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2010年12月

2010年12月30日 (木)

極北の夜空に(3)

それは、明日にはイエローナイフを発たなくてはならないという夜のことでした。それまでの3夜はオーロラを観ることが出来ず、最後の機会と祈るような気持ちで星空を眺めていた時、ス~ッと白い線が兆しのように現れました。それは徐々に揺れながら広がり、みるみるうちに空いっぱいの光のカーテンとなりました。そよ風に吹かれてそよぐようにフワリフワリと揺れながら、その輝きが緑と黄色に彩られていく様を、私は信じられない思いで見つめていました。この神秘的な光景が現実のものだとは…例えようのない美しさというものが目の前に存在している…その圧倒される程の輝きを前に、たった一人で宇宙空間に浮かんでいるような錯覚に陥った自分を、もう一人の自分が見つめている…

気がつくと、ロッジにいた人達全員が外に出てきており、感激のあまり、皆抱き合って喜びを分かち合っていました。その歓喜の渦にいつの間にか私も巻き込まれていました。


(極北の夜空に4に続きます)

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2010年12月21日 (火)

光のページェント

今年もとても綺麗でした。
光のページェント
光のページェント

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2010年12月19日 (日)

神秘の夜~2008.8.23の記事~

或る夏、モスクワに2週間滞在し、一日中音楽漬けの充実した日々を過ごしていました。その晩聴いたコンサートが素晴らしく、余韻で眠れなくなった私は、部屋の窓から空を眺めていました。夜はいつまでも更けることなく、ほの白い明るさを残したまま、重なる色を少しずつ替えては消えていきます。気がつくと私の中にチャイコフスキーの「5月の夜(白夜)」が流れていました。

今でも忘れられないあの夜…ほんの数小節弾いただけで、モスクワのあの夏が、空気や香りまでも伴って蘇ってきます。フィンランドともノルウェーとも違うあの白夜。曙と夕闇が混じり合ったようなあの神秘の一時を今もこうして味わうことが出来るなんて、音楽とは何と素晴らしいのでしょう。ノルウェーでの白夜は自然がただ美しく、緑は瞳に染み入るように蒼く、精霊の存在をも感じさせるものでしたが、モスクワのそれはもっと精神的な、心が震えるような神秘の世界でした。チャイコフスキーの音楽はまるであの白夜を切り取ったかのようで、弾く度にあの美しい夜を思い出します。いつかまた、モスクワで白夜を眺めることが出来るでしょうか。

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痛みの音(2)~2008.8.15の記事~

ヘンデルのメサイアでは、この減7度下がった音のところにWunden(傷)という言葉が、英語版では同じ音にstripe(ムチ打ち)という言葉が当てはめられています。どちらもイエスの受難、人間としての痛みを示す言葉であり、減7度という厳しい音程にふさわしい言葉ではないかと思います。

テーマの4音にはフォルテ、更に全てにアクセントがつけられていますが、この4音目のGisに傷またはムチ打ちという言葉を意識することにより、自ずと、前の3音よりも独特な、一番印象的な響きとなるのではないでしょうか。

D先生が創作された歌詞「呪われよ!ユダとその息子達、7代にわたってその罪を償え」は、怒りが強く感じられます。メサイアの歌詞を意識すると、そこには苦しみと悲しみが存在し、怒りだけではない、また違った表情になるように思います。D先生がお弾きになったフーガは、テーマの4音の、行間ならぬ、音と音との間の音間としか言いようのない部分も素晴らしかったのです。一音一音が際立ち、いくつもの楽器がユニゾンで演奏しているかのように響き、ピアノが減衰楽器だということを忘れさせられるようなスケールを感じました。Gis音は特に下腹部に響くような低音の性質と、引き裂かれるような鋭い痛みのような感覚とが、見事に融合していました。

このフーガは怒りに支配されているのです。トリルは嵐を、半音は痛みを表し、曲の最後まで怒りは弱まることを知りません。7代にもわたるユダへの呪いと罪のように…

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痛みの音(1)~2008.8.15の記事~

J.S.バッハ:
平均律Ⅱ巻20番よりフーガ イ短調

今から10年前、J.D先生の公開レッスンを聴講させて頂いた時に、このフーガのテーマについて、興味深いお話がありました。

左手から始まるテーマは減7度を含み、聴く人に強烈な印象を与えます。D先生はそれを「怒り」と表現されていらっしゃいました。もしこのフーガを合唱として捉えたとしたら、次のような歌詞が相応しい。
「呪われよ!ユダとその息子達、7代にわたってその罪を償え」と…

ここで大切なのは、主要となるテーマがたった4つの音、E、C、F、Gisで出来ていること、そしてその4つ目のGis音が減7度下がっているということです。

音型には、その型そのものに意味がある場合と、歌詞を意識する場合とがあります(ここでは後者)バッハの時代にはテーマの転用は普通に行われていた為、ヘンデルのメサイア、モーツァルトのレクイエム(キリエ)にも、このテーマと全く同じような音型が出てきます。どちらにも合唱の歌詞がついているので、その歌詞を意識することによって、イエスを巡るドラマの内容が音型に乗り移り、そのフレーズの表情となるということでした。

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月の満ち欠け~2008.8.12の記事~

~これは「胎児の記憶」の続きです~

出産と月の満ち欠けには法則性があると聞いたことがあります。長女を出産した日がまさにその日だったそうで、後で看護婦さんから「ラッシュになりそうだから気合い入れましょう!と皆で話していたら、本当にそうなった」と言われました。
長女は月の影響を受けたのでしょうか。予定日よりもかなり早く生まれてきてくれました。少しだけ宇宙との繋がりを感じた一時でした。

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胎児の記憶~2008.8.11の記事~

長女がまだ3歳になる前に、お腹の中にいた時のことを覚えているか聞いたことがあります。
彼女は迷いなく「覚えてる!」と答えました。
お腹の中は「暗かった」
「あったかかった」そうです。
じゃあ、出てきた時は?と聞くと「まだまだって言われた」との答えでした。

この日、私の通っていた産婦人科は出産ラッシュで、1分違いの出産を含め、8人の新生児が誕生しました。破水はしたものの、陣痛はまだ来ていなかった私は、分娩台近くのベッドで待機状態でした。時々思い出したように様子を見に来て下さる看護婦さんに「まだでしょうか」と聞く度「まだまだ」と言われていました。陣痛が来て分娩台に移されてからも「まだ力んじゃダメよ」「まだまだ」と言われ続けていたのです。

それはただの偶然かもしれません。でももし偶然ではなく、この子があの時の声を聞いて覚えていたのだとしたら…何だかとても不思議な気持ちになりました。

長女が4歳を過ぎた頃、もう一度同じ質問をしてみましたが、もう何も覚えてはいませんでした。いずれ次女にも同じ質問をしてみようと思っています。どんなお話しをしてくれるでしょうか。とても楽しみです。

次女は今、お話ししたいことがあっても、まだ上手く伝えられなくて癇癪を起こしたりする時期です。私も何を言っているのかわからなくて困っている時、長女が通訳をしてくれます。良くわかるね~と、私が感心していると「だって〇〇、この前まで赤ちゃんだったから」との答え。思わず笑ってしまいました。彼女の中に、まだちゃんと赤ちゃんの頃の記憶は残っているのですね。

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2010年12月17日 (金)

極北の夜空に(2)

かろうじて太陽が顔を出している間は雪遊びを楽しみ、夕方からは仮眠を取り、夜中は郊外の高台にあるロッジや湖上のテントで、オーロラの出現を待つ…という日が続きました。イエローナイフでオーロラが観られるのは真夜中です。ロッジからは遠く微かに街の光が見えるだけで、空を見上げると圧倒される程の満天の星でした。そのあまりの星々の瞬きに思わず涙が溢れ、見入っているとその涙までも凍ってしまい、慌てて暖かなロッジの中に戻る…ということを繰り返しました。湖上では、周囲に一片の光もなく、テントを一歩出るともう、隣りにいる友人の顔さえ判別出来ません。雪の上に大の字に寝転がり、夜空を眺めていると、数日前の日本での日常が現実のものではないような気がしました。星降る夜とはこのような空のことを言うのだと、心から納得しました。

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2010年12月14日 (火)

極北の夜空に(1)

飛行機のタラップからカナダの地に降り立った夕刻、微かに煌めきながら舞い散る雪のようなものが、ダイヤモンドダストであるということを初めて知りました。気候条件が揃わないと見られないというそれは、蛍の光のように儚く消え、私はその様を、一抹の淋しさと共に見つめていました。

オーロラをこの目で見たい…その強い思いが、私をカナダへと向かわせました。イエローナイフは真冬にはマイナス30℃以下にもなる極寒の地です。太陽も日中僅か数時間、遠い空の彼方に存在しているのを感じるだけで、その暖かなぬくもりも冷気で遮断されていました。レンタルした防寒具とブーツ、手袋がなければ、昼間でもとても外出等出来ません。数分で睫毛も鼻の中も凍り、シャリシャリと音がする程です。それでも凍った湖の上で遊んだり、犬橇に乗って自然の中を駆け抜けたりするのは本当に楽しくて、私はいつしか時の経つのを忘れました。

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