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2011年8月

2011年8月16日 (火)

オーラに包まれて(3)~2008.12.6の記事~

演奏中のA.S先生のオーラがあまりにも強烈でしたので、私は譜めくりをする度に、そこに割って入るようで、申し訳ない気持ちになりました。少しの邪魔にもならないように、自分を消し、全身全霊で先生の演奏と呼吸を感じ、溶け込みながら譜をめくるよう心がけました。全てのプログラムが終わった時には、私は気力を使い果たしてヘトヘトでした。

間近で凄まじいオーラを感じたことは、その前にもありました。V.G先生にレッスンして頂いた時です。先生が入っていらしただけで、20畳程もある部屋の空気が一変し、そこに存在するもの全て(人も物も)が先生そのもののようになりました。その時は先生が恐ろしくさえ感じました。

V.G先生もA.S先生も、普段のお姿はとても暖かく柔らかい雰囲気でいらっしゃるのです。それがひとたび演奏となると、神秘のヴェールに纏われたようなオーラを発されるのです。あのオーラを感じ、同じ輝きの中に身を置くことが出来ただけで、私はとても幸せでした。

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オーラに包まれて(2)~2008.12.6の記事~

それは何とも形容し難い瞬間でした。御二人の“気”で会場は埋め尽くされ、演奏が始まると、それは更に密度を増していきました。側にいる私が押し返されてしまいそうな程のオーラをA.S先生は全身から発していらしたのです。一流の先生が聴衆を前に弾いていらっしゃるピアノを、これ程の至近距離で聴かせて頂いたのは生まれて初めてでした。演奏中、私は音と光の渦の中で恍惚としていました。このような熱気と音楽の輝きの中に、我が身を置いたことがあっただろうか…と。ヴァイオリンの音はしなやかに舞い、ピアノの音と共に私の体に巻きつくようでした。この輝きの中にずっといたい…終わってしまうことがわかっていても、私はそう願わずにはいられませんでした。

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オーラに包まれて(1)~2008.12.3の記事~

モスクワ音楽院のサマースクールでは、毎晩、隣接するラフマニノフホールで、教授陣によるコンサートが開かれていました。冬のシーズンに向けて、先生方がこのような場で試されるのだと聞き「あれでベストの状態ではないなんて!」と驚いたものです。

或る日、午後のマスタークラスを聴講し、部屋を出ようとした私は、H.K先生もいらしていたことに気づきました。側にはA.S先生もいらっしゃいます。先生も私に気づき、手招きをして下さいました。先生は私が行くなり「Sが貴方に今夜の譜めくりをして欲しいんですって」と仰いました。その晩のコンサートはS.K先生のヴァイオリンで、A.S先生が伴奏だったのです。ベートーヴェンは難しいからと、事前に1冊だけ楽譜を見せて頂き、後は本番で初見で…ということになりました。

本番前、舞台袖で、譜めくりをするだけの私が一番緊張していました。舞台に上がり、A.S先生の少し後ろに座り、ドキドキしながら待っていた時です。調弦を終えたS.K先生がピアノのほうを振り向き、御二人の目が合った途端、凄まじい“気”のようなものようなものが溢れ出し、私はその中に飲み込まれてしまいました。

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愛と音楽~2008.11.30の記事~

「愛と音楽」
エクトール・ベルリオーズ


愛と音楽
この二つの力のうち
どちらが人を最も崇高な高みに上げることが出来るだろう?
それはとても難しい問題だが、私が思うに、答えはこうだ。

「愛は音楽についての知識を与えてくれないが、音楽からは愛についてのアイデアを与えることが出来る」

愛と音楽を何故切り離すのだ?
それらは、魂が持つ二枚の翼なのだ

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見守る…(2)~2008.11.30 長女5歳、次女2歳の時の記事~

その長女は今、卵を割るのと溶くのとにハマっています。朝忙しい時など、つい忘れてコンッ!と割ってしまうと、その音を聞きつけて「〇〇がやるっ!」と飛んできます。初めの頃は見ていられませんでしたが、最近はだいぶ上手になり、卵とボールを手渡して「お願いね」と任せられるようになりました。卵を割る時の長女は真剣な表情ながらも、それはそれは楽しそうで、私は自分が小さい頃、やはり卵を割るのが楽しみだったことを思い出しました。

年末になると、祖母と母が作っていたおせち…幼い頃の私の役目は、栗きんとん用に茹でたサツマイモの裏ごしをすることでした。その頃実家は7人家族。来客も多く、栗きんとんも鍋いっぱい作っていました。サツマイモの裏ごしも大量にこなさなくてはならなかったのですが、まだ小さくて力もなく、急ぐという感覚もなかった私は、お喋りをしたりテレビを見たりしながら、のんびりと手を動かしていました。祖母も母もさぞじれったかっただろうと思うのですが、不思議と一度も「早く!」とか「急いで!」とか言われた記憶がないのです。幼い頃の私も、見守られてきたのだなぁ…と懐かしく思い出しました。

サツマイモの裏ごしの役目は結婚する前の年まで続いていました。早いもので、明日から12月…もうすぐまたあの季節が来るのですね。

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見守る…(1)~2008.11.29 長女5歳、次女2歳の時の記事~

何でも一人でやりたがる時期真っ只中の次女は、いつの間にか一人でボタンが留められるようになっていました。パジャマのボタンは柔らかくて留めやすいようで、お風呂上がりに何度も留めたり外したりして遊んでいます。幼児用のパジャマには、寝相が悪くてもお腹が出ないように、脇腹のところに上下を留めるボタンのついているものがありますね。その脇のボタンを自分で留めようとすると、体をひねらなくてはならないので、難しくてなかなか留められず、悔しがって泣き出す次女を慰めることも度々でした。

先日、お風呂上がりにそれぞれ体を拭いたり、パジャマを着たりしていた時、次女はいつものように体をひねって何度もボタンを留めようと頑張っていました。手を出したくなるのをグッと堪えて見守っていると、とうとう留めることが出来ました。ふと見ると次女の顔は喜びに輝き、私と目が合うと「で・き・た~」と言って、私に誇らしげに脇腹のボタンを見せました。初めて一人で留めることが出来た達成感を噛み締めているようでした。文字通り、次女の瞳はキラキラと輝いていました。

私は声をかけたり手を出したりしないで良かったと、心から思いました。あの瞳の輝き・喜び・達成感の全てを、次女から奪ってしまうところだったからです。それと同時に、長女の時はどうだっただろうかと振り返り、ついつい先回りして手伝ってしまっていたことを思い出し、深く反省しました。

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2011年8月15日 (月)

祖父の背中~2008.11.24~25の記事~

私がまだ小さい頃、夕食を知らせに行くと、いつも机に向かって勉強している祖父の背中がありました。詩吟を教えていた祖父は、詩吟の言葉一つ一つ・歴史・背景等をいつも勉強しており、お稽古の時にお弟子さん達に伝えているようでした。祖父は先生という立場でなかったとしても、きっと変わらず勉強を続けていたと思います。そんな祖父を見て育った私は、学びには生涯終わりはないということを、子供の頃から本能的に感じていました。私も祖父のように、生涯音楽を友とし、学びそのものを喜びとしたいと常々思っておりました。祖父の学びの姿勢は、いつも私の理想であり、目標であったのです。

祖父は体の具合が悪くなっても、詩吟のお稽古はもちろん、公民館長と、選挙管理委員会の仕事も続けていました。選挙が終わり、仕事が一段落して病院にかかった時は、癌が進行し、もう手遅れの状態でした。

入院して数日後、私は祖父の足のむくみが、ひどくなっていることに気づきました。話すこともままならず、辛そうな様子に思わず「おじいちゃん、大丈夫?」と問いかけていました。祖父が何か言おうとしていたので、口元に耳を近づけると、祖父は苦しい息遣いの中「心頭滅却すれば、火もまた涼し…の精神だから、大丈夫だ」と気丈に答えました。

体は病に倒れても、祖父の精神までは蝕まれていなかったのです。私を心配させまいとの配慮からの言葉だったと思いますが、強い薬のせいで意識も朦朧としていたはずです。そういう時にこそ、その人の持つ本質・生き様のようなものが現れるのではないでしょうか。

祖父は辞世の句を残し、まもなく亡くなりました。

一年以上経った或る日、祖父のお弟子さんだった方が2人、ウチに来て下さいました。2人は仏壇の前で祖父に試験に合格したことを報告し「聴いて頂きたい」と、課題を吟じ始めました。私はその時知ったのです。祖父が私達家族だけでなく、お弟子さん達の心の中にも存在しているということを…亡き祖父に捧げられた詩吟はとても神聖で、その場の気が凛と澄み渡りました。

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マドリードで昼食を~2008.11.22の記事~

まだ喧騒前の早朝のマドリード駅で、私達は眠い目を擦りながら朝食を摂っていました。グラナダから寝台列車に乗り、明け方にマドリードに着いたばかりだったのです。日本でも乗ったことのない寝台列車にワクワクしてしまい、良く眠れませんでした。

朝食が簡素なものだったので、普段なら昼食を少し豪華に…と考えるところです。でも、この日の昼食はMcDonaldと決めていました。理由は、世界一豪奢なMcDonaldがあると聞いていたから…

そこは元宝石店だったそうで、佇まいから違いました。中に入ると床は大理石、天井からは煌びやかなシャンデリアが吊され、イートインコーナーは、螺旋階段を昇った2階にありました。豪華な内装であっても、そこはMcDonald、メニューはごく普通なので、何だか安心してしまい、くつろげました。

宝石店や高級ブランド店は、1階が一般的な店舗で、2階がお得意様の為の空間という作りが多いですね。かつては特別な人の為の場所だったのかもしれないなぁ…と思いながら、ハンバーガーを頬張る私達なのでした。

チェーン店ではあっても、やはり地域や国によって違いがあるようです。パリのMcDonaldに入った時は、定番のメニューの他に、ワインやミネラルウォーター、生野菜のサラダ等があって驚きました。フライ類も国によって微妙に違うようです。どこの国か忘れてしまいましたが、チキンナゲットの箱を開けたら、竜田揚げのように大きい塊がゴロゴロ入っていたこともありました。世界各国のMcDonaldを巡るのも、面白いかもしれません。

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2011年8月 6日 (土)

永遠のソナタ~2008.11.22の記事~

「無題」
オシップ・マンデリシュターム


昔、アレクサンドル・ゲルツォーヴィチというユダヤ人の音楽家がいて
シューベルトを弾いていた
澄んだダイヤを愛でるように
思う存分、朝から晩まで
擦り切れてしまいそうなほど
一曲の永遠のソナタを
譜面もなしに弾き続けた…

おい、アレクサンドル・ゲルツォーヴィチよ
通りは暗いだろう?
諦めなさい、心優しいアレクサンドルよ
何をやっても無駄なのだから

あのイタリア人の女の子を
雪のザクザクしているうちに
そりに乗せて飛ばしておやり
シューベルトの飛びゆく彼方に

いとしい音楽のある限り
我らは死など怖くない
向こうには、からすのような外套が
フックにかかっているけれど…

アレクサンドル・ゲルツォーヴィチよ
前から決まっているのだから
おやめなさい、スケルツォを弾くアレクサンドルよ
何をやっても無駄なのだから

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歌の力~2008.11.16の記事~

「歌の力」
サルマン・ラシュディ


歌の力というのは、いったいどこにあるのだろう?多分それは、この世に歌う行為が存在するという、まったくもって奇妙なことに由来している…

人間は指の届く範囲で、音と音の間隔を魔法のように組み合わせ、数少ない音からなる群れを見つけてきたのであり、そこから、音の大聖堂を造り出すことが出来たのだ
それは、数字やワインや愛と同じくらい不思議な錬金術である…

歌は、我々の憧れにふさわしい世界を描き出し、我々自身が願う姿を示してくれる
あたかも我々がその世界を生きるに値するかのように

五つの神秘が、目の見えないものに対する鍵を握っている
つまり、愛するという行為、赤ん坊の誕生、偉大な芸術をめぐる黙想、死や災難との直面、そして人間の歌声を聴くことという神秘だ

これらは世界にかけられた錠がぱっと開くきっかけとなり、その時我々は隠されていたものを垣間見る…

地震の持つ驚くべき暗黒の力
新しい生活の不思議な危うさ
歌うことの輝き…を感じ取った時、大いなる栄光が、突如我々にもたらされるのだ

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2011年8月 2日 (火)

道端のデュランタ

昨日から東京に帰省しています。実家に向かう道すがら、思いがけなく美しい藤色と瑞々しく艶やかな緑に出逢いました。


道端のデュランタ
道端のデュランタ

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予告済みの衝撃

もう数年前のことになると思いますが、或るブログで紹介されていた本がどうしても読みたくなり、本屋さんへと急ぎました。店員さんのPOPがつけられて平積みになっていたそれはすぐに見つかり、私は自分のものとなった本のページを繰りながら、或る誘惑と必死に戦っていました。

ブログの記事にもPOPにも、そして本の裏表紙にも「絶対に先に“最後から2行目”は読まないで!」と書いてあったからです。最後から2行目で、あなたは必ず衝撃を受ける!もう一度最初から読みたくなる!とも書いてありました。

読むなと言われると、どうしても読みたくなってしまうものです。途中何度も、ラスト2行を先に読んでしまいたいという誘惑にかられ、内容に集中するのに本当に苦労しました。ラストに近づくにつれ違和感を覚え、そしていよいよ最後から2行目を読んだ時、違和感の理由がわかって思わず「え~っ!」と叫んでいました。あれ程予告されていたにもかかわらず、本当に驚き、そして予告通り最初から読み返してしまいました。

乾くるみ著「イマジネーション・ラブ」…御存知の方も多いと思います。私にとってはアトラクションのような読書タイムでした。

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