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2011年2月

2011年2月 2日 (水)

夜毎の囁き

大人はもうこれ以上大きくならないから
まだ起きていても大丈夫なの

でもね
まだ小さな子供は
沢山寝ないと大きくなれない
だから
そろそろベッドに入らなくてはいけない時間

〇〇も△△も知ってた?
夜9時を過ぎると
透き通ったお化け達が
ウヨウヨと空を飛び始めることを…
透き通っているから
子供達が寝室の窓から外を覗いても
何も見えない

でも本当は
薄いガラスを隔てて
お化けはすぐ目の前にいる

夜9時を過ぎても寝ない子供の頭の中は
その日にあった楽しい出来事でいっぱい
夢の中で整理して
大切に仕舞うとそれは思い出になる
でも夜更かしをしていると
思い出にならずに散らかったまま

透き通ったお化けは
子供の楽しい記憶が大好き
バクのようにその宝物を平らげて
もっともっとと夜更かしをさせる

透き通ったお化けに食べられてしまった記憶は
もう二度と戻らない

ほら
透き通ったお化けはもうそこに来ている
楽しい出来事があればある程
記憶は美味しくなるから
「まだ寝たくない!」って頑張っている子供を見つけては
ガラスの向こうで舌なめずりをしている

だから
もうそろそろ…寝ましょうね…

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レチタティーヴォとアリア(4)~2010.10.11の記事~

6小節目のAdagio部分はまた、エヴァンゲリストの語りであり、レチタティーヴォからアリアへと移る場面でもあります。Adagio ma non troppoからの和音の連続は、J.S.バッハのマタイ受難曲の冒頭の、ゴルゴダへのイエスの歩みを思わせる弦楽器のイメージです。9小節目のArioso dolente 嘆きの歌の部分からアリアとなります。ここには「神様は私をおいていってしまわれた…」という歌詞がふさわしいとD先生は仰いました。シューベルト、或いはシューマンのリートと捉えることも出来ます。十字架を背負うイエスの歩みのような弦楽と共に淡々と歌われるアリアです。和音の変化は常に両ぺダルと一体であり、12小節目は特に注意深く耳を傾けなくてはなりません。

20小節目の3~4拍目は、自分の心を信じるように…21小節目の右手のAs~GはゆっくりとEndするように…

(レチタティーヴォとアリア5に続きます)

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レチタティーヴォとアリア(3)~2010.10.11の記事~

この和音を押さえておくことにより、ペダルを自由に踏み替えることが出来ます。チェンバリストには厳密に書かれた音がなく、その自由さも自然なものなのだということでした。

Piu AdagioのDesからのメロディーラインはイエスの「神よ、何故私をお見捨てになったのですか」という最期の言葉がふさわしく、イエス自身ではなくエヴァンゲリストの語る客観的な視線の音楽のように感じられます。

5小節目の左手のH、Dis、Fis、Aの和音もやはり、チェンバロであれば、アルぺジォで弾くのがふさわしいでしょう。右手のAの連続は、D先生の、イエスの受難とはまた違ったファンタジーの中では、秘密の恋人に対する溜め息です。アントニアという、夫も子供もいる女性に対しての思いが募り、結婚出来ないとわかっていても、その心を押し止めることが出来ない…Aの連続はアントニアへの思いの表れなのです。

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レチタティーヴォとアリア(2)~2010.10.3の記事~

「このAdagioは、受難曲のレチタティーヴォ、エヴァンゲリストの言葉を表現しているように感じられます。長い6小節目まではまだアリアは始まってはいないのです」

この厳粛なmollの音楽が、D先生の解説によって、受難曲の一端のようなイメージとなって私の胸に迫ってきました。教会の中で、チェンバロやパイプオルガンと共に語られる受難の物語…それは美しいだけでなく、悲しく壮麗です。1小節目から全てが正確でなくてはならないのです…とD先生は仰いました。1小節目の右手の4拍目、As~Ges~Gesは天国へと向かう音、そして2小節目の3拍目4拍目の和音には、沢山の秘密が隠されている…

4~6小節目はよりイメージ豊かな場面です。左手のEs~G~B~Des~Eの和音はチェンバロのアルぺジォのような響きです。

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レチタティーヴォとアリア(1)~2010.9.25の記事~

「この世で最も悲しい言葉とは何でしょう?」

以前、6年前の情熱という記事で書かせて頂いたベートーヴェンのソナタOp.110の3楽章についての講座で、冒頭にJ.D先生はそう問いを投げかけられ「それは“キリスト”ヘブライ語です」と仰いました。キリスト教でない私には、衝撃的な言葉でした。イエスの受難を自身の痛みのように感じ、数々の裏切りを自身の悲しみのように味わい、深い信仰と共に音楽と歩んだ方でなければ、発することの出来ない言葉だと思ったからです。私の想像していた言葉とはあまりにも次元が違い、やはりキリスト教の理解なくしては、西洋音楽はわかり得ないとの思いを新たに致しました。

D先生は続けて「最も悲しい調はas-mollで“ゴルゴダ”という言葉からきており“死”という意味があります」とも仰いました。

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