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2011年1月

2011年1月29日 (土)

エレジー(5)~2008.9.5の記事~

エレジー(5)

少女のあどけない可愛らしさ、穢れのない澄んだ瞳は本当に一時だけの脆く儚い美しさです。60小節目の3拍目の左手から右手にわたるアルペジォに、私は特にその美しさを感じるのです。高らかに歌い上げるのではなく、控えめでありながら可憐で凛とした存在感がある…55小節目3拍目からと59小節目3拍目からはほぼ同じ音型ですが、前者が暗く沈んだ地声のような響きの為、このアルペジォは救いの光のようにより美しく、印象的に響きます。

63小節目の3拍目からは凄まじいエネルギーでクライマックスまで引っ張られていきます。クライマックスへ向かう以外の道は全く示されてはいない、もう運命を受け入れるしかないというような、覚悟を必要とするところです。70小節目からのクライマックスは時空間を超えていくようなフォルティッシシモです。大自然のあまりの雄大さ、悠久という時を凝縮したものが、このクライマックスに示されているようです。ピアノ一台の演奏が、数十人のオーケストラを超えるスケールとなる瞬間です。

(エレジー6へ続きます)

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エレジー(4)~2008.9.5の記事~

「ここからがラフマニノフのロマンの最たるもの」

41小節目からの中間部は、ガラリと雰囲気が変わります。中心人物は左手となり、太いバリトンの響きのように説得の言葉を歌っている…右手の和音は只美しく、鳥が空を舞うような自然な自由な響きで…55小節目の右手の3連符は自然に歌うと平均ではなくなるのだと、H.K先生は仰っていました(あくまでも自然に歌うことによる不均衡です)57小節目の右手のBは宇宙的な響きが要求されます。59小節目の3拍目から61小節目の1拍目まではやや明るく、女性のアリアのように歌われます。私が小さい頃から今までずっとレッスンして頂いているA.M先生は「苦しみの中での唯一の慰めのように…例えて言うならば、乙女の美しさ、少女の可愛らしさ、一時だけの尊い美しさ」と仰っていました。

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2011年1月27日 (木)

もう一つの記録(2)

「どうちて(どうして)ここは黒いの一つしかないの?」「お友達はいないの?」「パパとママはいないの?」「じぃじもばぁばもいなくて、たびちい(寂しい)って泣いてるの?」と、質問が止まりません。
「そうだね」「そうかもしれないね」と答えながら次に進もうと促しても納得せず「とうだ!(そうだ!)いいこと考えた!」と言ってピアノ室を出ていったかと思うと、子供部屋からいそいそと黒いマジックを取って戻ってきました。黒鍵がここだけ一人で寂しそうだから、隣りにお友達を描いてあげようというのです。慌ててマジックを取り上げたのは言うまでもありません。ちゃんと描ける~!と訴える次女を(そういう問題ではないのですが)抱き抱えてピアノ室を出、嵐のように初めてのレッスンは終わりました…

長女も空想がちではありましたが、次女はその数倍手強いようです。夜寝る時も「今、一人で暗くて泣いてるかな」と、黒鍵のことを案じていました。次のレッスンがあるのかどうかはまだわかりませんが、もし続くことがありましたら、長女の時と同様に、気長に読んで頂きたいと思います。

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もう一つの記録(1)

最近なかなか記事にすることが出来ずにおりますが、長女のレッスンは今も蜘蛛の糸のように細々と続けております。これまでのレッスン内容につきましては「或る記録」としてhttp://blog.auone.jp/lelilasに投稿させて頂いています(3月末まで閲覧可能です。以降は順次こちらに移行予定です)長女とピアノ室に入る時は、いつも一緒についてきてレッスンを聴いている次女が、先日初めて「〇〇もお姉ちゃんみたいにピアノやりたい」と言い出しました。それまでは好き勝手に音を鳴らしているだけで、私が次女に教えるということは一度もありませんでしたので、お試しで初めてレッスンしてみました。

イメージのお話しや、リトミックの要素のものについては、次女は長女のレッスンをずっと一緒に聴いていますので、具体的に鍵盤の、黒鍵が2つと3つのグループになっていることから話しました。グループ全部見つけられる?と聞くと、張り切って「うん!」と探し始めました。ゆっくり確実に2つずつと3つずつを押さえていったのですが、一番下のところまで行って「でも…」と悲しそうな顔になりました。黒鍵が一つしかないところが、とても気になる様子です。

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2011年1月19日 (水)

知性の由来~2008.9.2の記事~

「知性の由来」
R.シュタイナー


例えば、全宇宙の匂いを嗅いでいる存在があります。
それは植物です。植物は宇宙空間の匂いを嗅ぎ、それに従って存在しています。
例えばすみれは何をするのでしょうか。すみれは、その存在全体が鼻なのです。非常に精妙な鼻なのです。すみれは特に水星から流れてくる匂いを嗅ぎ、それに従ってすみれの匂いの体を作り上げています。このことからこう言うことが出来るでしょう。
植物の花は、宇宙全体を嗅いでいる。
植物の葉は、宇宙全体を味わっている。
植物の根は、地球内部を覗き見ている。
それに比べて人間は鼻・舌・眼をもっているのに、それらはあまりにも粗雑になってしまった。

しかしもし私達人間が、植物と同じように嗅ぐことが出来、味わうことが出来、見ることが出来たとしたらどうなったでしょう。
きっと「自分」のことが分からなくなってしまったに違いありません。
何故なら、あらゆる方向から匂いや味、映像が押し寄せてくるからです。
人間は、それらの感覚がごく僅かな能力しか持っていないおかげで、思考を働かせる能力「知性」を獲得することが出来たのです。
人間が、地上の最も高貴な存在になれたのは、脳の中に感覚的知覚がごく僅かしか存在せず、他の大部分が、思考と感情に変化したおかげなのです。
(地上の生活と星々の輝き)

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装飾音符の役割~2008.8.31の記事~

当時、ウィーン国立音大で教鞭を取っていらっしゃったI.L教授が来日され、2日間の特別講座がありました。1日目は「バロック及び古典音楽の楽譜の読み方」2日目は「バッハの装飾音符入門」でした。

L先生は、同じテーマで一年間のプログラムの授業を受け持っていらっしゃるそうです。非常に内容の深いものなので、ウィーンの学生さん達は丸一年かけてこのテーマに取り組むそうですが、今回2回の講座だけではほんのさわりしか出来ません…との前置きがありました。

J.S.バッハ:
インヴェンション
第7番 ホ短調

「何故バッハは、装飾音符を音符ではなく記号で表したのだろうか」

1小節目だけで3つ出てくるモルデントは、全部意味が違うので、同じように弾いてはなりません。

左手の第1音のEについているのは「響きのモルデント」です。一拍目の拍感を示す役割と、ベース音としての役割があります。
右手の3拍目のHについているのは「アクセントとしてのモルデント」です。3拍目としての意識がこのモルデントによって流れなくなるのです。
右手の4拍目のEについているのは「主音を活性化する&主音を保つ為のモルデント」です。モルデントにより、E音が生き生きとその役割を果たします。

この3つのモルデントは、音符として記譜することが不可能なのです。バッハが求めているものを、このようにモルデントの記号から読み取って下さいとL先生は仰いました。
(2日間の講座の終了後、頂いたプリントや、その時記録したメモをもとに、レポートとしてまとめましたが、30ページ以上にもなってしまいました。また少しずつ、御紹介出来れば…と思います)


装飾音符の役割~2008.8.31の記事~

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2011年1月17日 (月)

姉妹の願い

或るところに、仲の良い姉妹が住んでいました。二人は普段は良い子でしたが、時々酷く我が儘になりました。或る夜、二人はまた我が儘を言い出し、ママに聞き入れてもらえないとわかると「○○してくれないママなんていらない!」と叫びました。すると、雷鳴の轟きと共に魔物が現れました。

「お前達がいらないというのなら、私が戴くことにしよう」

そう言うと魔物は、ママを頭からムシャムシャ食べてしまいました。姉妹はあまりの恐ろしさに気を失い、夢の中で魔物の声を聞きました。

「お前達が良い子になるというのなら、ママを返してやろう」

姉妹は必死に良い子になると約束をし、同時に目を覚ましました。いつも添い寝をしてくれるママが隣りにいるはず…二人の目に入ったものは、かつてはママだったであろう肉の塊…枕に染み込む血の跡でした…





毎晩子供達の枕元で、本の読み聞かせをしたり、私の作ったお話しを聞いてもらったりしています。このお話しは長女の、凄く怖いお話しが聞きたいというリクエストに応え「猿の手」をヒントに即興で作ったものですが、恐過ぎたようで、二人共震え上がってしまい、却って寝かしつけるのに苦労しました。

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2011年1月15日 (土)

エレジー(3)~2008.8.27の記事~

18小節目の4分休符「4分休符は全てであって、未来をも予感させる」とH.K先生は仰っていました。未来を予感させる休符…音のない部分が醸し出す、言葉にならない言葉…そこに希望の光を見いだすように弾く…最も難しいことかもしれません。

22小節目からは更に新しく、音楽の言葉であるように…

26小節目のフォルティッシモは、人生とは何と残酷なものなのだろうと感じるところだと言われました。

26~27小節と28~29小節は同じ音型ですが、テラッセンのようにはせず、エネルギーは落とさずに変化だけを感じます。右手はこの後デュエットとなり、フォルテで歌い上げます。


(エレジー4に続きます)

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エレジー(2)~2008.8.27の記事~

思いの強さと音の大きさとは比例しません。左手がロシアの荒野のような情景であるならば、右手の第一音のGesは、その情景の中に佇む人の心を表しています。取り乱してはいない、でも思い出す度胸が締め付けられて、心の置き所がなくなってしまうような思い…Ges音にその思いを捧げるのです。強烈な思いではあってもフォルテではないその音を、消えていく音の襞まで聴き入ります。あくまでも冷静に、自分の心の中にだけ存在するその人のことを思いながら…

現実を見つめているのではないそのメロディーは、微妙に様々な変化をしていきます。悲しみ・やるせなさ・無機質な波のような動き…その中にほんの少し、希望の光が差し込む場面があります。

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エレジー(1)~2008.8.27の記事~

「エレジー」
作品3ー5
ラフマニノフ作曲


ロシア人は、その悲惨な歴史ゆえに、アイデンティティを求め、憧れと怯えを心に秘めている…
H・K先生に初めて「エレジー」のレッスンをして頂いた時に、言われた言葉です。テクニックではなく、真実を求めるロシア人の心・魂がこの曲を弾かせる…
「エレジー」はお墓の側で、亡くなった人のことを思い、悲しみ、心を痛める、その思いを歌で表したものです。嘆くようなメロディーでありながら、心は落ち着いているのです。ロシアの果てしなく続く景色・闇…左手のオクターヴは深く暗く、8分音符はメロディーのように歌うのではなく、ハーモニーとして捉えます。右手は左手とは別世界の音、心からの訴えの第一音からメロディーが始まります。

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2011年1月 4日 (火)

極北の夜空に(6)

トロムソのオーロラの見事さに私達が興奮して騒いでいる横を、地元の、おそらくお仕事帰りの方が、空には目もくれずにスタスタと通り過ぎていきました。こんなにも美しい神秘の光景も、日常のものとなってしまうと何の感情も呼び覚まさないのでしょうか。チラリと振り返ることもなく家路を急ぐその人の後ろ姿を眺めながら、その場にいる人達は皆顔を見合わせて苦笑しました。

トロムソからオスロへ移動し、デンマークのコペンハーゲンへ立ち寄ってから日本へと帰る飛行機の窓の外に、思いがけず色づく光が現れました。あれもまたオーロラだったのでしょうか。首が痛くなるまで見上げていたオーロラが、同じ目線上にあるのだとしたら、それはとても不思議なことです。色彩も輝きも全く異なるオーロラを二度も(三度も?)観ることが出来、私はとても幸せでした。

遅くなりましたが、新年明けましておめでとうございます。拙いブログですが、今年もどうぞよろしくお願い致します。

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極北の夜空に(5)

トロムソでの最初の夜、珈琲を飲み終え、外に出て間もなくのことです。イエローナイフの時のように、夜空にス~ッと白い線が通るのを見て、私にはすぐわかりました。間もなくあの光り輝く夜空の神秘が繰り広げられるのだ、と…やがてそれはイエローナイフの時と同じようにフワリフワリと揺れながら空いっぱいに広がる光のヴェールとなりました。このまま地上に降りてくるのではないか…手を伸ばせば届くのではないか…そう思われる程近くにオーロラを感じました。紫とピンクが入り混じり、暖かさと柔らかさも感じられるその輝き…厳しく凜と澄んだ遠い空に、冬の女王のように気高く存在していたイエローナイフのオーロラ。女神の纏う優美な純白のドレスが夜空に揺らめきながら広がり、色づいていくのを共に眺めているようなトロムソのオーロラ。その在り方も色合いも違うのに、どちらも素晴らしい美しさでした。

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極北の夜空に(4)

帰国後、またオーロラを観たいという強い思いが私の中で膨らんでいきました。ノルウェーでもオーロラを観ることが出来ると知り、初冬のトロムソへと向かいました。過酷な気候のイエローナイフと違い、日本と変わらない服装で過ごすことが出来ました。暖冬の為、雪もほとんど降りませんでした。そしてオーロラを観ることの出来る時間帯も夜の9~10時前後で、滞在しているホテルの庭先で観ることが出来ると言われました。夕食を済ませ、部屋でくつろいでからロビーへ降りていくと、もう十数人が珈琲を飲みながらスタンバイしていました。イエローナイフでは、毎晩夜中に起きて防寒具に身を包み、バスで郊外まで行っていたというのに…トロムソでは、食後の散歩のように気軽にオーロラを鑑賞出来るのだ…喜ばしいことの筈なのに、何故か私の心の中は複雑でした。

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