋭さと、下腹部に響くような重厚さを併せ持ち、受難の痛み、苦しみそのもののように、私の胸を打ちました。

もし私がたった一度でもあのように演奏することが出来たら、どんなに良かったでしょう。その生徒さんもきっと、講座の素晴らしい内容と共に、心から納得して下さったに違いありません。

残念ながらそう出来ない私は、正直にお話しする他ありませんでした。模範演奏をお聴かせすることが出来ないことを詫びるとその方は「いえ、お話し頂いただけで、世界が広がりました」と仰って下さいました。

音楽の奥深い背景やイメージを説明されたあと「このように」とその言葉通りに演奏することが出来るというのは、何と素晴らしいことだろう・・・と、改めて思いました。

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2013年6月19日 (水)

音楽の背景に(2)

内容が専門的過ぎただろうか・・・と心配になった私にその方は「その歌詞や場面を意識して弾いた時と、意識しないで弾いた時と、どのくらいの違いがあるのか聴き比べてみたいのですが・・・先生、失礼なお願いかもしれませんが、両方弾いて頂けないでしょうか」と言われました。

その時、私が例としてお話ししていたのは、講座の膨大な内容から二つ、一つは以前「痛みの音」という記事で書かせて頂いた、バッハの平均律のテーマが、ヘンデルやモーツァルトによって転用され、そのテーマ最後の減7度音程の部分に「傷」「鞭打ち」という歌詞がついている為、その響きをイエスの受難の痛みとして意識することによって、フレーズの表情となるということ、もう一つは、ベートーヴェンのソナタOp.110の3楽章の中の、受難曲のアリアのようなフレーズ、J.D先生が「エリ、エリ、レマサバクタニ」(我が神よ、何故私をお見捨てになったのですか)という歌詞がふさわしいと仰り、十字架上のイエスの最後の言葉のように意識することによって、その前後のイメージも膨らみ、受難の一場面のように感じられるというものでした。

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音楽の背景に(1)

以前「二度目の味わい」という記事でも書かせて頂いた、とても熱心な大人の生徒さんのレッスンの時には、考えさせられることが多々ありました。今でも忘れることの出来ない或るレッスンについて、また書かせて頂きたいと思います。

その時私は、J,D先生の公開講座を受講したばかりでしたので、その素晴らしい内容をその方にもお伝えしたく、レッスン後にお話ししていました。バッハの時代は、他の作曲家のフレーズを自分の曲の中に調を変えたりアレンジしたりして転用することが普通に行われ、宗教的な歌詞がつけられることもありました。また歌詞はついていない場合でも、作曲者が宗教的な或る一場面をそのまま切り取って音楽にしたとしか思えないようなところもあり、解釈の一つ、イメージの一つとして、その歌詞の内容や宗教的場面を意識することで、そのフレーズの表情となり、演奏がより深まるとJ,D先生が仰っていたとお伝えした時です。その生徒さんはメモを取りながら、私の話しを熱心に聞いて下さっていたのですが、ふとその手を止めて首を傾げ、納得出来ないといった様子で考え込んでいます。

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2013年4月29日 (月)

春の風景

春の風景
春の風景
春の風景
春の風景
主人の実家近くのレストランで、美味しいランチを戴いた後、菜の花畑へ行きました。

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2013年4月24日 (水)

幼い日

「幼い日」H・ヘッセ


おまえは私の遥かな谷間
魔法にかけられて沈んでしまった谷間
幾度となくおまえは
私が苦しみ悩んでいる時
おまえの影の国から私に呼びかけてくれ
おまえのおとぎ話の目を開いた
すると、私はしばし幻想にうっとりとして
おまえのもとに戻って
すっかり我を忘れるのだった

おお、暗い門よ
おお、暗い死の時よ
私の側に来るがよい
私が蘇って
この生の空虚の中から
私の夢の懐に帰るように

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南太平洋~2009.3.22の記事~

幼少期の数少ない記憶の中に、2枚のLPの思い出があります。幼稚園から帰ると毎日のように、サウンドオブミュージックか南太平洋のアルバムを聴いていました。ロッキングチェアに腰掛け、揺られながら聴くのが大好きで、そのまま眠ってしまうこともありました。LPもロッキングチェアも、母が父と結婚する時に実家から持ってきたもので、その頃の私のお気に入りでした。段々と字が読めるようになってからは、LPの写真を眺めながらあらすじを読むようになり、完全には理解出来ないながらも、美しい音楽はその物語と共に、私の心に刷り込まれていきました。

中でも心惹かれた曲は「魅惑の宵」と「春よりも若く」の2曲でした。柔らかく美しい旋律、甘くとろけるような声、うっとりするようなポルタメント・・・子供心に「何て素敵なんだろう」と聴き惚れていました。

毎日欠かさず聴いていたそのLPもいつしか聴かなくなり、忘れ去っていた思春期の頃、初めて映画を観ました。美しい音楽は昔の記憶のままでしたが、2組のカップルのどちらにも、戦争と人種差別の意識が影を落としているということを知りました。

主役のエミールとネリーよりも、中尉とリアットのカップルのほうが、私は好感が持てました。若さと純粋さがとても美しく感じられたのです。

主役以上に魅力を感じる場合というのは他にもありました。私の愛読書の一つ、トルストイの「アンナ・カレーニナ」でも、アンナとヴロンスキーより、キチィとリョービンのほうが好ましく思えるのです。同性として、アンナのことはあまり好きになれません。ネリーもまた同様です。リアットのことは見守りたい気持ちになるのですが・・・

「アンナ・カレーニナ」と「南太平洋」の両方を御覧になって、私と同じ感想を持たれた方がいらっしゃるでしょうか。

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仕事としての演奏(5)~2009.3.20の記事~

音高音大と、クラシック音楽の中で過ごしているうちに、いつの間にか、クラシック音楽至上主義のようになっていたのだと思います。自分でも無意識のうちに「クラシック音楽が一番素晴らしい」と思い、自惚れていたことを、この経験が自覚させてくれました。様々なジャンルの中の一つとしての音楽、その中で更に枝分かれした一つのクラシックを、普通の人より余分に勉強しただけなのです。そのことに気づかせてくれたこと、即興やアレンジ(編曲)の奥深さや面白さを知ることが出来たこと・・・現役の音大生の時に気づかせてもらえたことは、私にとって何よりの収穫でした。

ピアノ講師となってからも、また別の生演奏の仕事をしていました。そのことについては、また改めて書かせて頂きたいと思います。

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仕事としての演奏(4)~2009.3.20の記事~

どちらのバイトも私にとって、とても貴重な経験となりました。コード演奏やアレンジの勉強になったのは勿論ですが、それ以上に、世間の人達に”音大生”というものがどのように見られているかということを知ることが出来たのが大きかったと思います。

クラシックの有名な曲ばかりいくつも頭出し出来る、ドラマやCM等の曲を聴いてすぐ適度なアレンジで弾くことが出来る、楽譜さえあれば何でも弾くことが出来る・・・世間の人達からはそのように見られているのだということを、強く感じました。私一人と接しただけで、その方々が「音大生といってもたいしたことないなぁ」等と思ってしまったら大変です。そのイメージを壊さないように、必死に頑張ったところもありました。

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仕事としての演奏(3)~2009.3.16の記事~

生徒さん達にとっては、カラオケのような移調奏は出来て当たり前で、私にとっては大変なことだということや、或る程度練習してきていることも、全く御存知ないのです。カラオケ機材と同じ扱い、同じ存在感でした。レッスン時、何でもないかのように生徒さんに合わせて伴奏をしていましたが、内心は冷や汗をかいている時も多々ありました。

もう一つのバイトの予備校は、普段は事務をしており、一般教養として必要な時に演奏をしていました。例えば、アトランタの知識の一部として、映画音楽「風と共に去りぬ」を演奏します。生徒さん達にとって、必要な膨大な知識の中のほんの一部として、音楽がありました。

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仕事としての演奏(2)~2009.3.14の記事~

自分なりにアレンジした伴奏でレッスンに臨むのですが、まだいくつもの難関が待っています。

レッスンでは最初はカラオケは使わず、ピアノだけで生徒さんが歌います。先生が気になるところを注意されたり、部分練習等で何度も同じところを繰り返したりするのに生伴奏はとても向いていて、生徒さん達に好評でした。ピアノの伴奏の時は、生徒さん達は本当に伸び伸びと、自由奔放に歌われます。カラオケの生伴奏者という立場上、100%生徒さんに合わせなくてはなりません。ジャンルこそ違うものの、自分を殺して相手に合わせるということを、本当の意味でこの時学んだような気がします。

もう一つ大変だったのは、キーが合わない場合です。カラオケでしたら、+-ボタンを押すだけで簡単にキーを合わせることが出来ますが、鍵盤ではそうはいきませんので、レッスンまでに、元のキーの他、上下に短2度、長2度、短3度、長3度程度はザッと弾けるよう、移調奏の練習もしておきます。メロディーとコードだけを見ながらの移調奏が、慣れるまで本当に難しく、このバイトで一番苦労したところでした。

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仕事としての演奏(1)~2009.3.14~

音大生の頃、2つの音楽関係のバイトをしていました。一つはカラオケ教室のピアノ生伴奏。もう一つは或る専門予備校での、一般常識(音楽)のクラスのピアノ演奏です。

カラオケ教室は、始めた頃は本当に大変でした。それまでの私は、クラシック以外の音楽では、遊びでジャズや映画音楽を弾く程度でした。ところがカラオケ教室となると、生徒さんの大半が50~60代のおじさまおばさま方で、歌いたいと希望される曲も演歌が9割以上を占めているのです。週一回30分のマンツーマンレッスンで、平均3~4週かけて、じっくりと一曲を歌い込みます。生徒さん御一人御一人は月に一曲ですが、週に何人も伴奏を担当していると、演歌ばかり何曲も練習しなくてはなりません。用意された楽譜はメロディーと歌詞、コードネームが書かれただけのもの。メロディーを弾いてコードを押さえただけでは雰囲気が出ないので、カラオケを聴いては、それらしいアレンジを考えていました。生ピアノで演歌の雰囲気を出すのは、とても難しかったです・・・

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2013年4月13日 (土)

ペダルの融合(5)~2009.3.6の記事~

1小節目は右手左手共に属7の和音の音のみ、3小節目はⅠのみ、5小節目はⅡのみ・・・というように構成されていますので、響きが濁ることはありませんが、共鳴も意識して、大味なペダリングとならないように気をつけなくてはいけないと思います。音楽と共に、ペダルにも絶えず動きがあります。一拍目のベース部分は或る程度踏み込みますが、続く和音部分は、ベース音を残しながらも、薄付きのようなペダルにすることで、右手左手共に生かされるのではないでしょうか。

以前、S.D先生の公開レッスンを聴講させて頂いた時、平均律のフーガを全くのノーペダルで弾いた方がいらっしゃいました。先生は驚かれ「何故バッハを弾くのにペダルを恐れるのですか」と仰いました。そしてペダルをつけてもう一度弾くようにと促されました。フーガはペダリングの中でも究極のものです。何声ものメロディーが入り混じり、それら全てを生かすペダルをつけるのは至難の業です。

(ペダルの融合6に続きます)

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ペダルの融合(4)~2009.3.6の記事~

フレーズ毎のペダルは、歌う呼吸のような、息吹きを思わせるような、瑞々しく自然なものではないでしょうか。メロディーに寄り添い、常に共にあるようなイメージです。この時、気をつけなくてはいけないのは、デクレッシェンドの場合です。クレッシェンドの時は、ハーモニー外の音があっても、ペダルを或る程度踏み続けることは可能ですが、デクレッシェンドの場合は、全体の響きに特に敏感でなくてはならないのです。ペダルを踏み込んだ状態から、メロディーのデクレッシェンドと共にペダルもグラデーションのように上げていき、ハーモニー外の音に違和感を感じさせないギリギリのところまで浅くすることで、メロディーと伴奏のハーモニーの両方が生かされる、美しいペダリングとなります。

このテーマ部分においての伴奏は、ベースと和音だけの、とてもシンプルなものです。その為ペダルのミスは致命的となってしまいます。

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彼女の空腹を満たすもの~2009.2.28の記事~

T.カポーティー「ティファニーで朝食を」

”旅行中”と記された名刺を持ち、荷物はスーツケースと、開かれていないいくつかの梱包箱だけ。霞のように可憐で天真爛漫で、生活というものを感じさせない人・・・初めて原作を読んだ時、きっと私も「僕」だったなら、気まぐれなシャム猫のような彼女に魅了され、彼女と逢えなくなっても、心の中にいつまでもその存在を留めているだろうと感じました。

初めて原作を読んだのは10代の頃でしたが、そのイメージを何年も抱いていた為でしょうか。初めて映画で、オードリー・ヘップバーン演じるホリーを見た時は、原作のイメージと少し違うような気がしました。

いつ何処へ行ってしまうかわからない・・・いつ目の前から消えてしまうかわからない・・・そんな危うい存在感がホリーの魅力の一つではないかと思われるのですが、原作と違うラストといい、その危うさ脆さがあまり感じられませんでした。あくまでも私個人の感想ですが・・・

「僕」の部屋を初めてホリーが訪れ、お腹が空いたと言うシーンがあります。その彼女に対し「僕」が勧めたのは、林檎を盛った鉢だったのですが、初めて読んだ時、10代で食べ盛りだった私は「有り得ない」と思ってしまいました。お腹が空いている時は、炭水化物系が食べたくなるものではないでしょうか。空腹時に林檎・・・今考えても有り得ません。でも、それがまたホリーらしく、似合っているのかもしれません。

最近久し振りにこの本を読み返しましたが、食べ盛りの頃のようにこのシーンに惑わされることなく、物語の魅力を堪能出来ました。同じ本であっても、10代20代30代では感じる部分もかなり違うのでしょう。それにしても、初めて読んだ時に一番印象に残ったのが林檎のシーンというのも、いかにも食いしん坊といった感じで恥ずかしいものです。

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何気ない言葉~2009.2.26の記事~

(これは長女がまだ5歳の頃の記事です)

毎朝主人が出掛ける時は、長女と次女と私の3人で玄関まで行き「行ってらっしゃ~い」と送り出しています。いつも変わらぬ朝の挨拶ですが、或る時長女が出掛ける主人に「また明日ね~!」と元気良く言いました。

確かに、夜主人が帰ってくる頃には子供達はもう寝ていて、次に逢うのは翌日の朝なのですが・・・もっと小さい頃は「また来てね~」と言ったこともあり、思わず主人と顔を見合わせてしまいました。仕事の都合で土日に出勤することもありますので、主人と子供達がゆっくり一緒にいられるのは週に1~2度です。私達大人にとっては一週間はあっという間です。しかし、小さい子供達にとっての一週間は、ずっとずっと長いものなのだと思います。

週に一度では、久し振りの感覚になってしまうのも仕方のないことなのでしょうか。毎日朝食だけは家族4人で・・・と心掛けてきましたが、それだけではまだ足りないようです。長女の何気ない言葉に考えさせられました。

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2013年4月12日 (金)

絵本と映画~2009.2.23の記事~

本屋さんやコンビニで、映画のDVDがワンコインで売られているのを見かけ、自分用に古き良き時代の白黒の名画を数本と、子供達にディズニーのシンデレラを買いました。

子供の頃、実家に映画と同じディズニーのシンデレラの絵本があり、絵に馴染みはあったのですが、映画をちゃんと観たことはありませんでした。休日の或る午後、子供達と一緒に初めてシンデレラを観て、その内容に驚きました。子供達が途中で「怖いよ~!」と言い出してしまい、最後まで観ることは出来なかったのです。

私自身も、子供の頃の絵本のイメージしかなく、懐かしい思いだけで見始めたのですが、継母と義姉達のあまりの陰湿なイジメに驚いてしまいました。絵本にはイジメの細かい描写はありませんし、怒鳴り声や、丁寧なのに意地悪で冷淡な口調等のニュアンスも曖昧になりますので、これ程までとは思わなかったのです。

日を改め、私一人で全部観てみました。シンデレラが身に着けていた実母の形見のドレスを、義姉達がよってたかって破いてしまうところや、ガラスの靴の持ち主を探しに来た王子様の使いの者に逢わせまいと継母がシンデレラを屋根裏部屋に閉じ込めてしまうところ等、大人の私が観ても悲しくなってしまいました。唯一の救いだったのは、シンデレラが意外にも自己主張の強い女性だったところでしょうか(映画の中ではそれも仇となり、余計虐められてしまうのですが・・・)

実家の両親が子供達にと「ダンボ」のDVDを買ってくれました。これもあまりにも可哀想で、胸が痛くなるような場面が続きます。子供達も絵本は喜んで見るのですが、映画はやはり途中で嫌がり、止めてしまいました。どちらもあまり子供向けではない映画のような気がします。

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聞き間違い~2009.2.21の記事~

(これは長女がまだ5歳の時の記事です)

長女が母から、昔の実家の様子を聞いていました。都心のマンションに引っ越す前の実家は、祖父の丹精込めた庭を居間から眺めることの出来る一戸建てで、7人家族でした。部屋数も居間を含めて9部屋あり、そのことを母が「お部屋は全部で九つあったの」と言うと、長女は「みんなの心が一つになったの?!」と驚いていました。

”九つ”を”心”と聞き間違えたようです。その時はまた母と笑ってしまいましたが、もし母が本当に長女に「昔は7人家族で、皆の心は一つだったの」と話していたのだとしたら、それはそれで素敵なことかもしれないと思いました。

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ペダルの融合(3)~2009.2.20の記事~

完全なる音程、完全なる調和・・・2つの音が同時に鳴り響いた時、ペダルによる弦の解放と共に、完全な美となるようなイメージが私の中にありますが、それでいて音そのものはおおらかで、幸福と喜びに満ち溢れた響きでなくてはならないのです。充実した一音一音の積み重ねからフレーズが生まれます。ここではまだ左手のことは考えずに、右手のフレーズのことだけを考えてペダルをつけます。N.S先生は「左右、片手ずつペダルをつけなさい」「両手にした時、それをどう融合するかはまた考えなさい」「片手ずつのペダルと両手のペダルは、全く違うものとなるが、そのプロセルが必要なのです」「ペダルとは第3第4の腕です」と仰っていました。

(ペダルの融合4に続きます)

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ペダルの融合(2)~2009.2.18の記事~

そして、一音ずつのペダルですから、踏み込みも極浅いものとなります。オクターヴの一つ一つが、色づくように香り立つように、細心の注意を払い、聴き入りながら踏み替えていますと、オクターヴの響きが本当に美しく、伸びやかに感じられてきます。このテーマが全てオクターヴで歌われているということの意味を改めて感じました。その完全8度という音程故、一つ一つの踏み替えではほんの僅かの濁りも許されません。しかし、その厳格な踏み替えによって、このオクターヴを心から美しいと感じることが出来るのです。

Y.L先生が「オクターヴを弾く時はいつも2声・デュエットだと思って」と仰っていたことが思い出されました。「このオクターヴは幸福に満ち、喜びと共にあるのです」とも仰っていました。それ以来、幸福の音色を探し求めていた私は、N.S先生にオクターヴの響きをペダルで感じることを教えて頂き、心からオクターヴを美しいと感じ、その響きを愛することが、L先生の仰る幸福と喜びに続く道なのではないかと思うようになりました。

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ペダルの融合(1)~2009.2.14の記事~

当時、旧ソ連からイギリスに亡命されたN.S先生が来日され、私もレッスンして頂けることになりました。N.S先生にレッスンして頂いたのは、その時一回限りで、その後も御逢いする機会もありませんが、今までにないようなレッスンをして頂き、私の、ピアノに対してのまだ未開拓の部分を、明確に示して頂きました。

シューマンのアベッグ変奏曲を通して弾いた後、まずN.S先生に言われたことは、ペダリングについてでした。もちろん私自身、濁らないように細やかにペダルを踏み替えていたつもりだったのですが、私にとってのペダルとは、その程度の認識しかなかったのです。

一時間半のレッスンの中で・・・ですから、細々と教えて頂くと、やはりほんの一部分しか出来ません。しかし、それを曲全体に応用することは出来ます。

まず最初は片手ずつのペダリングです。アベッグ変奏曲のテーマは、全て右手のオクターヴです。その一音毎にペダルを踏み替えるのです。厳格に、ほんの僅かの余韻も混ざらないように・・・ここでのペダルは、一音ずつが色づき、香り立つようなイメージです。

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2013年4月11日 (木)

焼き立ての香り~2009.2.7の記事~

ドライフルーツを何種類か刻んでブランデーやラム酒に漬け込んだものを、バター生地にタップリと入れて焼くと、贅沢なフルーツケーキになります。彩りにドレンチェリーやクリスタルアンゼリカも入れると、色鮮やかな宝石箱のように切り口が美しくなります。

クグロフ型にマーブル状の生地を入れ、焼きあがったところにブランデーを振りかけると、香ばしい素晴らしい香りが立ち上ります。シュガーパウダーでシンプルに飾り、生クリームを添え、珈琲と共に戴くのは至福のひと時です。

パイ生地を敷き詰めたタルト型に、アーモンドプードルをふんだんに使った生地を流し込み、薄くスライスした洋梨を放射状に美しく並べます。焼き上がる頃には洋梨が生地に程良く馴染み、しっとりとした風合いになります。小さめに切り分け、濃厚な味わいを一口ずつ丁寧に戴きます。

フィナンシェはいつもマドレーヌの型で焼いていました。シェル型のほうが可愛らしくて素敵だと思う、私の好みです。焼き上がるとそれは色濃いマドレーヌのように見えます。アーモンドと焦がしバターの香りが甘く鼻先をくすぐります。

小さい子供が二人いる今、このようなお菓子は全く作らなくなりました。その代わり、市販のミックス粉を使って、子供達と一緒に気軽にお菓子作りをするようになりました。粉類を量る手間もなく、卵と牛乳とバターがあれば、だいたいのものは作れます。

最初に我が家でブームだったのはパンミックス粉でした。プレーンの他、ソーセージやチーズ、さつま芋、チョコチップ等を入れて焼き、昼食におやつにと大活躍しています。

長女のお友達が遊びに来た時は、度々一緒にクッキーを作りました。それぞれが好きに成型し、焼き立てをおやつに戴きます。いろいろな形があるのも、また楽しいものです。

先日は、ミックス粉に豆乳と卵を混ぜてクレープを焼きました。スライスした苺と練乳をのせてクルクルと巻いただけだったのですが、子供達には「お店のみたい!」と好評でした。

子供達と一緒に作るお菓子には、濃厚な味わいも洋酒の風味もありませんが、素朴で暖かい香ばしさがあります。まだ当分の間は、シンプルなお菓子作りが続きそうです。

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「夜のガスパール」より”スカルボ”

~アロイジウス・ベルトランによる3つの詩~

3.SCARBO スカルボ

おお!

幾たび私は聞き、そして見たことだろう

スカルボを

月が真夜中の空に

金の蜜蜂を散りばめた紺碧の旗の上の

銀の楯のように光るその時に

幾たび私は聞いただろう

私の寝台のある隅の暗がりの中で騒々しく笑うのを

そして私の寝床のとばりの絹の上でその爪をきしませるのを

幾たび私は見ただろう

天井から飛び降りて

魔女の紡錘竿から転がり落ちた紡錘のように

部屋中を爪先立ってくるくる回り、転げ回るのを!

あれ、消えた?と思ったら

小鬼は、月と私の間で大きくなりだした

ゴディックの大寺院の鐘楼みたいに!

とんがり帽子には金の鈴が揺れて

でもすぐに彼の身体は蒼ざめ

蝋燭の蝋のように透き通った

彼の顔は燃え残りの蝋燭のように暗くなった

ーーーそして突然、彼は消えた

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「夜のガスパール」より”絞首台”

~アロイジウス・ベルトランによる3つの詩~

2.LE GIBET 絞首台

ああ!私に聞こえるもの

あれはひゅうひゅう鳴る夜の北風か

それとも絞首台の枝木の上で吐息をもらす死人か

あれは、森が憐れんで足元に養っている苔と

実らぬ蔦の中に、うずくまって歌うこおろぎか

獲物をあさる蠅が

もう聞こえぬその耳の周りで

合図のファンファーレの角笛を吹いているのか

不規則に飛び回って

彼の禿げた頭蓋骨から

血のしたたる髪の毛をむしっているこがね虫か

それとも、絞められたその首にネクタイをしようと

半端のモスリンに刺繍をしている蜘蛛か

あれは、地平線の陰の町の城壁で鳴る鐘の音

そして、沈む夕日が真っ赤に染める絞首刑囚のむくろ

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「夜のガスパール」より”水の精”

~アロイジウス・ベルトランによるピアノの為の3つの詩~

1.ONDINE 水の精

「ねぇ!聞いて!私よ、オンディーヌよ。陰鬱な月の光に照らされた貴方の菱形の窓を、水の雫でそっと触って鳴らしているのは。

そうして今、お城の奥方は、波模様の衣装を纏い、露台に出て、星を散りばめた美しい夜と、静かに眠る湖をじっと見つめていらっしゃる。

波の一つ一つが、流れの中を泳ぐオンディーヌなの。流の一つ一つが、私のお城へとうねってゆく小径なの。そうして私のお城は水で出来ている。湖の底に、火と土と空気の三角の中に。

ねぇ、聞いて!私のお父様は、緑のはんの木の枝でじゃぶじゃぶと水を叩くの。姉様達は水の腕(かいな)で、瑞々しい牧草や、睡蓮や、あやめの茂る島々を愛撫したり、ひげを垂らして魚釣りをしているしおれた柳をからかったりするわ」

つぶやくような彼女の歌は、私にねだった。オンディーヌの夫となる為にその指輪を私の指に受けよと。そして、彼女と共にその城に来て、湖の王となるようにと。

そして私が人間の女を愛していると答えたら、彼女は拗ね、悔しがり、しばらく泣いてから、ふと笑い声を立て、にわか雨となって、私の青い窓ガラスをつたって白く流れて消えてしまった。

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水の精~2009.1.30の記事~

この世のものとは思えない、妖しい美しさに満ちた不思議なこの曲を初めて聴いたのは、まだ子供の頃でした。それ以来、もう何十年もこの曲に憧れ続け、いつか全身全霊を傾けて弾き込みたいと思いながら今に至ります。

曲の隅々まで、一音一音の余韻まで逃さず、全てをベルトランの詩のイメージのまま表現したいと夢見ています。最初の一和音から、立ち上るような神秘の響きで、夜の湖の美しい水の城が浮かび上がるような音が求められると思うのです。夜の闇の中、水の揺らめきと輝きは、どれ程の妖しさをもって私達を魅了することでしょう。現実とは思えないような美しさに満ちたその光景は、想像しただけで、私を神秘の世界へと誘ってくれます。

私の命が尽きる前にたった一度でいい、全ての音を神秘で溢れさせ、そのイメージ通りに弾きたい・・・或る程度綺麗に弾くことは出来ても、一音一音に全てを込めるような思いを大切にしながらでは、一生かかっても叶わないことかもしれません。それでも私はずっと”水の精”の存在を追い求め、一音一音を積み上げていくことを続けていきたいと思います。

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その店限定の常識(2)~2009.1.15の記事~

振り返って見ると、お店の、私達のテーブル担当の人が、少し離れた空いているテーブルに両手をついて、屈んでいました。目線をテーブル表面に合わせてしばらく見ていたかと思うと「プフーッ、プフーッ」と少し前に耳にしたのと同じ音をさせて、何とテーブルの上に息を吹きかけ始めました。彼が吹く度に、パン屑が飛んでいるのが見えました。どうやらパン屑を掃除しているらしい・・・ということがわかりました。

何故そんなやり方を?!と見ていて気がついたのは、お店の人誰一人として、そのことを気にも留めていないということでした。彼はいつもそうやって、担当のテーブルを片付けていて、それが注意したり止めさせたりする行為とはみなされていないということなのでしょう。目を逸らすことが出来ずにずっと見ていると、彼は最後の仕上げとでもいうようにテーブルの上を掌でサッと一払いし、フォークやナイフ、ナプキンをセットし始めました。ということは・・・私達のテーブルも同じように片付けられていたということになります。もう行くことはないと思いますが、ナポリの絶景より、ポンペイの遺跡より、強烈な印象として残ってしまっている思い出です。

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2013年4月10日 (水)

その店限定の常識(1)~2009.1.14の記事~

3度目のイタリア旅行で、初めてのポンペイの遺跡を訪れました。個人で行くよりは・・・と思い、ナポリとポンペイを丸一日かけて観光する、昼食付きのオプショナルツアーを申し込みました。

「ナポリを見てから死ね」とまで言われる景色は確かに美しかったですが、それよりも、街全体にやや荒んだ雰囲気が漂っているのが気になりました。美しい部分とそうでない部分の差が激しかったのも、印象に残っています。

ポンペイの遺跡は、ガイド付きでなかなか楽しめました。その後、昼食としてはかなり遅い時間に、ツアーに組み込まれているレストランへ案内されました。お店の外観からは「これは期待出来ないな」と思いましたが、中に入るとそこはレストランというより、寂れた食堂のようでした。それでもポンペイ帰りの観光客で店内はいっぱいでしたし、私も友人もお腹がペコペコでしたので、感傷的な気分に浸ることなく席に座り、お料理が運ばれてくるのを待っていた時、後ろで「プフーッ、プフーッ」という、聞き慣れない音が聞こえてきました。

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感覚を奏する(6)~アルメニアの夜~

長女のアルメニアのイメージは夜の情景だけに留まらず、人々の普段の食事や衣服、家具にまで広がっていきました。同じ民族の衣装と音楽は常に密接な関係にありますので、ネットでアルメニアの民族衣装を探し、それを身につけて生活している様子を一緒に想像しました。同じ民族衣装であっても、普段の服と礼服とではまた違います。様々な衣装の写真を眺めながら想像を膨らませるのは、とても楽しいひと時でした。

湖の奥に修道院を見渡せる、緑豊かな風景画を見つけました。きっとこの辺りは今でも、夜は真の闇となるのでしょう。もしここにグランドピアノを置くことが出来、風景に溶け込むように奏することが出来たら、どんなに素晴らしいでしょう。

悩む長女にそのように話し、目をつぶってそのイメージのまま、最初の音を弾くよう促しました。情景のイメージの中に入り込み、大切に、そして深く長女が響かせた音は、それまでとは全く違うものとなりました。

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2013年3月 3日 (日)

感覚を奏する(5)~アルメニアの夜~

4小節目の8分音符はテヌートで、やはり弦のように、一音一音途切れることのないように歌います。そして5~8小節目の左手の進行は、夜の色が刻々と変化していく様子を表現しています。4回繰り返される右手のメロディーによって、夜は明けてゆくのか、更けてゆくのか・・・それは弾き手のイメージに委ねられています。

このように隅々まで意識して練習した上で、これらのことを全て手の内におさめ、余分なものを削ぎ落とした研ぎ澄まされた音楽として奏します。

長女がこの曲を練習していた時、第一音目から全く進まなくなってしまったことがありました。右手のFと左手のDの響きを聴いては「違う」「違う」と何度も弾き直し、どうしても出来ないと悩んでいました。譜読み前からたっぷりと膨らませていたイメージ通りの響きを出すことが、なかなか出来なかったのです。永遠に朝のこない、架空の国の夜の闇のような音・・・聴く人に、そして自分自身に、そう感じられる圧倒的な説得力のようなものが、確かにその響きにはありませんでした。僅か8小節の最小限の音数で作られた小曲が、とてつもない難曲となって長女の前に立ちはだかっていました。

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感覚を奏する(4)~アルメニアの夜~

1小節目で一番響かせる音は、一般的には最初のFですが、この場合、続く8分音符のDをFの中に隠し過ぎず、弦のような感覚で音量を保って弾くことによって、闇の深みを表現することが出来るのではないかと思います。3、4拍目のDも同様に・・・一音一音が、次の音に向かって膨らんでいくようなイメージでしょうか。音的にクレッシェンドするのではなく、内面のエネルギーが保たれ膨らみながら次の音へと誘うように。

2小節目は回転の中で、表の音と裏の音を感じながら奏します。1拍目のFは表の音、2拍目と4拍目のDは裏の音、3拍目のCisは表の音ですが、Fよりは控え目な響きとなります。1拍目のFの響きを軸として、同じ動きの中で2拍目のDを弾きます。3拍目のCisは音の方向性を変えた回転となり、4拍目のDはまたCisの動きの中で裏の音として奏します。

3小節目では、E~D~CisからBへ行く時、増音程を意識することにより、自然に変化を欲します。より深い闇のような、または闇の均衡が僅かに狂ったような、ハッとする響きがふさわしいのです。

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2013年1月18日 (金)

感覚を奏する(3)〜アルメニアの夜〜

感覚を奏する(3)〜アルメニアの夜〜


「夜」アルメニアの歌

アルメニアの荒涼とした風景、漆黒の闇のような夜を思わせる曲です。

今でも市街地を少し離れると、セピア色の大地が広がり、灯りもまばらになるというアルメニア…この曲が作られた当時は、どれ程の深い闇であったのか…レッスンの中で想像を膨らませていきます。

長女の想像の中での「アルメニア」は朝と昼のない、夕方と夜だけの国で、夜が明けても夕方の明るさにしかならないそうです。同じ音型を繰り返す毎にどんどん暗くなり、遠くでカラスの鳴き声が聞こえることがあっても姿がまるで見えない程の暗闇となります。

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2013年1月16日 (水)

感覚を奏する(2)

私がまだ音大生の頃から数年に渡り、A.M先生に薦めて頂いて、ロシアの(当時はソビエトの)ピアノ奏法を、或る先生に手取り足取り教えて頂いていたことがありました。先生の御宅で私は、今は廃版となってしまったその教則本と出逢ったのです。載っていた曲は小さな子供の為の易しい譜のものが多かったのですが、どれもが豊かな音楽性に溢れており、最小限とも言える僅かな音の中に、底が窺えない程の芸術の奥深さを思わせる曲もありました。一音の響きに求められている表現の多様性、また、音と音との間に流れる喩えようのない豊かさ、スラーの様々な意味等・・・沢山のことを学ばせて頂きました。一音の中に、一和音一フレーズの中に、これ程の違う音色と意味が隠されているのかと、レッスンに伺う度に驚きの連続でした。

譜読みは易しくても、音楽性においては大人でも難しいと思われるものも多々ありました。カンツォーネもその一曲です。当時の記憶とメモを頼りに、長女と共に学んだこと、またA.M先生にレッスンして頂いたことを、ここに書き記したいと思います。

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2013年1月 5日 (土)

感覚を奏する(1)

長女は今、フレスコバルディの「カンツォーネ」を練習しています。まだ難し過ぎるとA.M先生には言われたのですが、長女に合うのではないかと思い、今のレベルよりも背伸びしてのレッスンをして頂くこととなりました(先生、御迷惑をおかけして申し訳ありません)仙台での普段のレッスンでは、フレスコバルディの肖像画や、その時代の美しい楽器の写真を眺め、当時はどのような生活をしていたのか一緒に想像することから始めました。長女なりにこの曲に対するイメージを膨らませてから、音質と音型を深め、心に染み入るまでのゆっくりの練習を繰り返していました。

どう表現したら良いのかなぁ…と長女は悩んでいます。ポリフォニー部分の難しさ、メロディーと伴奏とのバランス、音型ごとの奏法や強弱等を踏まえた上での、その時代の空気感、雰囲気としか言いようのない感覚について、私もどう伝えたら良いものか悩んでしまいました。それは意図的に表現するものではなく、忠実に奏することによって、曲全体を通して滲み出てくるものだと思うからです。
(感覚を奏する2に続きます)

遅くなりましたが、皆様、明けましておめでとうございます。実生活が忙しく、なかなか更新出来ずにおりますが、今年もどうぞよろしくお願い致します。

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2012年9月22日 (土)

様々な角度から(3)~2009.1.8の記事~

サン=サーンスの時代の水族館が、現代のものとは全く違うであろうということは想像出来ます。巨大水槽も特殊な照明もなく、だからこそ却って今のものよりも独特な雰囲気があり、妖しいまでの美しさを漂わせていたのではないかと思われます。そのように考えると、今まで膨らませてきたイメージとは違う、この曲の別の面が見えてきたのです。19世紀当時の水族館の設備が具体的にどのようなものかはわかりませんが、ガラスも現代のようにクリアではなく、それがまたステンドグラスのような味を醸し出し、水の揺らめきや微かな泡立ちがまた、光の屈折と共に煌めく様子が目に浮かびます(技術の発達していなかった昔のステンドグラスのほうが雰囲気があって美しいと聞いたことがあります)その中で泳ぐ魚達も、現代の水族館とは全く違って見える筈・・・ほんの少し見る角度を変えただけで、こんなにも曲の解釈が変わってくるということは驚きでした。

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2012年9月21日 (金)

様々な角度から(2)~2009.1.6の記事~

その時は抜粋で「水族館」「化石」「フィナーレ」を弾いたのですが、私と友人が弾き終わった後、彼は「この曲が作られた頃、水族館も出来たばかりで珍しかったんでしょうか?水族館なんてタイトルの曲、珍しいですね」と言いました。

私は音高時代にもこの曲を、連弾ではなく2台ピアノ版で別の友人と弾いたことがあったのですが、恥ずかしながら、そう言われるまで、水族館というタイトルについて、そんな風に考えたことは只の一度もありませんでした。ピアノ版は特に水の煌めきや揺らめきが美しいので、そのようなイメージばかりを膨らませていて、この時代に水族館があったということを不思議に思う・・・そのような発想はありませんでした。昔から知っている曲で、私にとっては当たり前のことだったからです。

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様々な角度から(1)~2009.1.5の記事~

もう随分と前に聞いた、A.M先生の同じ門下の生徒さんのお話しです。

毎日夜になると出掛けていく彼に、何をしているのかと聞いたところ「月を眺めに行っていた」と答えたそうです。彼は演奏会でドビュッシーの「月の光」を弾くことになっていました。そのお話しを聞いて「素敵だなぁ」と思った私は、自分だったら何処で月を眺めたいと思うだろう・・・実現するかどうかは別として、何処で「月の光」を弾いたら、あのドビュッシーの和音と情景とが溶け合うだろう・・・と考えていました。いつしかそれは習慣となり、曲毎にイメージしては楽しむようになりました。標題付きのものは特にイメージしやすく、それでいて無限に空想は広がります。

或る時、社会人になってからのコンサートでサン=サーンスの「動物の謝肉祭」を連弾することになり、そのリハーサルの時に、初めてその彼に逢う機会がありました。

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2012年9月20日 (木)

音楽と精神

***フリードリヒ・ニーチェ***

音楽が精神を解放したことに

思考に翼を与えたことに

そして、音楽家であればあるほど、人はますます哲学者になるということに

果たして気づいた者がいるのだろうか

***ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン***

音楽は、不思議な力に満ちた大地だ

人間の精神は

そこに生き

そこで思考し

そして創造する

***ハインリヒ・ハイネ***

音楽というのは、不思議なものだ

それはほとんど、奇跡と言ってもいいだろう

何故なら音楽は、思考と現象のあいだ、そして精神と事物のあいだにあって

双方を漠然と仲介する存在だからだ・・・

音楽とは何なのか

結局私達にはわからないのだ

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新しい朝~2009.1.3の記事~

毎年大晦日から元旦にかけて、主人の実家で過ごすのが恒例となっています。元旦の朝、静けさで誰よりも早く目が覚めました。往来を通る車も全くなく、前日に降った雪が朝日で輝きながら溶かされていく音が聞こえるかのようでした。

とても静かな朝でした。素晴らしい朝でした。今年初めての朝の空気、朝日の輝きを味わいながら、私はこの静けさの中に響くピアノの音を聴いていました。実現することはないと思いながらも、いつも、自然の中でピアノを弾くことを夢見ているのです。

小高い丘の上、満月に照らされたグランドピアノでドビュッシーの「月の光」を弾くことが出来たら、どんなに素晴らしいでしょうか。森の奥深く、精霊が棲まうかのような神秘の湖に、ラヴェルの「水の精」が響く・・・ピアノの音の響きが波動となって水面を揺らす・・・どんなに美しく、霊的でしょうか。

新年の朝「ペールギュント」の”朝”が私の中で響いていました。オーケストラ版はもちろんのこと、ピアノ用に編曲されたものもとても美しく、朝の清々しさに心が洗われるような心地が致します。この輝きの中で”朝”を弾くことが出来たら、体の隅々まで清々しい気で満たされるのではないか・・・そんなことを思った新年の朝でした。

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2012年9月19日 (水)

お菓子の家~2008.12.27の記事~

ヘンゼルとグレーテルのお話しを読んで、お菓子の家に憧れたのは、いつの頃だったでしょうか。全てがお菓子で作られた一軒家・・・美味しそうなところを選んで好きに取って食べられたら良いなぁ・・・と、いつも思っていました。大人になってからはその憧れは形を変え、いつか自分でお菓子の家を作ってみたいと思っていました。

一昨日のクリスマスの日、長女のお友達親子が遊びに来ました。いよいよお菓子の家を作るのです。前の晩のうちに、スクウェア型で焼いておいたスポンジケーキを4等分し、パーツに切り分けてクリームで接着しながら重ねていきました。お家の形になったところで、スポンジ生地が見えないように全体にクリームを塗ります。屋根部分に切り分けておいた煙突をつけて、クリームでコーティングすれば、土台の出来上がり。ここからは子供達の出番です。

飾り付けはカラフルな6色の星形、宝石のようなビーズ、ピンクと銀のプチアラザン・・どれもお砂糖の華やかなトッピングです。チョコレートペン、生クリーム絞り、セットになっているケーキ用の飾りも用意しました。長女とお友達だけでなく、2歳の次女も参加したので、どうなることかと思いましたが、予想に反して、丁寧に、バランスを考えながら飾り付けしています。十数分後、賑やかな可愛いお菓子の家が出来上がりました。写真に収めた後、早速皆で切り分けて戴きました。

子供達はとても楽しんでくれていましたが、それ以上に私自身が満たされた思いです。小さい頃の夢が叶ったようで、とても嬉しく、楽しいひと時でした。来年はお家だけでなく、樅の木や雪だるま、お家に続く小径等も作れたら素敵だなぁと、楽しい空想を今から膨らませています。

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2012年8月29日 (水)

仲良し3人組

「あれ~!ナナちゃん、久し振り」

「あっ!ココちゃんじゃない。ミミちゃんも」

「3人揃うなんて偶然ね」

「ねぇねぇ、どこかでお茶でもしていかない?」

「しようしよう!ここに入らない?」

「座り心地良くて、のんびりしちゃうなぁ」

「・・・それにしても、3人で食事してるのに全然気づかないなんて・・・鈍いのかな」

「良い場所見つけたねっ」

「今度またここで待ち合わせしようよ」

「うん!じゃあ来週またこの場所でね」

「バイバ~イ!!」

・・・

・・・

・・・

・・・

・・・

先日、主人の実家の庭で蝉取りをしていた長女が「痒い、痒い」と家の中に戻ってきました。虫除けスプレーをしてから庭に出たのですが、それでも足を8ヶ所も蚊に刺されていて、そのうち3ヶ所は左膝の横に集中していたので「蚊のお友達同士で偶然逢って、ここでお茶していかない?って○○(長女の名)の血を吸ってたんじゃないかな」と言ったらとても面白がったので、ちょっとだけ会話を作り、枕元で読み聞かせてみました。

「○○達、来週はいないのに、どこで待ち合わせしてるんだろうね?」と長女も次女も眠りにつくまでずっと気にしていました。

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無意識が綾なすもの(4)

H.K先生はこのテーマ部分について、荘厳な建築美、敬虔な信仰のようなイメージをお話し下さっていたのですが、私はおこがましくも、突如閃いた思いをどうしても先生に聞いて頂きたくなりました。支離滅裂になりながらも何とか説明を終え「このようなイメージで弾いても良いでしょうか?」とお聞きすると、H.K先生はニッコリとO.Kして下さいました。

テーマ部分の私のイメージは、そこへ至るまでの13小節の、先生がレッスンして下さったイメージに不思議と調和していました。建築様式のような緻密な美しさ、静かな祈りのようなテーマの終止・・・先生がお話し下さったテーマの中にあって、14小節目に表れたテーマの重なりは、透明な輝きをもって私の胸を垂直に貫きました。ベートーヴェンの理解を深める為に読み始めたカントでしたが、それがユングへと繋がり、バッハのテーマのイメージに重なるとは、思ってもみないことでした。

プレリュード、フーガ共、かなり弾き込み、素晴らしいレッスンをして頂きました。またほんの一小節のみの記事となってしまいましたが、曲全体についても、また改めて書きたいと思います。

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無意識が綾なすもの(3)

この部分を弾く為にそれまでの13小節があるのだと思わせる程、私にとっては美しく、また何かを感じさせる音楽でした。でも、その何かがわからず、モヤモヤしたまま、H.K先生にレッスンして頂いていた時です。ユングの集合的無意識が、14小節目の音楽の中で示されているのではないかという思いが閃いたのです。深くユングについて掘り下げていらっしゃる方が御覧になっていたら、もしかしたら全く見当違いのことを言っているかもしれません。でも当時の私には、一つのテーマが音域を変え音価を変え、折り重なるように表れては消えていく様が、後のユングの集合的無意識に通じるように感じられたのです。世界中のありとあらゆる人々が、それぞれの国と地域でそれぞれの人生を営んでいる・・・お互い存在すら知らない者同士、すれ違うことがあっても気にもとめない者同士が、無意識下では繋がっている・・・それぞれの意識は表面的には交わることはないが、無意識下では同じテーマを歌い、同じ音楽を奏でている・・・一つのテーマが人の一生のように、テーマの重なりはそれぞれの人生の織り成す同じ無意識状態のように感じられたのです。

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2012年8月28日 (火)

無意識が綾なすもの(2)

きっとその生徒さんも、何故今までダンテを読もうとしなかったのだろう…と悔やんでいらしたに違いありません。レッスンを聴かせて頂きながら、私も神曲を読みたくなっていました。

A.M先生の御宅からの帰り道、本屋さんに立ち寄り、カントの入門書を購入しました。図書館でも著書を探し、わからないまま読み進めるうちに、カントが後のユングに影響を与えていたことを知りました。今度はユングについて調べたくなり、本を読みましたが、独学での限界を感じ、またわかったつもりになってしまうことへの恐ろしさもあった為、講座を探して申し込みました。コラージュや箱庭の制作もしました。数日だけの講座では触りだけしか学べないことはわかっていたのですが、それでもユングの「集合的無意識」という思想は強く印象に残りました。

その頃の私はA.M先生に紹介頂き、H.K先生にもレッスンして頂いていました。平均律第2巻のc-mollを次の課題に戴き、自宅でフーガの練習をしていた時、14小節目からのテーマの重なりの部分に、強く惹かれている自分に気づきました。

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2012年8月15日 (水)

無意識が綾なすもの(1)

まだ私が20代前半の頃、いつものようにA.M先生にレッスンして頂いていました。その時はベートーヴェンのソナタを持っていったのですが、弾き終えた私に先生がふと「カントを読んだことはある?」と仰いました。ベートーヴェンはカントから多大な影響を受けていて、曲の中にもそれが随所に感じられると…先生の口調は穏やかでしたが、私には「カントを読み、それを理解することなく、ベートーヴェンを演奏することは出来ない」と仰りたいのだとわかりました。何故今まで読もうと思わなかったのかと自分を恥じながら思い出していたのは、或るピアニストの公開レッスンを聴講に行った時のことでした。

リストの「ダンテを読んで」を弾いていた生徒さんに先生は「貴女はダンテを読んだことがありますか?」「ダンテを読まずにこの曲をどう演奏するつもりですか?」と、仰っていました。通訳の方を介しての言葉ではありましたが、先生の厳しい姿勢が伝わってきて、会場の雰囲気はピンと張りつめたものとなりました。先生が仰っていたことは、尤もなことです。

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2012年7月 2日 (月)

エスカルゴバター(3)

鼻先をくすぐられるような香りとは、このようなことを言うのでしょう。噛み締める度に口中に広がるガーリックとパセリの風味…身を取り出した後に残る黄金色のソースも美味しくて、パンにつけて全て戴きました。地方を回ってパリに戻ってきた時、その値段の手頃さと美味しさから、更に二度も食べに行ってしまいました。私達のテーブルの担当の方が三度共同じ人でしたので、さすがに三回目は恥ずかしかったです。きっと「また来た」と思われていたことでしょう。

帰国してから図書館で何冊か専門書を借り、家でエスカルゴバターを作ってみました。基本のバターとガーリックとパセリに、アンチョビを入れるもの、エシャロットを刻み込むもの等、いろいろな種類がありました。我が家ではシンプルなレシピで、エスカルゴが手に入らなかったので、代わりに牡蠣で作ってみました。そこそこ食べられるものにはなっていましたが、あのカフェで食べたものには到底及びません。エスカルゴでない時点で無理なのですが、諦めがつかないので試してみた次第です。いつか子育てが一段落したら、またパリのあのカフェへエスカルゴを食べに行きたいと夢見ています。

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2012年6月30日 (土)

エスカルゴバター(2)

壮麗な外観を眺めていた時、二人共お腹が空いてきました。生理的欲求には勝てず、手頃なお店を探していると、側にその名も「カフェ・ノートルダム」というオープンカフェがありました。入り口の手書きのボードを見ると、アミューズ、エスカルゴが半ダース、メインとワンドリンクの二千円前後のコースがあったので、それを頼むことにしました。主人はエスカルゴ初体験です。私も食べるのは久し振りだったので、ワクワクしながら待っていると、ガーリックバターのうっとりするような香りを漂わせて、エスカルゴのお皿が運ばれてきました。

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2012年5月29日 (火)

エスカルゴバター(1)

初めてエスカルゴを食べたのは、20歳の頃でした。殻付きのものではなく、調理されて器に盛られたものが、薄切りのバゲットと共にお皿に並べられていました。ガーリックとパセリの風味と相まって、とても美味しかったことを覚えています。日本ではなかなか食べる機会がありませんでしたが、フランスへ行く度に、メニューにあれば必ず注文して食べていました。パリ独特の雰囲気が隠し味となったのでしょう。一際美味しく感じました。

新婚旅行で何度目かのフランスへ向かったのは、初秋の頃だったでしょうか。パリに着いたのは夕方、ホテルにチェックインした時はもう夜も更けていました。パリは初めてだった主人が、ノートルダム寺院を観に行きたいと言うので、外観だけでも…と出掛けました。夜のノートルダムは、明るい陽射しの下での趣とは異なる、神秘的な美しさを漂わせていました。細やかな彫刻…聖人の像…全てが静かに息づいているようでした。

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2012年5月 8日 (火)

雪とピエロ(2)

梯子はしっかりと床に固定されているかのように、ピエロを受け止めています。梯子を前からも後ろからも上り下りするその動きが、ピエロの揺れ動く心情と完全にシンクロしていることが感じられ、思わず溜め息をついてしまいます。

後ろ髪を引かれるようにピエロが舞台を去り、その後の全ての出し物が終わっても尚、私の心はその悲しみで埋め尽くされたままでした。名前は覚えていませんが、確かロシアのサーカス団です。シルク・ ドゥ・ソレイユと同時期に来日公演がありました。シルク・ドゥ・ソレイユが大好きで、公演には欠かさず足を運んでいましたが、それよりも、名前も忘れてしまったサーカスのあのピエロのイメージが鮮明に残っていて、つい数日前、まるで昨日のことのように夢に見ました。何年も前のことですので、私の中で美化されている部分もあるかと思いますが、記憶のままに書かせて頂きました。

半年以上もブログとツィッターを放置しておりましたが、また細々と再開致しますので、改めてどうぞよろしくお願い致します。

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2012年5月 6日 (日)

雪とピエロ(1)

照明が落とされ、その暗闇に目が慣れた頃、舞台中央にほんのりと当てられたスポットライト…真っ白な衣装を身につけ、つま先が上を向いて尖った靴を履いた悲しい表情を浮かべたピエロが音もなく現れました。脇腹には長い梯子を抱えています。

ピエロの仕草で、雪が散らつく寒い日であることがわかります。恋しい誰かを思い、それが一方的な思いであることを感じさせるような切ないマイムの後、傍らに置いていた梯子を何もない舞台中央に立てかけました。

長い梯子にスルスルと昇ると、その先端に座り、膝に頬杖をついて物思いにふけるピエロ…観客はその世界観に浸りたいと思いながらも、何の支えもない梯子が倒れはしないかと、ハラハラしながら見守っています。当のピエロは命綱なしにしては高く危険なその空間で、相変わらず切ない表情で愛しい人を思い、溜め息をついています。

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2011年12月31日 (土)

変わらぬ光

今年もあと僅かとなりました。来年もどうぞよろしくお願い致します。


変わらぬ光

変わらぬ光

変わらぬ光

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2011年10月16日 (日)

絶望的な愛(3)~2008.12.20の記事~

V先生のイメージで演奏する場合、敵対と憎悪の部分もやはり、映像的であるほうがバランスが良いような気がします。曲全体が映画のような、少し離れたところからこの物語を眺めているような感覚でしょうか。

これはあくまでも私個人の感想と好みなのですが、この曲の最初と最後で表現される、両家の敵対と憎悪があまりにも激しいので、その中間部が、華やかな舞踏会のシーンを切り取ったかのような映像美のイメージでは、場面が変わる時に違和感が大きいような気がします。憎しみの渦巻く中、未来のない2人の絶望的な愛こそが、この中間部にはふさわしい…胸が痛くなる程の美しさが、ここでは唯一の救いとなっているような気がします。死をもってのみ結ばれる2人の思いが、その美しさを際立たせているのでしょう。

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絶望的な愛(2)~2008.12.20の記事~

同じところをV.G先生は「恋を知る前の、まだロミオと出逢う前のジュリエットのダンスシーン」と解釈していらっしゃいました。ジュリエットはロミオが見つめているのも知らず、婚約者のパリス侯爵と踊っている、そして最後に運命の瞳と出逢うだろう…と。映画のワンシーンのような美しい映像が浮かびます。数分後、自ら命を絶つ程の恋に落ち入るとも知らずに踊る、まだ14歳の美しい少女…

V先生の解釈では、ワルツを踊るジュリエットが、もうすぐロミオと目が合う…というところまでで中間部は終わっているように感じられます。それに被さるように、敵対する両家の憎しみの音楽が再現され、悲しみよりも憎悪を増して最期を迎えます。

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絶望的な愛(1)~2008.12.20の記事~

A(N).G先生は、来日されると毎日のように公開レッスンをされていました。そのレッスン室を提供していらした先生に何年か師事していた関係で、私はA(N)先生という素晴らしい先生に出逢うことが出来ました。私自身も何度かレッスンして頂いた他、来日される度に、時間の許す限り先生の御宅に御伺いしては、他の方々のレッスンをされるのを聴講させて頂いておりました。先生の音、先生の音楽をどれだけ聴かせて頂いたのか、自分でもわからない程です。

私にとって特に印象的で忘れられないのは、プロコフィエフの「ロミオとジュリエット」です。第6曲目の“モンタギュー家とキャピュレット家”の中間のワルツ風のところをA(N)先生が「ここは絶望的な愛です」と仰って最初の8小節を弾かれた時、涙が溢れて止まらなくなりました。それは本当に絶望と、死の覚悟をも感じさせる音と音楽だったからです。

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宝物(2)~2008.12.19の記事~

それに対してママはにっこり笑い、バニーを優しく抱っこしながら「バニーはバニーらしくしていてくれるのが一番よ。だっておかあさんは今のバニーが大好きなんですもの」と答えるのです。

子供にとって、ありのままの自分を受け入れてくれ、そのままの貴方が好きと言ってくれる存在が、いかに大切なものなのかが伝わってきます。繰り返しこの本ばかり「読んで」と言う長女もそれを欲しているに違いありません。ありのままを受け入れる…頭ではわかっていても、とても難しいことです。つい「ああしなさい」「こうしなさい」と口を出し、こういう子になって欲しいという欲も出てしまいます。バニーのママのように、欠点も含め、そのままの貴方が一番好きだと、心から言うことが出来たら、きっと子供達にも伝わることでしょう。寝顔を眺めている時だけでなく、普段も心からそう思い「貴方はママの宝物」なのだと言葉にして伝えることが大切なのだと思います。わかってはいても、つい忘れてしまいがちなこの気持ちを、行動がなかなか伴わないながらも、心の中に留めておく為に、今夜も私はこの本を読んだのでした。

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宝物(1)~2008.12.19の記事~

「いいこってどんなこ?」
作:ジーン・モデシット
絵:ロビン・スポワート
訳:もき かずこ

子供達が寝る前に、絵本を3冊読み聞かせるのが習慣となっています。長女と次女がそれぞれ1冊ずつ好きな本を選び、それだと同じ本ばかり続くことがあって偏ってしまうので、最後の1冊は私が選んでいます。

一時期、長女はこの「いいこってどんなこ?」ばかり選んでいました。子ウサギのバニーがママに、タイトル通りどんな子が良い子なのかと質問をするのです。何度も質問を繰り返すうちに、バニーは自分がどんなにおバカさんだとしても、プンプン怒ってばかりいたとしても、いつも変わることなくママに愛され、自分の存在がママにとっては宝物なのだということを知ります。小さいバニーの最後の質問は「僕がどんな子だったら一番嬉しい?」でした。

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耳に残る悲鳴(2)~2008.12.18の記事~

私は一瞬、自分に何が起こったかわかりませんでした。頭の後ろを押さえられ、言われるがままにそろそろと立ち上がると、祖母と母が「何ともないの?!」と驚きを隠せない様子で聞きました。自分が今まで転んで手をついていたところを振り返ると、ガラス戸が割れて粉々になっていました。転んだ勢いでガラス戸に頭から突っ込んでしまっていたのです。祖母と母は、私が上半身をそっくりガラス戸に突っ込んでしまったのを見て、最悪のことを想像して悲鳴をあげてしまったのだそうです。普通に考えたらそうですが、不思議なことにかすり傷一つありませんでした。私に怪我のないことがわかると、母は物凄く私を叱りました。無理もないことです。すぐにガラス屋さんに来てもらったのですが、4枚あったガラスにはお揃いの模様が入っており、同じものがないということで、私が割ってしまったところだけ、違う柄のガラスが入ることになりました。その後来客のある度に、祖母と母にガラスの模様が一枚だけ違う理由を説明され、居心地の悪い思いをしました。

普段は穏やかで、声を荒げたことなどない母ですが、あの時の悲鳴だけは凄まじく、今でも耳に残っています。

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耳に残る悲鳴(1)~2008.12.17の記事~

小学校時代、二度の転校を経験したせいか、その前の記憶があまりありません。そんな私でも、ハッキリと覚えている出来事があります。確かまだ、小学校に入る前の冬でした。

いつものように、居間で2歳年下の妹と遊んでいた時のことです。テーブルの周りを走っていただけだったのが、いつの間にか追いかけっこになっていました。お互いに段々本気になり、凄い勢いで走っている様子を見て危ないと思ったのでしょう。祖母と母に「転ぶから止めなさい」と何度も言われました。それでも止めずに走っていた私は、テーブルの角に足を引っ掛け、見事に転んでしまいました。ガシャ~ン!という聞き慣れない音と、祖母と母の「ヒィィィィ!」「キャァァァァ!」という悲鳴に驚き、起き上がろうとした私は「動いちゃダメ!」と止められました。

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2011年10月 6日 (木)

内在するテンポ(5)~2008.12.17の記事~

(4)
イタリア語で書いてあるテンポ表記を見ます。最後に必ず見るべきパラメートです。現在のイタリア語のテンポ表記とされている言葉は、古典ではテンポを表すものではありませんでした。Allegroは快活、喜びを表し、Adagioは「人が心地よい感覚」という意味がありました。ヘンデルは、曲の最後の2小節にAdagioをつけることがありました。これは「心地良く終わって欲しい」というヘンデルの意図なのです。メサイアにおいても同様です。テンポ表記ではないということを理解した上でのテンポ設定が大切となります。

以上の4つの項目をチェックしてテンポを設定することにより、古典の時代の音楽の再現をより忠実に行えるということでした。

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内在するテンポ(4)~2008.12.17の記事~

(1)
調性を見ます。
Durはmollよりも速くなります。Durは早め、対してmollはややゆっくりとなります。簡単な調性か複雑な調性かどうかも、重要な手掛かりです。g-moll等変化記号の多いものは緊張感があり、テンポを落とさなくては表現が出来ないので、控えめにしたほうが良いでしょう。

(2)
音程を見ます。
跳躍を多く含んでいるものは、テンポを落とさなくてはなりません。音楽の音色として表現する為、時間を与えなくてはならないのです。

(3)
和音を見ます。
スムーズに流れる協和音に対して、不協和音は緊迫感がある為、同じテンポでは表現出来ません。

例:平均律第1巻より
C-Durのプレリュードとc-mollのプレリュードを比べてみます。調性がmollであることと、不協和音がふんだんに織り込まれていることから考えて、C-Durよりもc-mollのほうをテンポを落とすべきです。

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内在するテンポ(3)~2008.12.16の記事~

ベートーヴェンの音楽は、このテンポシステムには合いませんでした。この比率は古典の特徴の一つではありますが、やはり限られてしまう為、メトロノーム表記をしたいとベートーヴェン自身が希望しています。

基準となるTEMPO ORDINARIOがわかったところで、次に、曲の内容を見て、その基準からどのように変化させるべきかを考えていきます。

バッハのインヴェンションは、15曲中7曲が4分の4拍子です。このテンポシステムに従うと、7曲とも同じテンポということになってしまいます。これではいけません。そこでTEMPO ORDINARIOを基準とし、次の4つの項目を見ていきます。

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内在するテンポ(2)~2008.12.16の記事~

テンポはいつも、偶数で割れる拍子を基準としています。

偶数拍での2分音符(●●)と、4分の3拍子での符点2分音符(●●●)を同じとします。従って3拍子の4分音符は2拍子の4分音符より速くなるというのは、当時の常識でした。このように、テンポは数学的にキチッと決まっており、古典の数学的比率と言われております。モーツァルトは、この比率を非常に大切にしており、ソナタもこの比率での演奏を前提に作られたと考えられています。偶数の拍子の楽章から3拍子の楽章へ移る時は、このテンポシステムに従わなくてはなりません。モーツァルトのソナタを全曲調べてみて下さい…とL先生は仰っていました。

例:モーツァルトのピアノ・ソナタ
C-Dur KV300h(330)

第1楽章の4分の2拍子の2分音符と、第2楽章の4分の3拍子の符点2分音符はイコールとなります。このテンポシステムに従う場合、楽章の間も非常に重要となります。

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内在するテンポ(1)~2008.12.13の記事~

古典音楽を演奏する時、表記されていないテンポを知る手掛かりはあるのでしょうか。

これはI.L先生の研究されている方法ですが、人の持つテンポ「心音と脈拍」からTEMPO ORIDINARIO(通常)MM60~80と設定することで、目安となるそうです。条件に応じて変化する為、幅を20と広く取っています。

テンポはいつも、偶数で割れる拍子を基準に決められていました。まず、2で割れるテンポグループを見ます。4分の4拍子、4分の2拍子、2分の2拍子等の、一番速い(細かい)音符を確認します。16分音符や32音符が多い場合、8分音符をTEMPO ORIDINARIOとすることが出来ます。2分の2拍子では、4分音符が多い場合、全音符をTEMPO ORIDINARIOとすることが出来ます。この当時は、速い・遅いの概念がなく、従ってテンポを変える場合も、倍速くなるか遅くなるかしかなかったようです。

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天井桟敷の片隅で(2)~2008.12.13の記事~

その時の演目は世話物で、喜劇的要素の強い、普段なら大好きなお芝居でした。でも私は舞台に目を向けながらも、心の中の辛い思いに負けそうになっていました。堪えようとしても涙が溢れてきてしまい、周りの人に気づかれぬように嗚咽していました。

ふと気づくと、前列のアメリカ人らしいグループの一人が、私のほうを振り返って見ています。他のお客さん達は皆笑っているのに、どうして泣いているのだろう?と不思議だったのでしょう。彼は何度も私のほうを振り返り、私もその度に無理に笑顔を作っていました。何度目かに振り返った彼と目が合った時、小声で「Are you O.K?」と言われました。その途端、張り詰めていたものが音を立てて崩れ、心の中の辛い思いが溢れ出し、私はうずくまって泣いてしまいました。遠くで聞こえる役者さん達のお芝居やお客さん達の笑い声が、心地良く響きました。

その幕が終わる頃には、心の中にあった辛い思いは、涙に洗い流されて嘘のように消えていました。私は彼のあの一言に救われたのだと思います。

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天井桟敷の片隅で(1)~2008.12.12の記事~

結婚して仙台に越してくる前は、毎月必ず歌舞伎座に足を運んでいました。演目によっては昼夜続けて見ることもあり、朝11時から夜9時前後まで続けて観ても飽き足らずに、幕見にも行きました。数百円で一幕だけ見ることの出来る幕見は、余程の人気の演目でなければ、フラリと行って入ることが出来ましたので、出先から急に思い立って行くこともありました。

或る時、私は精神的にとても辛い状態でした。無性に歌舞伎が観たくなり、歌舞伎座に向かうと、最後の演目が始まるところでした。暗くなりかけた客席に滑り込むと、ちょうど拍子木が鳴り始めました。

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2011年9月20日 (火)

心に残る

或る夕方、私は次女のことを叱っていました。同じことの繰り返しがもう数日続いていた為、謝る次女に「明日になったらまた忘れて同じことをするんでしょ!」とキツく言ってしまいました。すると、私達の様子を見ていた長女が「ママ、許してあげなよ!」と止めに入り「愚かなことって繰り返してしまうんでしょう?おおらかな心は十字架の愛なんでしょう?」と言いました。私は驚き、次女を叱るのを忘れてしまいました。

長女が転園した幼稚園で戴いた読み物に、その祈りの言葉は載っていました。幼児向けのものではありませんでしたが、卒園までの間、毎晩絵本と共に長女と次女に読み聞かせていました。

「非難って何?」「愚かって何?」長女の質問に答えながら、私自身も噛み締めるように読んでいました。長女が小学生となってからは、寝る前の読み聞かせの本も長いものとなり、お祈りもすっかり忘れてしまっていたのです。あれから一年半も経った今になって、長女の口からその言葉を聞くことになるとは思わず、驚き恥じ入りました。と同時に、長女の中に祈りの言葉がちゃんと残っていて、心を豊かに耕し続けてくれるであろうことを、とても嬉しく思いました。

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日々の祈り

おおらかな心が欲しいのです
どこまでも広がっている大空のような心が

人の自分中心な振る舞いを目にしても、心の波を騒がせることなく、冷静に受け止めることの出来る心が

誰の協力も得られず、自分一人で仕事をすることに疲れを覚えることがあっても、周りの人を非難したり、悪く思ったりすることのない心が

けれども神様
いつもおおらかでありたいと願いながら、小さなことにこだわり
優しくありたいのに、人を傷つけてしまい
賢くありたいと思いながら、愚かなことを繰り返してしまう私です

おおらかな心
それはイエス様の御心
十字架の愛なのですね

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2011年9月10日 (土)

広がる世界(2)

結婚当初、我が家にあったコーヒー挽きは壊れてしまい、次女は実物に触れたことがありませんでしたので、本のイメージそのままに、コーヒー挽きを回すと音楽が鳴るものと思い込んでいたのです。妖精アマリリスの魔法によって、おばあさんの手元に戻ってきたコーヒー挽きは二重奏になっていて、それがまた素敵だと、次女も思っていたようでした。最近目にすることの多い、絵本に出てくるお料理やお菓子を忠実に再現したレシピのように、音楽を奏でるコーヒー挽きも是非作って頂きたいものです。

今は、やはり私が昔大好きだった本「シャーロットのおくりもの」を毎晩読み聞かせているせいか、蜘蛛の巣を見かけると次女は「シャーロット」と呼びかけています。子供用に易しく直されたものではなく、そのままを読んで欲しいと思っておりますので、長女達が、名作と呼ばれる美しい様々な物語を読むのは、まだ少し先のこととなりそうですが、これからあの素晴らしい本の世界を体験することが出来るのだと思うと本当に羨ましいです。長女達の心の糧となる、その時々にふさわしい本をこれからも用意していきたいと思っています。

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2011年9月 9日 (金)

広がる世界(1)

先日、お友達の御宅にお茶に招いて頂いた時、テーブルの上に置いてあったコーヒー挽きを見て、次女が「やってみたい」と言い出しました。おウチの方が「やってくれるの?助かるわ~」とコーヒー豆を入れて下さり、次女は嬉々として挽き始めたのですが、しばらくして「あれ?音がしないよ」と言います。次女の疑問にハタと気づいた私は「これは、カスパールのおばあさんのコーヒー挽きじゃないのよ」と、答えました。

夏休み前に、本屋さんで懐かしい本を見つけました。私が今の長女と同じくらいの歳の頃に繰り返し読んでいた「大どろぼうホッツェンプロッツ」シリーズです。3冊揃って置いてあり、懐かしさと、再び読み返したい気持ちとで、3冊共購入しました。夏休み中は、長女と次女と3人で毎晩少しずつ読んでいました。夏休みが終わる頃には3冊共読み終え、長女は読書感想文の課題に、ホッツェンプロッツを選んでいました。「大どろぼうホッツェンプロッツ」の最初の事件で、おばあさんのコーヒー挽きが盗まれます。ハンドルを回すとおばあさんの大好きな曲が流れる素敵なコーヒー挽きなので、ホッツェンプロッツも欲しくなってしまったのでしょう。

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クリスマス・キャロル(2)~2008.12.11の記事~

スクルージの迎えたクリスマスの朝程美しく、素晴らしいものはないでしょう。読み終えると私はいつも思うのです。3人の幽霊は、誰の心の中にも存在する…と。私の中にもいるはずなのです。過去の自分を振り返り、現在を見つめ、未来の自分を予測する存在が…自分の中に、今どれだけ恵まれていて幸せなのか、いかにそれを当たり前のように見過ごしているか、今自分は何を為すべきなのか…感じているものがあるはずなのです。

毎年「クリスマス・キャロル」を読み返す度に、その思いが蘇ります。私にとって大切な一冊です。

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クリスマス・キャロル(1)~2008.12.8の記事~

街がイルミネーションで彩られ、賑やかにクリスマスソングが流れるこの時期になると、ディケンズの「クリスマス・キャロル」を読みたくなります。クリスマスまでの間、何度となく手に取り、つい最後まで読んでしまうのですが、その都度スクルージの心の変化のプロセスを共に辿り、最後にはスクルージと同じように、心を入れ替えてクリスマスの朝を迎えたような気持ちになります。朝の光は素晴らしく明るく、空気は清らかな冷たさで澄み渡り、見るもの全てが輝き、生きている喜びを全身で肌で感じる…スクルージの迎えた朝の美しさを思い、私もそのような朝を迎えることが出来たら…といつも願うのです。

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2011年9月 2日 (金)

レナちゃんのストラップ(3)~2010.10.10の記事~

…いろいろなお願いをされました。お化けの言ったことを、そのお化けの家族やお友達に伝えました。

レナちゃんは、おじいちゃんのママとお話ししたくなりました。おじいちゃんのママは、レナちゃんが生まれる前に亡くなっていました。それで、お化けに頼みました。すると、その夜、おじいちゃんのママから電話がかかってきました。レナちゃんは、いつもふざけるおじいちゃんが、どんな子供だったのか聞きました。おじいちゃんのママは「レナちゃんみたいに、いたずらっこだったよ」と教えてくれました。レナちゃんは嬉しくなりました。おじいちゃんのママは、ストラップを外すとお化けから電話がかかってこないと教えてくれました。レナちゃんは、おじいちゃんのママと話したくなった時、ストラップをつけます。ストラップは、レナちゃんの秘密の宝物です。


(終わり)

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レナちゃんのストラップ(2)~2010.10.10の記事~

或る日、レナちゃんは、夏祭りに行きました。おじいちゃんとおばあちゃんからもらったおこづかいで、レナちゃんは、チョコバナナと、水ヨーヨーと、とうもろこし、綿アメ、水飴、焼きそば、焼き鳥を買いました。くじ引きの屋台のところへ来た時、レナちゃんはくじ引きがしたくなりました。お財布の中を見ました。すると、お金は少ししかありませんでした。でも、くじ引き一回分だけ、何とかありました。

「おじさん、くじ一回お願いします」

レナちゃんがひいたら、5等でした。5等の景品の中に、キラキラしたものがありました。ストラップでした。ダイヤモンドみたいな石と、小さなフクロウがついていました。レナちゃんはとっても気に入りました。それをもらって、おもちゃの携帯につけました。寝る時も枕元に置きました。すると、不思議なことが起こりました。

レナちゃんがグウグウ寝ていると、おもちゃの携帯が鳴りました。おもちゃの携帯なのにかかってきたので、レナちゃんはビックリしました。それはお化けからの電話でした。このストラップは、お化けが電話をかけてきて良い印でした。それから毎晩、お化けの電話がかかってきました。

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レナちゃんのストラップ(長女のお話し1)~2010.10.10の記事~

長女の夏休みの宿題の一つに、一覧表の中から興味のあるものを一つ以上選んで取り組み、募集するというものがありました。項目は多岐に渡り、読書感想文や作文、手紙、詩、様々なジャンルの絵画やポスター、木工品や裁縫等、30以上の募集があったのですが、その中に童話を書くというものがあり、長女は迷うことなくそれに決めていました。8月末の夏休み明け、原稿用紙に清書して無事提出しました。長女が久し振りに最後まで作ったお話しです。担任の先生に何ヶ所か、語尾や言い回しを訂正して頂いた他は、長女の書いたものをそっくりそのまま(殆ど平仮名ですので、読みやすいよう、ここでは漢字には直しました)掲載したいと思います。また、長女の「いつもみたいにママに書いて欲しい」という希望もありましたので、長女に相談しながらお話しを膨らませたり、新たなエピソードを加えながら書き進めておりますものも、続けて掲載させて頂きたいと思います。お付き合い頂ければ幸いです。

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忘れた頃に

auブログの頃から、長女の空想のようなお話しを、メモをしながら加筆しまとめ、皆様に読んで頂いておりました。この2年半の間に、10話程載せているでしょうか。

去年の夏、小学生となって初めての夏休みの宿題の一つに、自由研究がありました。一覧表の中から、長女は童話を書く課題を選び、一生懸命考えていました。夏祭りに行ったことをヒントに「レナちゃんのストラップ」というお話しを書いて提出したのですが、もう応募したことすら忘れていた12月の或る日、仙台市賞を戴きました。

今年もまた新しいお話しを提出する予定でおりましたが、ラストが上手くまとまらず、間に合わなくなってしまいましたので、やはり以前ブログに掲載させて頂いた、スイスのお友達のところへ、主人公が一人で逢いに行くお話しを、長女自身の言葉で、主人公の名前もタイトルも変更して清書しました。いつも思いつくままに喋り、後で私が携帯でまとめたものを読み聞くのと違い、原稿用紙に何枚も書くのはかなり大変だったようで、書き上げただけで長女は大満足の様子でした。

「レナちゃんのストラップ」を続けて掲載させて頂きたいと思います。

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2011年9月 1日 (木)

贅沢な音

自身でピアノの調律をすることが出来たら…と、思うことがあります。気になる音程をその都度こまめに調律することが出来たら、どんなに良いだろう…と。

お箏とお三味線のお稽古に通うようになってからは、その思いが一層強くなりました。どちらの楽器もお稽古前にまず調弦し、お稽古の最中はもちろん演奏の合間にもこまめに調弦しながら、常に音程を整えるからです。ピアノと違い、弦があまりにも不安定で、絶えず調弦をする必要があるからですが、完全音程を整えると響きが澄み渡り、清々しい気持ちになります。ピアノを弾いていると、調律出来ないということをつい忘れてしまいます。微かに狂った音程部分を、心の中で切り捨てるようにするのは、あまり気分の良いものではありません。

こまめに調律をお願いするのも難しいので、年に1~2度調律して頂いた後にピアノを弾くのが本当に楽しみです。1時間半以上、時には2時間かけて丁寧に調律されたオクターヴの美しさ、最高音まで調えられたピアノで最初に弾きたくなるのはいつも平均律です。私のささやかな贅沢の一つです。

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夏の終わりの独り言(長女の空想より)

ミ~ンミンミンミンミンミン!
ミ~ンミンミンミンミンミンミン…

あぁ…どうしても“ン”の音が入ってしまう。キリリッとかっこ良く“ミミミミミミミ!”とミの音だけで鳴きたいのに…“ミ~ン”とか“ミン”だと、何だか間延びして締まらないじゃないか。

力を抜いてもダメみたいだ。今度は力一杯鳴いてみよう。

ミ~ィミィィミミミミミィ!

これじゃあまるで子猫みたいだな。え~い、これならどうだ。

ミ~ンミミミミミミミ~ン!!ミンミンミミミミミミミミミン!!

「あ~蝉の鳴き声うるさい!そんなに力一杯鳴かなくても良いのに」

うるさくてすみません。夏が終わる前にどうしても、自分の納得のいく音で鳴きたくて…


(終わり)

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2011年8月16日 (火)

オーラに包まれて(3)~2008.12.6の記事~

演奏中のA.S先生のオーラがあまりにも強烈でしたので、私は譜めくりをする度に、そこに割って入るようで、申し訳ない気持ちになりました。少しの邪魔にもならないように、自分を消し、全身全霊で先生の演奏と呼吸を感じ、溶け込みながら譜をめくるよう心がけました。全てのプログラムが終わった時には、私は気力を使い果たしてヘトヘトでした。

間近で凄まじいオーラを感じたことは、その前にもありました。V.G先生にレッスンして頂いた時です。先生が入っていらしただけで、20畳程もある部屋の空気が一変し、そこに存在するもの全て(人も物も)が先生そのもののようになりました。その時は先生が恐ろしくさえ感じました。

V.G先生もA.S先生も、普段のお姿はとても暖かく柔らかい雰囲気でいらっしゃるのです。それがひとたび演奏となると、神秘のヴェールに纏われたようなオーラを発されるのです。あのオーラを感じ、同じ輝きの中に身を置くことが出来ただけで、私はとても幸せでした。

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オーラに包まれて(2)~2008.12.6の記事~

それは何とも形容し難い瞬間でした。御二人の“気”で会場は埋め尽くされ、演奏が始まると、それは更に密度を増していきました。側にいる私が押し返されてしまいそうな程のオーラをA.S先生は全身から発していらしたのです。一流の先生が聴衆を前に弾いていらっしゃるピアノを、これ程の至近距離で聴かせて頂いたのは生まれて初めてでした。演奏中、私は音と光の渦の中で恍惚としていました。このような熱気と音楽の輝きの中に、我が身を置いたことがあっただろうか…と。ヴァイオリンの音はしなやかに舞い、ピアノの音と共に私の体に巻きつくようでした。この輝きの中にずっといたい…終わってしまうことがわかっていても、私はそう願わずにはいられませんでした。

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オーラに包まれて(1)~2008.12.3の記事~

モスクワ音楽院のサマースクールでは、毎晩、隣接するラフマニノフホールで、教授陣によるコンサートが開かれていました。冬のシーズンに向けて、先生方がこのような場で試されるのだと聞き「あれでベストの状態ではないなんて!」と驚いたものです。

或る日、午後のマスタークラスを聴講し、部屋を出ようとした私は、H.K先生もいらしていたことに気づきました。側にはA.S先生もいらっしゃいます。先生も私に気づき、手招きをして下さいました。先生は私が行くなり「Sが貴方に今夜の譜めくりをして欲しいんですって」と仰いました。その晩のコンサートはS.K先生のヴァイオリンで、A.S先生が伴奏だったのです。ベートーヴェンは難しいからと、事前に1冊だけ楽譜を見せて頂き、後は本番で初見で…ということになりました。

本番前、舞台袖で、譜めくりをするだけの私が一番緊張していました。舞台に上がり、A.S先生の少し後ろに座り、ドキドキしながら待っていた時です。調弦を終えたS.K先生がピアノのほうを振り向き、御二人の目が合った途端、凄まじい“気”のようなものようなものが溢れ出し、私はその中に飲み込まれてしまいました。

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愛と音楽~2008.11.30の記事~

「愛と音楽」
エクトール・ベルリオーズ


愛と音楽
この二つの力のうち
どちらが人を最も崇高な高みに上げることが出来るだろう?
それはとても難しい問題だが、私が思うに、答えはこうだ。

「愛は音楽についての知識を与えてくれないが、音楽からは愛についてのアイデアを与えることが出来る」

愛と音楽を何故切り離すのだ?
それらは、魂が持つ二枚の翼なのだ

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見守る…(2)~2008.11.30 長女5歳、次女2歳の時の記事~

その長女は今、卵を割るのと溶くのとにハマっています。朝忙しい時など、つい忘れてコンッ!と割ってしまうと、その音を聞きつけて「〇〇がやるっ!」と飛んできます。初めの頃は見ていられませんでしたが、最近はだいぶ上手になり、卵とボールを手渡して「お願いね」と任せられるようになりました。卵を割る時の長女は真剣な表情ながらも、それはそれは楽しそうで、私は自分が小さい頃、やはり卵を割るのが楽しみだったことを思い出しました。

年末になると、祖母と母が作っていたおせち…幼い頃の私の役目は、栗きんとん用に茹でたサツマイモの裏ごしをすることでした。その頃実家は7人家族。来客も多く、栗きんとんも鍋いっぱい作っていました。サツマイモの裏ごしも大量にこなさなくてはならなかったのですが、まだ小さくて力もなく、急ぐという感覚もなかった私は、お喋りをしたりテレビを見たりしながら、のんびりと手を動かしていました。祖母も母もさぞじれったかっただろうと思うのですが、不思議と一度も「早く!」とか「急いで!」とか言われた記憶がないのです。幼い頃の私も、見守られてきたのだなぁ…と懐かしく思い出しました。

サツマイモの裏ごしの役目は結婚する前の年まで続いていました。早いもので、明日から12月…もうすぐまたあの季節が来るのですね。

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見守る…(1)~2008.11.29 長女5歳、次女2歳の時の記事~

何でも一人でやりたがる時期真っ只中の次女は、いつの間にか一人でボタンが留められるようになっていました。パジャマのボタンは柔らかくて留めやすいようで、お風呂上がりに何度も留めたり外したりして遊んでいます。幼児用のパジャマには、寝相が悪くてもお腹が出ないように、脇腹のところに上下を留めるボタンのついているものがありますね。その脇のボタンを自分で留めようとすると、体をひねらなくてはならないので、難しくてなかなか留められず、悔しがって泣き出す次女を慰めることも度々でした。

先日、お風呂上がりにそれぞれ体を拭いたり、パジャマを着たりしていた時、次女はいつものように体をひねって何度もボタンを留めようと頑張っていました。手を出したくなるのをグッと堪えて見守っていると、とうとう留めることが出来ました。ふと見ると次女の顔は喜びに輝き、私と目が合うと「で・き・た~」と言って、私に誇らしげに脇腹のボタンを見せました。初めて一人で留めることが出来た達成感を噛み締めているようでした。文字通り、次女の瞳はキラキラと輝いていました。

私は声をかけたり手を出したりしないで良かったと、心から思いました。あの瞳の輝き・喜び・達成感の全てを、次女から奪ってしまうところだったからです。それと同時に、長女の時はどうだっただろうかと振り返り、ついつい先回りして手伝ってしまっていたことを思い出し、深く反省しました。

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2011年8月15日 (月)

祖父の背中~2008.11.24~25の記事~

私がまだ小さい頃、夕食を知らせに行くと、いつも机に向かって勉強している祖父の背中がありました。詩吟を教えていた祖父は、詩吟の言葉一つ一つ・歴史・背景等をいつも勉強しており、お稽古の時にお弟子さん達に伝えているようでした。祖父は先生という立場でなかったとしても、きっと変わらず勉強を続けていたと思います。そんな祖父を見て育った私は、学びには生涯終わりはないということを、子供の頃から本能的に感じていました。私も祖父のように、生涯音楽を友とし、学びそのものを喜びとしたいと常々思っておりました。祖父の学びの姿勢は、いつも私の理想であり、目標であったのです。

祖父は体の具合が悪くなっても、詩吟のお稽古はもちろん、公民館長と、選挙管理委員会の仕事も続けていました。選挙が終わり、仕事が一段落して病院にかかった時は、癌が進行し、もう手遅れの状態でした。

入院して数日後、私は祖父の足のむくみが、ひどくなっていることに気づきました。話すこともままならず、辛そうな様子に思わず「おじいちゃん、大丈夫?」と問いかけていました。祖父が何か言おうとしていたので、口元に耳を近づけると、祖父は苦しい息遣いの中「心頭滅却すれば、火もまた涼し…の精神だから、大丈夫だ」と気丈に答えました。

体は病に倒れても、祖父の精神までは蝕まれていなかったのです。私を心配させまいとの配慮からの言葉だったと思いますが、強い薬のせいで意識も朦朧としていたはずです。そういう時にこそ、その人の持つ本質・生き様のようなものが現れるのではないでしょうか。

祖父は辞世の句を残し、まもなく亡くなりました。

一年以上経った或る日、祖父のお弟子さんだった方が2人、ウチに来て下さいました。2人は仏壇の前で祖父に試験に合格したことを報告し「聴いて頂きたい」と、課題を吟じ始めました。私はその時知ったのです。祖父が私達家族だけでなく、お弟子さん達の心の中にも存在しているということを…亡き祖父に捧げられた詩吟はとても神聖で、その場の気が凛と澄み渡りました。

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マドリードで昼食を~2008.11.22の記事~

まだ喧騒前の早朝のマドリード駅で、私達は眠い目を擦りながら朝食を摂っていました。グラナダから寝台列車に乗り、明け方にマドリードに着いたばかりだったのです。日本でも乗ったことのない寝台列車にワクワクしてしまい、良く眠れませんでした。

朝食が簡素なものだったので、普段なら昼食を少し豪華に…と考えるところです。でも、この日の昼食はMcDonaldと決めていました。理由は、世界一豪奢なMcDonaldがあると聞いていたから…

そこは元宝石店だったそうで、佇まいから違いました。中に入ると床は大理石、天井からは煌びやかなシャンデリアが吊され、イートインコーナーは、螺旋階段を昇った2階にありました。豪華な内装であっても、そこはMcDonald、メニューはごく普通なので、何だか安心してしまい、くつろげました。

宝石店や高級ブランド店は、1階が一般的な店舗で、2階がお得意様の為の空間という作りが多いですね。かつては特別な人の為の場所だったのかもしれないなぁ…と思いながら、ハンバーガーを頬張る私達なのでした。

チェーン店ではあっても、やはり地域や国によって違いがあるようです。パリのMcDonaldに入った時は、定番のメニューの他に、ワインやミネラルウォーター、生野菜のサラダ等があって驚きました。フライ類も国によって微妙に違うようです。どこの国か忘れてしまいましたが、チキンナゲットの箱を開けたら、竜田揚げのように大きい塊がゴロゴロ入っていたこともありました。世界各国のMcDonaldを巡るのも、面白いかもしれません。

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2011年8月 6日 (土)

永遠のソナタ~2008.11.22の記事~

「無題」
オシップ・マンデリシュターム


昔、アレクサンドル・ゲルツォーヴィチというユダヤ人の音楽家がいて
シューベルトを弾いていた
澄んだダイヤを愛でるように
思う存分、朝から晩まで
擦り切れてしまいそうなほど
一曲の永遠のソナタを
譜面もなしに弾き続けた…

おい、アレクサンドル・ゲルツォーヴィチよ
通りは暗いだろう?
諦めなさい、心優しいアレクサンドルよ
何をやっても無駄なのだから

あのイタリア人の女の子を
雪のザクザクしているうちに
そりに乗せて飛ばしておやり
シューベルトの飛びゆく彼方に

いとしい音楽のある限り
我らは死など怖くない
向こうには、からすのような外套が
フックにかかっているけれど…

アレクサンドル・ゲルツォーヴィチよ
前から決まっているのだから
おやめなさい、スケルツォを弾くアレクサンドルよ
何をやっても無駄なのだから

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歌の力~2008.11.16の記事~

「歌の力」
サルマン・ラシュディ


歌の力というのは、いったいどこにあるのだろう?多分それは、この世に歌う行為が存在するという、まったくもって奇妙なことに由来している…

人間は指の届く範囲で、音と音の間隔を魔法のように組み合わせ、数少ない音からなる群れを見つけてきたのであり、そこから、音の大聖堂を造り出すことが出来たのだ
それは、数字やワインや愛と同じくらい不思議な錬金術である…

歌は、我々の憧れにふさわしい世界を描き出し、我々自身が願う姿を示してくれる
あたかも我々がその世界を生きるに値するかのように

五つの神秘が、目の見えないものに対する鍵を握っている
つまり、愛するという行為、赤ん坊の誕生、偉大な芸術をめぐる黙想、死や災難との直面、そして人間の歌声を聴くことという神秘だ

これらは世界にかけられた錠がぱっと開くきっかけとなり、その時我々は隠されていたものを垣間見る…

地震の持つ驚くべき暗黒の力
新しい生活の不思議な危うさ
歌うことの輝き…を感じ取った時、大いなる栄光が、突如我々にもたらされるのだ

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2011年8月 2日 (火)

道端のデュランタ

昨日から東京に帰省しています。実家に向かう道すがら、思いがけなく美しい藤色と瑞々しく艶やかな緑に出逢いました。


道端のデュランタ
道端のデュランタ

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予告済みの衝撃

もう数年前のことになると思いますが、或るブログで紹介されていた本がどうしても読みたくなり、本屋さんへと急ぎました。店員さんのPOPがつけられて平積みになっていたそれはすぐに見つかり、私は自分のものとなった本のページを繰りながら、或る誘惑と必死に戦っていました。

ブログの記事にもPOPにも、そして本の裏表紙にも「絶対に先に“最後から2行目”は読まないで!」と書いてあったからです。最後から2行目で、あなたは必ず衝撃を受ける!もう一度最初から読みたくなる!とも書いてありました。

読むなと言われると、どうしても読みたくなってしまうものです。途中何度も、ラスト2行を先に読んでしまいたいという誘惑にかられ、内容に集中するのに本当に苦労しました。ラストに近づくにつれ違和感を覚え、そしていよいよ最後から2行目を読んだ時、違和感の理由がわかって思わず「え~っ!」と叫んでいました。あれ程予告されていたにもかかわらず、本当に驚き、そして予告通り最初から読み返してしまいました。

乾くるみ著「イマジネーション・ラブ」…御存知の方も多いと思います。私にとってはアトラクションのような読書タイムでした。

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2011年7月19日 (火)

声質と演技力(3)~2008.11.18の記事~

ミミの心で歌うのではあっても、剥き出しの感情ではなく、オペラという芸術作品の一部としての、美しくデフォルメされたものであるべきです。また、そうしてこそ、ミミという心も姿も美しい女性のキャラクターが生きてくるのです。プッチーニ特有の、メロディーというよりも、エヴァンゲリストのような語り口の部分は特に、演技を意識し過ぎると、ミミの清潔さが失われてしまうような気がします。このアリアはミミの性格そのものなのです…その優しく柔らかいメロディーは、歌詞との連動も素晴らしく、春の雪解けと太陽の暖かさの感動を語るところでクライマックスを迎えます。

「il primo bacio dell′aprile e mio!(4月の最初の接吻が私のものなのよ!)」

厳しい冬の後の春の喜び・太陽の暖かさ・生命の息吹きが、オーケストラと共に輝きを増して表現され、春を待ち焦がれる思いに、私達も強く共感するのです。

(声質と演技力4に続きます)

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