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2011年10月

2011年10月16日 (日)

絶望的な愛(3)~2008.12.20の記事~

V先生のイメージで演奏する場合、敵対と憎悪の部分もやはり、映像的であるほうがバランスが良いような気がします。曲全体が映画のような、少し離れたところからこの物語を眺めているような感覚でしょうか。

これはあくまでも私個人の感想と好みなのですが、この曲の最初と最後で表現される、両家の敵対と憎悪があまりにも激しいので、その中間部が、華やかな舞踏会のシーンを切り取ったかのような映像美のイメージでは、場面が変わる時に違和感が大きいような気がします。憎しみの渦巻く中、未来のない2人の絶望的な愛こそが、この中間部にはふさわしい…胸が痛くなる程の美しさが、ここでは唯一の救いとなっているような気がします。死をもってのみ結ばれる2人の思いが、その美しさを際立たせているのでしょう。

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絶望的な愛(2)~2008.12.20の記事~

同じところをV.G先生は「恋を知る前の、まだロミオと出逢う前のジュリエットのダンスシーン」と解釈していらっしゃいました。ジュリエットはロミオが見つめているのも知らず、婚約者のパリス侯爵と踊っている、そして最後に運命の瞳と出逢うだろう…と。映画のワンシーンのような美しい映像が浮かびます。数分後、自ら命を絶つ程の恋に落ち入るとも知らずに踊る、まだ14歳の美しい少女…

V先生の解釈では、ワルツを踊るジュリエットが、もうすぐロミオと目が合う…というところまでで中間部は終わっているように感じられます。それに被さるように、敵対する両家の憎しみの音楽が再現され、悲しみよりも憎悪を増して最期を迎えます。

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絶望的な愛(1)~2008.12.20の記事~

A(N).G先生は、来日されると毎日のように公開レッスンをされていました。そのレッスン室を提供していらした先生に何年か師事していた関係で、私はA(N)先生という素晴らしい先生に出逢うことが出来ました。私自身も何度かレッスンして頂いた他、来日される度に、時間の許す限り先生の御宅に御伺いしては、他の方々のレッスンをされるのを聴講させて頂いておりました。先生の音、先生の音楽をどれだけ聴かせて頂いたのか、自分でもわからない程です。

私にとって特に印象的で忘れられないのは、プロコフィエフの「ロミオとジュリエット」です。第6曲目の“モンタギュー家とキャピュレット家”の中間のワルツ風のところをA(N)先生が「ここは絶望的な愛です」と仰って最初の8小節を弾かれた時、涙が溢れて止まらなくなりました。それは本当に絶望と、死の覚悟をも感じさせる音と音楽だったからです。

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宝物(2)~2008.12.19の記事~

それに対してママはにっこり笑い、バニーを優しく抱っこしながら「バニーはバニーらしくしていてくれるのが一番よ。だっておかあさんは今のバニーが大好きなんですもの」と答えるのです。

子供にとって、ありのままの自分を受け入れてくれ、そのままの貴方が好きと言ってくれる存在が、いかに大切なものなのかが伝わってきます。繰り返しこの本ばかり「読んで」と言う長女もそれを欲しているに違いありません。ありのままを受け入れる…頭ではわかっていても、とても難しいことです。つい「ああしなさい」「こうしなさい」と口を出し、こういう子になって欲しいという欲も出てしまいます。バニーのママのように、欠点も含め、そのままの貴方が一番好きだと、心から言うことが出来たら、きっと子供達にも伝わることでしょう。寝顔を眺めている時だけでなく、普段も心からそう思い「貴方はママの宝物」なのだと言葉にして伝えることが大切なのだと思います。わかってはいても、つい忘れてしまいがちなこの気持ちを、行動がなかなか伴わないながらも、心の中に留めておく為に、今夜も私はこの本を読んだのでした。

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宝物(1)~2008.12.19の記事~

「いいこってどんなこ?」
作:ジーン・モデシット
絵:ロビン・スポワート
訳:もき かずこ

子供達が寝る前に、絵本を3冊読み聞かせるのが習慣となっています。長女と次女がそれぞれ1冊ずつ好きな本を選び、それだと同じ本ばかり続くことがあって偏ってしまうので、最後の1冊は私が選んでいます。

一時期、長女はこの「いいこってどんなこ?」ばかり選んでいました。子ウサギのバニーがママに、タイトル通りどんな子が良い子なのかと質問をするのです。何度も質問を繰り返すうちに、バニーは自分がどんなにおバカさんだとしても、プンプン怒ってばかりいたとしても、いつも変わることなくママに愛され、自分の存在がママにとっては宝物なのだということを知ります。小さいバニーの最後の質問は「僕がどんな子だったら一番嬉しい?」でした。

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耳に残る悲鳴(2)~2008.12.18の記事~

私は一瞬、自分に何が起こったかわかりませんでした。頭の後ろを押さえられ、言われるがままにそろそろと立ち上がると、祖母と母が「何ともないの?!」と驚きを隠せない様子で聞きました。自分が今まで転んで手をついていたところを振り返ると、ガラス戸が割れて粉々になっていました。転んだ勢いでガラス戸に頭から突っ込んでしまっていたのです。祖母と母は、私が上半身をそっくりガラス戸に突っ込んでしまったのを見て、最悪のことを想像して悲鳴をあげてしまったのだそうです。普通に考えたらそうですが、不思議なことにかすり傷一つありませんでした。私に怪我のないことがわかると、母は物凄く私を叱りました。無理もないことです。すぐにガラス屋さんに来てもらったのですが、4枚あったガラスにはお揃いの模様が入っており、同じものがないということで、私が割ってしまったところだけ、違う柄のガラスが入ることになりました。その後来客のある度に、祖母と母にガラスの模様が一枚だけ違う理由を説明され、居心地の悪い思いをしました。

普段は穏やかで、声を荒げたことなどない母ですが、あの時の悲鳴だけは凄まじく、今でも耳に残っています。

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耳に残る悲鳴(1)~2008.12.17の記事~

小学校時代、二度の転校を経験したせいか、その前の記憶があまりありません。そんな私でも、ハッキリと覚えている出来事があります。確かまだ、小学校に入る前の冬でした。

いつものように、居間で2歳年下の妹と遊んでいた時のことです。テーブルの周りを走っていただけだったのが、いつの間にか追いかけっこになっていました。お互いに段々本気になり、凄い勢いで走っている様子を見て危ないと思ったのでしょう。祖母と母に「転ぶから止めなさい」と何度も言われました。それでも止めずに走っていた私は、テーブルの角に足を引っ掛け、見事に転んでしまいました。ガシャ~ン!という聞き慣れない音と、祖母と母の「ヒィィィィ!」「キャァァァァ!」という悲鳴に驚き、起き上がろうとした私は「動いちゃダメ!」と止められました。

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2011年10月 6日 (木)

内在するテンポ(5)~2008.12.17の記事~

(4)
イタリア語で書いてあるテンポ表記を見ます。最後に必ず見るべきパラメートです。現在のイタリア語のテンポ表記とされている言葉は、古典ではテンポを表すものではありませんでした。Allegroは快活、喜びを表し、Adagioは「人が心地よい感覚」という意味がありました。ヘンデルは、曲の最後の2小節にAdagioをつけることがありました。これは「心地良く終わって欲しい」というヘンデルの意図なのです。メサイアにおいても同様です。テンポ表記ではないということを理解した上でのテンポ設定が大切となります。

以上の4つの項目をチェックしてテンポを設定することにより、古典の時代の音楽の再現をより忠実に行えるということでした。

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内在するテンポ(4)~2008.12.17の記事~

(1)
調性を見ます。
Durはmollよりも速くなります。Durは早め、対してmollはややゆっくりとなります。簡単な調性か複雑な調性かどうかも、重要な手掛かりです。g-moll等変化記号の多いものは緊張感があり、テンポを落とさなくては表現が出来ないので、控えめにしたほうが良いでしょう。

(2)
音程を見ます。
跳躍を多く含んでいるものは、テンポを落とさなくてはなりません。音楽の音色として表現する為、時間を与えなくてはならないのです。

(3)
和音を見ます。
スムーズに流れる協和音に対して、不協和音は緊迫感がある為、同じテンポでは表現出来ません。

例:平均律第1巻より
C-Durのプレリュードとc-mollのプレリュードを比べてみます。調性がmollであることと、不協和音がふんだんに織り込まれていることから考えて、C-Durよりもc-mollのほうをテンポを落とすべきです。

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内在するテンポ(3)~2008.12.16の記事~

ベートーヴェンの音楽は、このテンポシステムには合いませんでした。この比率は古典の特徴の一つではありますが、やはり限られてしまう為、メトロノーム表記をしたいとベートーヴェン自身が希望しています。

基準となるTEMPO ORDINARIOがわかったところで、次に、曲の内容を見て、その基準からどのように変化させるべきかを考えていきます。

バッハのインヴェンションは、15曲中7曲が4分の4拍子です。このテンポシステムに従うと、7曲とも同じテンポということになってしまいます。これではいけません。そこでTEMPO ORDINARIOを基準とし、次の4つの項目を見ていきます。

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内在するテンポ(2)~2008.12.16の記事~

テンポはいつも、偶数で割れる拍子を基準としています。

偶数拍での2分音符(●●)と、4分の3拍子での符点2分音符(●●●)を同じとします。従って3拍子の4分音符は2拍子の4分音符より速くなるというのは、当時の常識でした。このように、テンポは数学的にキチッと決まっており、古典の数学的比率と言われております。モーツァルトは、この比率を非常に大切にしており、ソナタもこの比率での演奏を前提に作られたと考えられています。偶数の拍子の楽章から3拍子の楽章へ移る時は、このテンポシステムに従わなくてはなりません。モーツァルトのソナタを全曲調べてみて下さい…とL先生は仰っていました。

例:モーツァルトのピアノ・ソナタ
C-Dur KV300h(330)

第1楽章の4分の2拍子の2分音符と、第2楽章の4分の3拍子の符点2分音符はイコールとなります。このテンポシステムに従う場合、楽章の間も非常に重要となります。

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内在するテンポ(1)~2008.12.13の記事~

古典音楽を演奏する時、表記されていないテンポを知る手掛かりはあるのでしょうか。

これはI.L先生の研究されている方法ですが、人の持つテンポ「心音と脈拍」からTEMPO ORIDINARIO(通常)MM60~80と設定することで、目安となるそうです。条件に応じて変化する為、幅を20と広く取っています。

テンポはいつも、偶数で割れる拍子を基準に決められていました。まず、2で割れるテンポグループを見ます。4分の4拍子、4分の2拍子、2分の2拍子等の、一番速い(細かい)音符を確認します。16分音符や32音符が多い場合、8分音符をTEMPO ORIDINARIOとすることが出来ます。2分の2拍子では、4分音符が多い場合、全音符をTEMPO ORIDINARIOとすることが出来ます。この当時は、速い・遅いの概念がなく、従ってテンポを変える場合も、倍速くなるか遅くなるかしかなかったようです。

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天井桟敷の片隅で(2)~2008.12.13の記事~

その時の演目は世話物で、喜劇的要素の強い、普段なら大好きなお芝居でした。でも私は舞台に目を向けながらも、心の中の辛い思いに負けそうになっていました。堪えようとしても涙が溢れてきてしまい、周りの人に気づかれぬように嗚咽していました。

ふと気づくと、前列のアメリカ人らしいグループの一人が、私のほうを振り返って見ています。他のお客さん達は皆笑っているのに、どうして泣いているのだろう?と不思議だったのでしょう。彼は何度も私のほうを振り返り、私もその度に無理に笑顔を作っていました。何度目かに振り返った彼と目が合った時、小声で「Are you O.K?」と言われました。その途端、張り詰めていたものが音を立てて崩れ、心の中の辛い思いが溢れ出し、私はうずくまって泣いてしまいました。遠くで聞こえる役者さん達のお芝居やお客さん達の笑い声が、心地良く響きました。

その幕が終わる頃には、心の中にあった辛い思いは、涙に洗い流されて嘘のように消えていました。私は彼のあの一言に救われたのだと思います。

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天井桟敷の片隅で(1)~2008.12.12の記事~

結婚して仙台に越してくる前は、毎月必ず歌舞伎座に足を運んでいました。演目によっては昼夜続けて見ることもあり、朝11時から夜9時前後まで続けて観ても飽き足らずに、幕見にも行きました。数百円で一幕だけ見ることの出来る幕見は、余程の人気の演目でなければ、フラリと行って入ることが出来ましたので、出先から急に思い立って行くこともありました。

或る時、私は精神的にとても辛い状態でした。無性に歌舞伎が観たくなり、歌舞伎座に向かうと、最後の演目が始まるところでした。暗くなりかけた客席に滑り込むと、ちょうど拍子木が鳴り始めました。

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