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2011年5月

2011年5月31日 (火)

レチタティーヴォとアリア(5)

アリア部分は特に、呼吸も重要です。歌手は声がなくてはなりません…とJ.D先生は仰っていました。フレージングを、声楽の呼吸のように意識しなくてはならないのです。特に大切で、注意しなくてはならないのが、弱音で低音のフレージングの締めくくり、そしてその後の呼吸です。長い呼吸で大切に歌われるアリアは24小節目のAsで終わります。コントラバスを思わせるオクターヴへはペダルも指も絶対に繋げてはいけません。演奏者自身はもちろんのこと、聴衆にもその終息は感じられ、受難を物語ってきたアリアから低音の弦楽へと移り変わる様子が、まざまざとその音楽に示されていることがわかるからです。一つの場面が終わり、劇の幕が降り、新たな物語へと移行する前の暗転のように静かでありながら、全く違う性質を見せるであろう音楽への期待をも滲ませる、美しいオクターヴのレガート…それは重要な間があってこそ、より際立つのです。

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忘れ去られたキャンディー(2)

もし人間の子供が「あっ!こんなところにキャンディーがあった!」って食べてしまっても、中身は虫だなんて、気づかないかもしれないね。このキャンディー、シャリシャリしてるなぁと思ったら、それは何十本もある虫の脚かもしれない。ママも間違えて食べちゃったことあるかも…

その虫、キャンディーだけでなく、チョコレートも大好きなんだって。中に生キャラメルやクリームの入ったものが特にお気に入りで、クリームの中にドップリ浸かりながら、沢山ある脚でかき集めてベロベロ舐めまわしてるんだって。クリームを食べて大きくなった虫は、体も柔らかくて、かじった時の食感もそっくりらしいから、知らないで食べてしまってもますますわからないね。こっそりチョコレートを割ってみたら、クリームの部分いっぱいに大きくなった虫が、口だけ動かして出てくるかもしれない。

そのキャンディー、食べる前に、中に虫が入っていないか確かめたほうが良いんじゃない?今割ってあげるから…

「うわぁ~!やめて!割らないで!」

(終わり)

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忘れ去られたキャンディー(1)

あれ?そのキャンディーどうしたの?だいぶ前のみたいじゃない。包み紙が張り付いちゃって、綺麗に剥がれないね。ずっと前のお出掛け用に、ママがポシェットに入れてあげたものじゃなかったかしら。

人間に忘れられて、放っておかれたキャンディーには、目に見えないくらい小さい虫がコッソリ寄ってくるんだって。包み紙に、やっと通れるくらいの穴を空けて(もちろん人間の目には見えない小さい穴よ)少しずつ少しずつ食べ進んで、キャンディーの真ん中まで辿り着いたら、そこを巣にして過ごすんだって。毎日毎日周りのキャンディーを食べて生きていて、食べた分だけ大きくなって、その巣の中で身動き取れないくらい太ってしまうそうなの。キャンディーばかり食べて育つから、体の色もキャンディーそっくりで、甘い匂いがして、舐めても甘いんだって。

形はゴキブリに似ているらしいんだけど、ずっと動かずに過ごしているから、ゴキブリのように素早く走ることも飛ぶことも出来ないの。ただキャンディーの中でジ~ッとして、口だけ動かして甘い壁を食べ続けてる。

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ランブラス通りにて(2)~2008.10.26の記事~

私達の少し前を、黒いバックパックを背負った日本人らしい男の人が歩いていたのですが、その黒いバックパックの一部がキラッと光ったように見えた直後、右から伸びてきた手が財布を抜き取り、消えてしまいました。それは文字通り、あっという間の出来事だったのです。混雑の中、その男の人に近づいて知らせることも、財布を盗んだ人間を見ることも出来ませんでした。あの時キラッと光ったように見えたのは、ナイフだったのかもしれません。私は慌てて自分のバッグを掴みました。ファスナーが全開になっていて仰天しましたが(ほんの少し前に閉まっているのを確認したばかりだったのです)幸い何も取られてはいませんでした。その後はとてもパレードを楽しむ気分にはなれず、只々友人達とはぐれないように気をつけながら、人波が途切れるのを待ちました。

私の知り合いの方もスペインで、路地を一人で歩いていた時に男3人に囲まれ、たすき掛けしていたショルダーバッグの紐をナイフで切られて盗られてしまったと言っていました。スペインばかりが危ない訳ではないと思いますが、旅行中はつい開放的な気分になってしまうので、気をつけないといけないですね。

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ランブラス通りにて(1)~2008.10.25の記事~

スペインのバルセロナに着いたのは、或る浅春の昼下がりでした。ロンドンで3日過ごした後でしたので、一点の曇りもなく晴れ渡った空の青さは目に眩しく、胸の奥まで染み込んでくるようでした。自由奔放な若者のような、他を圧倒しながらもむしろそれが心地良く感じられるような…バルセロナの青空にはそんな爽快感がありました。ガウディが設計したというユニークなホテルにチェックインし、早速友人2人と外出しました。その日の夜はランブラス通りでパレードが催されることになっており、街の人々も心なしかソワソワしているようでした。日が暮れるに従って、仮面やパレードの衣装を身に纏った人々が街に溢れ出し、気分も高揚していきます。いよいよパレードの始まる頃には、ランブラス通りはまるで満員電車のような混雑を見せていました。華やかで、さすがスペインと思わせるような奇抜なパレードの連なりに、皆熱狂し、興奮状態となっていた時、私は或る事を目撃してしまいました…

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2011年5月21日 (土)

高瀬舟(2)~2008.10.20の記事~

私はビックリして、何も言うことが出来ませんでした。しばらくして落ち着いた祖母は「何て良い話なんだろう。心が洗われたよ」と言いました。昔も読んだことはあったが、こんな風に心に染み入るように感じたのは初めてだと…実は私もそうでした。何十回となく読んでいる筈なのに、この時程この短編に心打たれたことはなかったのです。きっと声に出して読んだせいなのでしょう。そして、聞いてくれている人がいた為に、行間を感じ、セリフの息遣いも意識し、一人で黙読している時よりも感覚をフル回転させて読んでいたのだと思います。高瀬舟の上で交わされる静かな核心的な言葉、互いを思い合う兄弟、そして「“足る”ことを知る」ということ…全てが、あまりにも私の感覚から遠く、潔い美しさでした。家族の為に自ら死を選ぶことが出来るでしょうか。今持っているもので満足し、何も望まずに幸せを感じることなど出来るでしょうか。そのような「悟りの境地」とでも言うべき清らかさを、目の前で自然体で見せてくれている喜助の存在を、私もその場で、奇跡を見るような思いで共に体感したのでした。

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高瀬舟(1)~2008.10.18の記事~

祖母がまだ生きていた頃、夜中に祖母の部屋のベッド脇に座って過ごすことがありました。日中寝過ぎてしまい、眠れなくなった祖母と、超のつく程の夜更かしだった私…祖母の部屋の前を通る時、たいてい声がかかります。ベッド脇に椅子を運んで腰掛け、たわいもない話をしながら、お互いに自然な眠りが訪れるのを待つのが常でした。

或る時、祖母が珍しく「何か本を読んで欲しい」と言いました。その時ふと思いついたのは森鴎外の「高瀬舟」でした。誰かの為に朗読するということに少し緊張しながらも、丁寧に心を込めて読みました。最後の一文を読み終えても祖母は何も言わず、目を閉じています。眠ってしまったのかと覗き込むと、何と祖母は泣いていました。

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光の橋~2008.10.14の記事~

ハンガリーのブダペストを旅した時のことです。

「夜景が世界一美しい」と聞いていたので、昼間の観光を楽しみながらも、陽が落ちるのを待ち焦がれていました。レストランでの夕食後、ドキドキしながら車に乗り込み「くさり橋」と呼ばれる橋の前に来た時、私は思わず「あっ…!」と声を上げてしまいました。それは一瞬、現実の光景かと目を疑うような輝き…昼間も見た橋なのに、同じものとはとても思えませんでした。光輝くその橋のあまりの目映さに只々ウットリと魅入りました。その名の通り、電球の連なりが鎖のネックレスのように橋を彩り、輝いているのです。周りにその光を妨げるようなネオン等何もなく(今もそうなのでしょうか)橋は歴史の重みを纏ったような夜の中、静かに神々しく輝いていました。この目の前の光景よりも美しい夜景が果たしてあるだろうか…心打たれるその静かな輝きに、まだ夢の中にいるように感じながらそんなことを思いました。

くさり橋の近くに住んでいる人々は、この現実とは思えない程美しい夜景を日常のものとしているのです。この光の橋を映す瞳は我々とは違う深みを帯び、その潜在的美意識は比べ物にならない程高められているに違いありません。

只綺麗なだけの夜景なら沢山ありますが、くさり橋の美しさは、外観の光だけではない、厳かな歴史の積み重ねとでも言うべき、内面からの輝きが素晴らしく、10年以上経った今でも、私の心を捉えて離さないのです。

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2011年5月 9日 (月)

初めての舞台(6)

どのようなピアノかわからないまま会場に赴き、リハーサルの間に出来るだけその状態を把握して臨むしかないのですが、長女はマイペースですので「弾きにくい」と言いながらも、完全に自分の世界の中で、3畳のアビテックスの中にいるように弾いていました。3曲目の自分で作った曲の時だけ、その殻が破られ、会場の隅々まで音楽が行き渡ったような気がします。予定では春休み中に仙台と東京でグランドピアノをレンタルし、違う場所、違うピアノを体験させるつもりでした。私も本番前に、違った環境で長女の音の響きを聴きたいと思っていたのですが、震災後はそれどころではなくなってしまい、10日以上もピアノに触れることなく過ごしてしまいました。その時のことを思えば、今回は出演出来ただけでも良かったのです。次回はそのようなことも頭の片隅に置けるように、準備を進めていくつもりです。

余談ですが、自分の出番を終え、客席で他の生徒さん達の演奏を聴いていた長女が「ショパンって良い曲作るんだね」とヒソヒソ声で言うので吹き出してしまいました。確かに…本当にその通りですが…こんな長女にも、いつかショパンを弾く日が来るのでしょうか。

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2011年5月 8日 (日)

初めての舞台(5)

A.M先生とS先生に勧めて頂き、司会の方にマイクを代わって頂いて、長女の演奏前に、仙台から来たことと、3曲目についての解説を、1分半程お話しさせて頂きました。肝心の演奏ですが…リハーサルで緊張しておいたのが良かったのでしょうか?本番では長女は全くアガらずに弾くことが出来たそうです。

そして、客観的に聴いた私の感想ですが、ホールの大きさにやや適応出来ていなかったように感じました。普段長女は、3畳のアビテックス内で、C1という小さいグランドピアノで練習しています。そこでちょうど良い感覚のまま、数百人単位のホールで演奏した為、小さくまとまり過ぎていたように思います。ピアノの大きさもC7ぐらいだったのではないでしょうか。ピアノという楽器は他の楽器のように、自分が普段から使い慣れたものを持ち歩くということが出来ません。

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2011年5月 2日 (月)

初めての舞台(4)

(3)その光から、雨のように雫がキラキラと落ちてきます。それはただの水ではありません。神様がくださった特別な水だったのです。
最高音のHとCをトリルでキラキラと、輝く雫のように響かせます。そして(1)から踏み続けていたペダルを、ゆっくりと消えていく音に添うように上げていきます。

(4)口元に落ちてきたその雫を飲み、男の子は生き返るような気持ちになります。やがて眠くなり、男の子の魂は飛んでいきます。
再びペダルを踏み、2点ECDEDCをゆっくり弾き、男の子が生き返っていく様子を表します。ペダルをフワリと離し、魂が飛んでいく様子を表します。

(5)男の子の肉体に魂が重なり、目が覚めると自分の家にいました。神様が助けてくれたのか、それとも全てが夢だったのか…わからないままです。でも男の子の唇には神様の雫の感触が残っていました。
ノーペダルで、一音ずつ噛み締めるように1点EDCHAと弾きます。それまで求められていた神秘的な雰囲気ではなく、現実的な響きで終わります。

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初めての舞台(3)

タイトルは「神様の雫(しずく)」です。5つの部分に分かれています。言葉で説明すると大仰になってしまいますが、実際の演奏時間は2分弱くらいだと思います。

(1)真夜中の森の奥の暗がりに、両親とはぐれた男の子がいます。あまりの暗さに、その子はお父さんとお母さんを探すのを諦め、もう逢えないかもしれない、自分は死ぬかもしれないと思います(そのような気持ちを“絶望”というのだと話しました)
ダンパーペダルを踏み込み、低音をクラスターで5回響かせます。夜の闇が深く沈んでいくまで聴き入るようにします。男の子の絶望と闇が溶け入るように感じられるまで…

(2)黒雲の隙間から、天国の明かりが漏れ見えます。普通、生きている人には見えないものなのですが、死のうとしている男の子には、その光が見えたのだそうです。
(1)の部分のペダルは踏んだまま、闇が微かな光で遠退いていくように消えていくクラスター音を聴き、高音部分をその時の気分と雰囲気で重ねていきます。

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初めての舞台(2)

曲目は、ポーランドの子供の為の曲集から、リビツキ作曲の「あこがれ」「小川」そして、即興的要素の強いもう一曲の3曲を予定しておりましたが、その即興のイメージを膨らませながら、何度か練習をした後、長女が「○○が自分で作った曲弾いちゃダメ?」と言い出しました。その練習していた曲が、音と音型の指示等はあるものの、自由に繰り返したり、ペダルで繋げたりして良いというものでしたので、それならば自分で作ってみたいと思ったようなのです。

「夜の森にね、お父さんとお母さんと迷子になった男の子がいてね。あんまり真っ暗だったから、お父さんとお母さんを探すのを止めて、もう自分は死んじゃうのかなって思ったの…」

いきなり曲のイメージを話し出す長女に、私は慌てふためき、急いでメモを取りました。本番までの間にそのイメージは更に膨らみ、小さなお話しのようになりました。最終形をこちらに載せたいと思います。

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2011年5月 1日 (日)

初めての舞台(1)

昨日、長女は初めてのピアノ発表会に出演しました。一月中旬にA.M先生からお話しがあり、プログラムに名前を載せて頂いた後、あの震災がありましたので、出演は難しいかもしれないと諦めかけていたのですが、仙台~東京間の新幹線が予定より早く復旧し、無事帰省することが出来ました。28日の午後、長女が学校から、次女が幼稚園から帰るのを待って夕方の新幹線に乗り、29日はA.M先生にレッスンして頂き、昨日30日は会場でリハーサル後に本番という強行スケジュールでした。

予定では、3月の春休み中に帰省してA.M先生に長女のレッスンをして頂き、仙台に戻ってから本番までの一ヶ月は、私が先生から御指導頂いたことをもとにレッスンをして本番を迎える筈でした。春休みの帰省が叶わず、本番の前日まで一度も先生に聴いて頂けませんでしたので、ケロリとしている長女とは対照的に、私はとても不安でした。

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