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2011年6月

2011年6月27日 (月)

春の風景

毎年5月には、主人の実家近くにある菜の花畑へ行くのが恒例となっています。例年は屋台が出ていたり、催し物があったりと賑やかなのですが、今年は震災の影響で自粛しており、花だけが例年通りということでした。

車窓から遠目にその花畑が見えた時、長女が「わぁ~卵ふりかけみた~い!」と言いました。緑と茶色の大地の中に、そこだけフワフワと優しい黄色の花畑が広がり、毎年見ている光景ではあっても、今年は一段とその彩りに心打たれました。

花畑の中には道が出来ていて、子供達が少し先へ行くと、全く姿が見えなくなってしまいます。子供達を追いかけながら、スティーブン・キングの「とうもろこし畑の子供達」を思い出して背筋が寒くなり、慌てて二人の姿を探しました。

添付した写真は、菜の花畑とその奥の木が、葉祥明さんの絵のようだと思い、携帯で撮影したものです。あの美しさが少しでも伝われば…と思います。


春の風景
春の風景

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輝きと共に(3)~2008.10.31の記事~

先生方の言葉には音楽への崇拝と、凡人の私には想像もつかない程の深い芸術性が感じられました。何よりも素晴らしいのは、そう仰った後に「このように…」と弾いて下さることでした。H.M先生もまた、太陽の上昇のようなクレッシェンドのお話しの後、その部分を弾いて下さったのですが、本当に上昇と共に輝きが増し、頂点の光のところではスローモーションで音色の維持と変化を見せて下さいました。鳴り渡る輝きのフォルテと続く煌めきのデクレッシェンド…そのダイナミックでありながら、繊細な光の強弱を、私は直後に自分も同じ部分を弾かなくてはならないことも忘れて、聴き入っていました。

この曲は3人のロシア人の先生にレッスンして頂きました。H.M先生の音楽はCantabileの部分だけでなく、全てが華やかで光に溢れ、色彩豊か…N.S先生からは厳密なアナリーゼと、両足のペダルの融合を教えて頂きました。この時程ペダルを意識し、また今までいかにペダルを疎かにしていたかということを感じたことはありません。Y.L先生の音楽は愛に満ち溢れ、ヴァリエーション一つ一つの変化を心から楽しんでいらっしゃるようでした。音楽に対する純粋な愛情を、私に示して下さいました。

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輝きと共に(2)~2008.10.30の記事~

左手の、小舟が水面で揺らいでいるかのようなゆったりとした動き…その上に星のようなオクターヴのテーマが乗るのです。シンプルに上昇した後、ダイヤモンドダストのようにキラキラと輝きながら舞い落ちます。この時左手の揺らぎは乱れてはいけません。右手の16分音符の輝きと、8分音符のアクセントを表現しながらも、左手は別人格のようにバスの進行と和音変化を感じながら、水面を乱すことなく美しく進む小舟のように演奏します。続くトリルもまた、水面に反射して煌めく光のように…メロディーとバスの進行を妨げないように…

H.M先生は112小節目から113小節目にかけての右手のパッセージについて「太陽が上昇するにつれて輝きが増すように、このメロディーも上昇と共に光り輝いて欲しい。それが結果的にクレッシェンドになるのが望ましい」と仰っていました。

113小節目の最初の6音はデクレッシェンドですが、輝きと煌びやかさを欲する部分なので、それをメゾ・スタッカートとダンパーペダルで表現して欲しいということでした。

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輝きと共に(1)~2008.10.27の記事~

シューマン:
ABEGG変奏曲
作品1より
Cantabile

タイトル通り、アベッグという架空の令嬢の名の綴り“ABEGG”をそのままモティーフとしているこの曲は、愛らしいテーマに始まり、緊張と性格の多様さを示すvar.1、対話と和声のvar.2、エチュードのような性質のvar.3…と、様々な表情を私達に見せてくれます。中でもvar.4にあたるCantabileは非常に美しく、時空間を駆け抜けていくようなvar.3とのコントラストが際立っています。

cantabileは、宇宙空間にいるかのような浮遊感と、それでいて星を掴むようなオクターヴの意識と安定感があり、そのテンポゆえに、手の内を全て聴衆にさらけ出してしまうことになります。左手で示されるゆったりとした揺らぎ…そのテンポもフレーズ感も、指先の緊張感の上に成り立っています。

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日常のヒトコマ(2)

星達が沢山住んでいる星に、星として生まれたかったと言うのです。もしそのような星があるのだとしたら、どのような生活をしているのでしょうか?夜空に輝く星々は、その星からお仕事としてやってきているのでしょうか?交代で夜空を彩り、家族の待つ家へ帰るのでしょうか?もう少し長女と話したら、新しいお話しが生まれそうです。

お誕生日や七五三のような記念日には、スタジオで長女も次女もドレスアップして写真を撮ってもらっています。ウィッグでボリュームを出し、ティアラやネックレスをつけ、お化粧をしてもらうと、二人共別人のようになります。撮った写真はいつも両親にプレゼントしているのですが、或る時その写真を見た父が、ふざけて「じぃじもドレス着てみたいな~」と言いました。言われた次女は驚き「じぃじに入るドレチュ(ドレス)あるかなぁ」と眉間にシワを寄せて悩み「ママ、じぃじが着られるドレチュあるか電話ちて聞いて。なかったらじぃじ泣いちゃうかも。かわいとうだね(可哀相だね)」と真剣に言いました。次女はいつでも本気なのです。

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2011年6月26日 (日)

日常のヒトコマ(1)

或る休日、家族で出掛けていた時のことです。時折突風のような強い風が吹き、長女は「背中を押してくれてるみたい~」と喜んでいました。そのうち「よっかかっても大丈夫かも?!」と言い出し、追い風にソロソロと身を任せ、次女にも「風によっかかれるよ!」と教えていました。もちろん長女は加減しているのですが、いつでも本気の次女は「○○もよっかかりた~い」と風を待ち、ものの見事にしりもちをついてしまいました。その後「○○はよっかかれなかった…おねえたんはよっかからててもらえたのに…」と、酷い落ち込みようでした。本当に風に寄り掛かることが出来たら素敵ですし、そう信じていた時が遠い昔には私にもあった筈ですが、次女の姿を見るまで忘れていました。

長女が或る時突然「どうして○○は地球に生まれちゃったんだろう?○○星の国に生まれたかった。そしたら、人間じゃなくて星がいっぱいいて、○○も星だったのに」と言い出して驚きました。

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レチタティーヴォとアリア(6)

レチタティーヴォとアリアが終わり、ここからはバッハのコラールを思わせる音楽となります。

「この音楽は、アマチュアの信仰心から歌われるコラールです。その為、あまり長い呼吸ではないのです」

「As-Dur、g-mollは宗教的な調で、マタイ受難曲、ヘンデルの天地創造などで使われています」(余談ですがJ.D先生は、g-mollは“死”を意味する調ですとも仰っていました)

端正な、そして宇宙的なコラールは、教会のパイプオルガンを伴奏に歌われています。その音の響きは、まるで天上にあるかのように、輝きと共に近づいたり離れたりする星を思わせます。

フレージングは文字(言葉)のように…ふさわしくない場面で間を開けると、全てが意味をなさなくなってしまうのです。


ポリフォニーは同じ音で弾いてはいけないのです


(レチタティーヴォとアリア7に続きます)

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