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2011年7月

2011年7月19日 (火)

声質と演技力(3)~2008.11.18の記事~

ミミの心で歌うのではあっても、剥き出しの感情ではなく、オペラという芸術作品の一部としての、美しくデフォルメされたものであるべきです。また、そうしてこそ、ミミという心も姿も美しい女性のキャラクターが生きてくるのです。プッチーニ特有の、メロディーというよりも、エヴァンゲリストのような語り口の部分は特に、演技を意識し過ぎると、ミミの清潔さが失われてしまうような気がします。このアリアはミミの性格そのものなのです…その優しく柔らかいメロディーは、歌詞との連動も素晴らしく、春の雪解けと太陽の暖かさの感動を語るところでクライマックスを迎えます。

「il primo bacio dell′aprile e mio!(4月の最初の接吻が私のものなのよ!)」

厳しい冬の後の春の喜び・太陽の暖かさ・生命の息吹きが、オーケストラと共に輝きを増して表現され、春を待ち焦がれる思いに、私達も強く共感するのです。

(声質と演技力4に続きます)

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声質と演技力(2)~2008.11.13の記事~

「Si,Michiamano Mimi(ええ、皆は私をミミと呼びます)」
「Si」英語で「Yes」に当たるイタリア語ですが、最初のこの「Si」が非常に難しいのです。社会人になってから教えて頂くようになったY・S先生に、数年振りにこの曲を課題として出された時「Si」と歌い出した私は「側にいるロドルフォが感じられないわ」といきなり止められました。オペラの一幕に降り立ったかのような臨場感を求められていたのだと思います。控え目な静かな歌い出しではあっても、舞台からオーケストラボックスを越えて会場の隅々まで行き渡る響きが欲しい、とも…持って生まれた声帯、個性としての歌心、そして歌う技術。加えて演技力が必要となります。ここで言う演技力ですが、声楽という表現方法を最大限に生かした、余分な感情を削ぎ落とした洗練されたものでなくてはならないと思います。側にいるロドルフォに生々しく語りかけるのであれば、それは演劇のほうが良いのであって、オペラという表現方法を使う意味がないと思われるからです。

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声質と演技力(1)~2008.11.10の記事~

プッチーニ
歌劇「ラ・ボエーム」より


一時期、ピアノ以上に、声楽に打ち込んでいた時がありました。音高・音大の7年間はいつも課題に追われていて、じっくりと一曲に取り組むことがなかなか出来ませんでした。自分のペースで勉強出来るようになったのは、社会人になってからです。

発声練習後、コンコーネを1曲、リートを3~4曲、アリアを1~2曲…レッスンの内容はだいたいこのような感じでした。

声楽の場合は楽器を選ぶことが出来ない為、持って生まれた声帯で、自分の声域内の曲を歌うしかありません。特にアリアはリートと違って移調することが出来ませんので、自ずと歌える曲も決まってきてしまいます。

私の最も好きなオペラ「ラ・ボエーム」のミミのアリアを初めてレッスンの課題として頂いたのは、大学に入ってからでした。可憐で控えめで、暖かい愛情に溢れた美しい乙女ミミ…肺を患い、後に愛する人に自ら別れを告げる薄幸の人…そんなミミが、初めてロドルフォに自分のことを語る、あまりにも有名な「私の名はミミ」ロドルフォに促され、控えめに語り始めるのです…

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「音楽と調和」~2008.11.7の記事~

「音楽と調和」
アンリ=フレデリック・アミエル

ああ、ピタゴラスよ
音楽が我々をこうして天空へと運んでくれるのは
音楽が調和であり
調和が完全であり
完全が我々の夢であり
我々の夢が天空にあるからだ…

宇宙の秩序との調和が取れてさえいれば
我々は偉大である必要などないのだ

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2011年7月15日 (金)

“或る記録”のその後

以前、auブログで書かせて頂いておりました長女のピアノのレッスンの様子は、メモを辿りながら一年以上前の状態を記録として綴っていたものですが、こちらに移ってからまた滞ってしまい、気づけば一年半分も遅れていました。

2010年1月からの長女の、私にしか判読出来ないレッスンメモが手元に大量に残っている状態に加え、幼稚園に入園した次女のレッスンもメモを取りながら進めており、教材や練習内容等重複している部分も多い為、ますますワケがわからなくなってきてしまいました。

このままでは、溜まるばかりでますます収拾がつかなくなってしまいますので、夏休みを機に思い切って整理してまとめ、こちらに一気に載せようと考えています。前ブログでは38回まで連載しておりましたので、新しい記事を投稿する前に、こちらも全部一気に移したいと思います。

あまりにもメモが溜まってしまった為、その分は省略し、進行中の記録のみ載せようと考えておりましたが、意外にも長女のレッスン記録を楽しみにしていて下さる方が多く、経過を読みたいという声を戴きました。いつもお読み頂き、ありがとうございます。もうしばらくお待ち下さい。

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2011年7月 1日 (金)

瞳の奥に(3)~2008.11.7の記事~

離れて見ていた時にはあまり目立たなかったのですが、彼女の顔も手も、そして身につけているエプロンも薄汚れていました。眼差しは虚ろで、それでいて悲しみを湛え、どのような日常なのかを想像させました。私は花を買おうと近づき、間近でその瞳を見たのです。深い悲しみの中に潜む、彼女のプライドとしか言いようのないものを…同情から、必要のない花を買うことなど許されない…強くそれを感じました。私に何が出来たでしょうか。私に出来ることといえば、彼女のプライドを傷つけないよう、速やかに立ち去ることだけでした。振り返った時、その姿は「マッチ売りの少女」のように見えました。

同情からの言動が相手を少しでも慰め、少しでも助けになるのであれば、それは良いことなのかもしれません。でもそこに、ほんの僅かでも相手を下に見るような感情があった時、同情は相手を傷つけ、屈辱を与える剣となるのです。私の彼女に対する「可哀想に…お気の毒に…」という思いの中に、彼女を傷つける感情があったのかもしれません。同情とは何なのか、あの時どうすれば良かったのか…彼女のことを思い出す度、今でも私の胸は苦しくなるのです。

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瞳の奥に(2)~2008.11.6の記事~

行く前の不安が嘘のように、モスクワでの滞在は楽しく、充実したものでした。サマースクール参加者のほとんどが宿泊していた音楽院の寮の一室、2人部屋の窓辺に、私は2~3日おきに花を買って飾りました。滞在している間は、自分の部屋のようにしたかったのです。

その日も花を買う為に、私はモスクワで知り合ったばかりの友人達と市場へ向かいました。ロシア語の話せる友人が交渉してくれ、安価で花を購入した直後、私はその老婆を目にしました。髪をスカーフで被い、花を詰めた籠を提げ、一本だけ手に持った花を微かに揺らしながら、市場を虚ろな目で眺めていました。私は後悔しました「このおばあさんから花を買えば良かった」と…友人達は止めたほうが良いと言いましたが、私はその人のほうへ歩いていきました。

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瞳の奥に(1)~2008.11.3の記事~

モスクワ音楽院のインターナショナルサマースクールに参加する為、モスクワへ赴いたのは、ソ連が崩壊してから数年後の夏のことでした。

貧富の差が広がりつつあること、ストリートチルドレンが増えていること、軍服を身に纏い、武装した兵士達が街中を歩いているということ等、日本で入手出来る情報は、渡航前としてはあまり気分の良いものではありませんでした。日程の関係で、日本から参加する人達と行きは一緒なのですが、帰国の時は一人で帰らなくてはいけなかったこともあり、心細さもありました。とは言え、憧れの音楽院に足を踏み入れ、勉強出来ることを思うと、心が舞い上がるようでした。

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夜の風~2008.11.3の記事~

「夜の風」
F.チュッチェフ


夜の風よ、何に吠えているのか?
取り乱し、何をそんなに嘆くのか?…
ときに微かで悲しげで、ときに騒がしい
そのただならぬ声は何なのか?…
心に直接訴える言葉を使って、謎めいた苦しみをおまえは語り続け、うめき、ときおり心の中をかき乱し、凄まじい音を立てるのだ!…

その恐ろしい歌を歌わないでくれ
太古の混沌の歌、祖先の歌を!
それは夜の魂たちの好む物語
彼らはむさぼるようにこれに聴き入り、死の地平から逃れようと必死にもがき、無限との合一を渇望するのだ!…
眠れる嵐を起こしてはいけない
その下に混沌がうごめいているのだから

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