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2013年4月

2013年4月29日 (月)

春の風景

春の風景
春の風景
春の風景
春の風景
主人の実家近くのレストランで、美味しいランチを戴いた後、菜の花畑へ行きました。

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2013年4月24日 (水)

幼い日

「幼い日」H・ヘッセ


おまえは私の遥かな谷間
魔法にかけられて沈んでしまった谷間
幾度となくおまえは
私が苦しみ悩んでいる時
おまえの影の国から私に呼びかけてくれ
おまえのおとぎ話の目を開いた
すると、私はしばし幻想にうっとりとして
おまえのもとに戻って
すっかり我を忘れるのだった

おお、暗い門よ
おお、暗い死の時よ
私の側に来るがよい
私が蘇って
この生の空虚の中から
私の夢の懐に帰るように

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南太平洋~2009.3.22の記事~

幼少期の数少ない記憶の中に、2枚のLPの思い出があります。幼稚園から帰ると毎日のように、サウンドオブミュージックか南太平洋のアルバムを聴いていました。ロッキングチェアに腰掛け、揺られながら聴くのが大好きで、そのまま眠ってしまうこともありました。LPもロッキングチェアも、母が父と結婚する時に実家から持ってきたもので、その頃の私のお気に入りでした。段々と字が読めるようになってからは、LPの写真を眺めながらあらすじを読むようになり、完全には理解出来ないながらも、美しい音楽はその物語と共に、私の心に刷り込まれていきました。

中でも心惹かれた曲は「魅惑の宵」と「春よりも若く」の2曲でした。柔らかく美しい旋律、甘くとろけるような声、うっとりするようなポルタメント・・・子供心に「何て素敵なんだろう」と聴き惚れていました。

毎日欠かさず聴いていたそのLPもいつしか聴かなくなり、忘れ去っていた思春期の頃、初めて映画を観ました。美しい音楽は昔の記憶のままでしたが、2組のカップルのどちらにも、戦争と人種差別の意識が影を落としているということを知りました。

主役のエミールとネリーよりも、中尉とリアットのカップルのほうが、私は好感が持てました。若さと純粋さがとても美しく感じられたのです。

主役以上に魅力を感じる場合というのは他にもありました。私の愛読書の一つ、トルストイの「アンナ・カレーニナ」でも、アンナとヴロンスキーより、キチィとリョービンのほうが好ましく思えるのです。同性として、アンナのことはあまり好きになれません。ネリーもまた同様です。リアットのことは見守りたい気持ちになるのですが・・・

「アンナ・カレーニナ」と「南太平洋」の両方を御覧になって、私と同じ感想を持たれた方がいらっしゃるでしょうか。

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仕事としての演奏(5)~2009.3.20の記事~

音高音大と、クラシック音楽の中で過ごしているうちに、いつの間にか、クラシック音楽至上主義のようになっていたのだと思います。自分でも無意識のうちに「クラシック音楽が一番素晴らしい」と思い、自惚れていたことを、この経験が自覚させてくれました。様々なジャンルの中の一つとしての音楽、その中で更に枝分かれした一つのクラシックを、普通の人より余分に勉強しただけなのです。そのことに気づかせてくれたこと、即興やアレンジ(編曲)の奥深さや面白さを知ることが出来たこと・・・現役の音大生の時に気づかせてもらえたことは、私にとって何よりの収穫でした。

ピアノ講師となってからも、また別の生演奏の仕事をしていました。そのことについては、また改めて書かせて頂きたいと思います。

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仕事としての演奏(4)~2009.3.20の記事~

どちらのバイトも私にとって、とても貴重な経験となりました。コード演奏やアレンジの勉強になったのは勿論ですが、それ以上に、世間の人達に”音大生”というものがどのように見られているかということを知ることが出来たのが大きかったと思います。

クラシックの有名な曲ばかりいくつも頭出し出来る、ドラマやCM等の曲を聴いてすぐ適度なアレンジで弾くことが出来る、楽譜さえあれば何でも弾くことが出来る・・・世間の人達からはそのように見られているのだということを、強く感じました。私一人と接しただけで、その方々が「音大生といってもたいしたことないなぁ」等と思ってしまったら大変です。そのイメージを壊さないように、必死に頑張ったところもありました。

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仕事としての演奏(3)~2009.3.16の記事~

生徒さん達にとっては、カラオケのような移調奏は出来て当たり前で、私にとっては大変なことだということや、或る程度練習してきていることも、全く御存知ないのです。カラオケ機材と同じ扱い、同じ存在感でした。レッスン時、何でもないかのように生徒さんに合わせて伴奏をしていましたが、内心は冷や汗をかいている時も多々ありました。

もう一つのバイトの予備校は、普段は事務をしており、一般教養として必要な時に演奏をしていました。例えば、アトランタの知識の一部として、映画音楽「風と共に去りぬ」を演奏します。生徒さん達にとって、必要な膨大な知識の中のほんの一部として、音楽がありました。

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仕事としての演奏(2)~2009.3.14の記事~

自分なりにアレンジした伴奏でレッスンに臨むのですが、まだいくつもの難関が待っています。

レッスンでは最初はカラオケは使わず、ピアノだけで生徒さんが歌います。先生が気になるところを注意されたり、部分練習等で何度も同じところを繰り返したりするのに生伴奏はとても向いていて、生徒さん達に好評でした。ピアノの伴奏の時は、生徒さん達は本当に伸び伸びと、自由奔放に歌われます。カラオケの生伴奏者という立場上、100%生徒さんに合わせなくてはなりません。ジャンルこそ違うものの、自分を殺して相手に合わせるということを、本当の意味でこの時学んだような気がします。

もう一つ大変だったのは、キーが合わない場合です。カラオケでしたら、+-ボタンを押すだけで簡単にキーを合わせることが出来ますが、鍵盤ではそうはいきませんので、レッスンまでに、元のキーの他、上下に短2度、長2度、短3度、長3度程度はザッと弾けるよう、移調奏の練習もしておきます。メロディーとコードだけを見ながらの移調奏が、慣れるまで本当に難しく、このバイトで一番苦労したところでした。

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仕事としての演奏(1)~2009.3.14~

音大生の頃、2つの音楽関係のバイトをしていました。一つはカラオケ教室のピアノ生伴奏。もう一つは或る専門予備校での、一般常識(音楽)のクラスのピアノ演奏です。

カラオケ教室は、始めた頃は本当に大変でした。それまでの私は、クラシック以外の音楽では、遊びでジャズや映画音楽を弾く程度でした。ところがカラオケ教室となると、生徒さんの大半が50~60代のおじさまおばさま方で、歌いたいと希望される曲も演歌が9割以上を占めているのです。週一回30分のマンツーマンレッスンで、平均3~4週かけて、じっくりと一曲を歌い込みます。生徒さん御一人御一人は月に一曲ですが、週に何人も伴奏を担当していると、演歌ばかり何曲も練習しなくてはなりません。用意された楽譜はメロディーと歌詞、コードネームが書かれただけのもの。メロディーを弾いてコードを押さえただけでは雰囲気が出ないので、カラオケを聴いては、それらしいアレンジを考えていました。生ピアノで演歌の雰囲気を出すのは、とても難しかったです・・・

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2013年4月13日 (土)

ペダルの融合(5)~2009.3.6の記事~

1小節目は右手左手共に属7の和音の音のみ、3小節目はⅠのみ、5小節目はⅡのみ・・・というように構成されていますので、響きが濁ることはありませんが、共鳴も意識して、大味なペダリングとならないように気をつけなくてはいけないと思います。音楽と共に、ペダルにも絶えず動きがあります。一拍目のベース部分は或る程度踏み込みますが、続く和音部分は、ベース音を残しながらも、薄付きのようなペダルにすることで、右手左手共に生かされるのではないでしょうか。

以前、S.D先生の公開レッスンを聴講させて頂いた時、平均律のフーガを全くのノーペダルで弾いた方がいらっしゃいました。先生は驚かれ「何故バッハを弾くのにペダルを恐れるのですか」と仰いました。そしてペダルをつけてもう一度弾くようにと促されました。フーガはペダリングの中でも究極のものです。何声ものメロディーが入り混じり、それら全てを生かすペダルをつけるのは至難の業です。

(ペダルの融合6に続きます)

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ペダルの融合(4)~2009.3.6の記事~

フレーズ毎のペダルは、歌う呼吸のような、息吹きを思わせるような、瑞々しく自然なものではないでしょうか。メロディーに寄り添い、常に共にあるようなイメージです。この時、気をつけなくてはいけないのは、デクレッシェンドの場合です。クレッシェンドの時は、ハーモニー外の音があっても、ペダルを或る程度踏み続けることは可能ですが、デクレッシェンドの場合は、全体の響きに特に敏感でなくてはならないのです。ペダルを踏み込んだ状態から、メロディーのデクレッシェンドと共にペダルもグラデーションのように上げていき、ハーモニー外の音に違和感を感じさせないギリギリのところまで浅くすることで、メロディーと伴奏のハーモニーの両方が生かされる、美しいペダリングとなります。

このテーマ部分においての伴奏は、ベースと和音だけの、とてもシンプルなものです。その為ペダルのミスは致命的となってしまいます。

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彼女の空腹を満たすもの~2009.2.28の記事~

T.カポーティー「ティファニーで朝食を」

”旅行中”と記された名刺を持ち、荷物はスーツケースと、開かれていないいくつかの梱包箱だけ。霞のように可憐で天真爛漫で、生活というものを感じさせない人・・・初めて原作を読んだ時、きっと私も「僕」だったなら、気まぐれなシャム猫のような彼女に魅了され、彼女と逢えなくなっても、心の中にいつまでもその存在を留めているだろうと感じました。

初めて原作を読んだのは10代の頃でしたが、そのイメージを何年も抱いていた為でしょうか。初めて映画で、オードリー・ヘップバーン演じるホリーを見た時は、原作のイメージと少し違うような気がしました。

いつ何処へ行ってしまうかわからない・・・いつ目の前から消えてしまうかわからない・・・そんな危うい存在感がホリーの魅力の一つではないかと思われるのですが、原作と違うラストといい、その危うさ脆さがあまり感じられませんでした。あくまでも私個人の感想ですが・・・

「僕」の部屋を初めてホリーが訪れ、お腹が空いたと言うシーンがあります。その彼女に対し「僕」が勧めたのは、林檎を盛った鉢だったのですが、初めて読んだ時、10代で食べ盛りだった私は「有り得ない」と思ってしまいました。お腹が空いている時は、炭水化物系が食べたくなるものではないでしょうか。空腹時に林檎・・・今考えても有り得ません。でも、それがまたホリーらしく、似合っているのかもしれません。

最近久し振りにこの本を読み返しましたが、食べ盛りの頃のようにこのシーンに惑わされることなく、物語の魅力を堪能出来ました。同じ本であっても、10代20代30代では感じる部分もかなり違うのでしょう。それにしても、初めて読んだ時に一番印象に残ったのが林檎のシーンというのも、いかにも食いしん坊といった感じで恥ずかしいものです。

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何気ない言葉~2009.2.26の記事~

(これは長女がまだ5歳の頃の記事です)

毎朝主人が出掛ける時は、長女と次女と私の3人で玄関まで行き「行ってらっしゃ~い」と送り出しています。いつも変わらぬ朝の挨拶ですが、或る時長女が出掛ける主人に「また明日ね~!」と元気良く言いました。

確かに、夜主人が帰ってくる頃には子供達はもう寝ていて、次に逢うのは翌日の朝なのですが・・・もっと小さい頃は「また来てね~」と言ったこともあり、思わず主人と顔を見合わせてしまいました。仕事の都合で土日に出勤することもありますので、主人と子供達がゆっくり一緒にいられるのは週に1~2度です。私達大人にとっては一週間はあっという間です。しかし、小さい子供達にとっての一週間は、ずっとずっと長いものなのだと思います。

週に一度では、久し振りの感覚になってしまうのも仕方のないことなのでしょうか。毎日朝食だけは家族4人で・・・と心掛けてきましたが、それだけではまだ足りないようです。長女の何気ない言葉に考えさせられました。

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2013年4月12日 (金)

絵本と映画~2009.2.23の記事~

本屋さんやコンビニで、映画のDVDがワンコインで売られているのを見かけ、自分用に古き良き時代の白黒の名画を数本と、子供達にディズニーのシンデレラを買いました。

子供の頃、実家に映画と同じディズニーのシンデレラの絵本があり、絵に馴染みはあったのですが、映画をちゃんと観たことはありませんでした。休日の或る午後、子供達と一緒に初めてシンデレラを観て、その内容に驚きました。子供達が途中で「怖いよ~!」と言い出してしまい、最後まで観ることは出来なかったのです。

私自身も、子供の頃の絵本のイメージしかなく、懐かしい思いだけで見始めたのですが、継母と義姉達のあまりの陰湿なイジメに驚いてしまいました。絵本にはイジメの細かい描写はありませんし、怒鳴り声や、丁寧なのに意地悪で冷淡な口調等のニュアンスも曖昧になりますので、これ程までとは思わなかったのです。

日を改め、私一人で全部観てみました。シンデレラが身に着けていた実母の形見のドレスを、義姉達がよってたかって破いてしまうところや、ガラスの靴の持ち主を探しに来た王子様の使いの者に逢わせまいと継母がシンデレラを屋根裏部屋に閉じ込めてしまうところ等、大人の私が観ても悲しくなってしまいました。唯一の救いだったのは、シンデレラが意外にも自己主張の強い女性だったところでしょうか(映画の中ではそれも仇となり、余計虐められてしまうのですが・・・)

実家の両親が子供達にと「ダンボ」のDVDを買ってくれました。これもあまりにも可哀想で、胸が痛くなるような場面が続きます。子供達も絵本は喜んで見るのですが、映画はやはり途中で嫌がり、止めてしまいました。どちらもあまり子供向けではない映画のような気がします。

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聞き間違い~2009.2.21の記事~

(これは長女がまだ5歳の時の記事です)

長女が母から、昔の実家の様子を聞いていました。都心のマンションに引っ越す前の実家は、祖父の丹精込めた庭を居間から眺めることの出来る一戸建てで、7人家族でした。部屋数も居間を含めて9部屋あり、そのことを母が「お部屋は全部で九つあったの」と言うと、長女は「みんなの心が一つになったの?!」と驚いていました。

”九つ”を”心”と聞き間違えたようです。その時はまた母と笑ってしまいましたが、もし母が本当に長女に「昔は7人家族で、皆の心は一つだったの」と話していたのだとしたら、それはそれで素敵なことかもしれないと思いました。

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ペダルの融合(3)~2009.2.20の記事~

完全なる音程、完全なる調和・・・2つの音が同時に鳴り響いた時、ペダルによる弦の解放と共に、完全な美となるようなイメージが私の中にありますが、それでいて音そのものはおおらかで、幸福と喜びに満ち溢れた響きでなくてはならないのです。充実した一音一音の積み重ねからフレーズが生まれます。ここではまだ左手のことは考えずに、右手のフレーズのことだけを考えてペダルをつけます。N.S先生は「左右、片手ずつペダルをつけなさい」「両手にした時、それをどう融合するかはまた考えなさい」「片手ずつのペダルと両手のペダルは、全く違うものとなるが、そのプロセルが必要なのです」「ペダルとは第3第4の腕です」と仰っていました。

(ペダルの融合4に続きます)

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ペダルの融合(2)~2009.2.18の記事~

そして、一音ずつのペダルですから、踏み込みも極浅いものとなります。オクターヴの一つ一つが、色づくように香り立つように、細心の注意を払い、聴き入りながら踏み替えていますと、オクターヴの響きが本当に美しく、伸びやかに感じられてきます。このテーマが全てオクターヴで歌われているということの意味を改めて感じました。その完全8度という音程故、一つ一つの踏み替えではほんの僅かの濁りも許されません。しかし、その厳格な踏み替えによって、このオクターヴを心から美しいと感じることが出来るのです。

Y.L先生が「オクターヴを弾く時はいつも2声・デュエットだと思って」と仰っていたことが思い出されました。「このオクターヴは幸福に満ち、喜びと共にあるのです」とも仰っていました。それ以来、幸福の音色を探し求めていた私は、N.S先生にオクターヴの響きをペダルで感じることを教えて頂き、心からオクターヴを美しいと感じ、その響きを愛することが、L先生の仰る幸福と喜びに続く道なのではないかと思うようになりました。

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ペダルの融合(1)~2009.2.14の記事~

当時、旧ソ連からイギリスに亡命されたN.S先生が来日され、私もレッスンして頂けることになりました。N.S先生にレッスンして頂いたのは、その時一回限りで、その後も御逢いする機会もありませんが、今までにないようなレッスンをして頂き、私の、ピアノに対してのまだ未開拓の部分を、明確に示して頂きました。

シューマンのアベッグ変奏曲を通して弾いた後、まずN.S先生に言われたことは、ペダリングについてでした。もちろん私自身、濁らないように細やかにペダルを踏み替えていたつもりだったのですが、私にとってのペダルとは、その程度の認識しかなかったのです。

一時間半のレッスンの中で・・・ですから、細々と教えて頂くと、やはりほんの一部分しか出来ません。しかし、それを曲全体に応用することは出来ます。

まず最初は片手ずつのペダリングです。アベッグ変奏曲のテーマは、全て右手のオクターヴです。その一音毎にペダルを踏み替えるのです。厳格に、ほんの僅かの余韻も混ざらないように・・・ここでのペダルは、一音ずつが色づき、香り立つようなイメージです。

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2013年4月11日 (木)

焼き立ての香り~2009.2.7の記事~

ドライフルーツを何種類か刻んでブランデーやラム酒に漬け込んだものを、バター生地にタップリと入れて焼くと、贅沢なフルーツケーキになります。彩りにドレンチェリーやクリスタルアンゼリカも入れると、色鮮やかな宝石箱のように切り口が美しくなります。

クグロフ型にマーブル状の生地を入れ、焼きあがったところにブランデーを振りかけると、香ばしい素晴らしい香りが立ち上ります。シュガーパウダーでシンプルに飾り、生クリームを添え、珈琲と共に戴くのは至福のひと時です。

パイ生地を敷き詰めたタルト型に、アーモンドプードルをふんだんに使った生地を流し込み、薄くスライスした洋梨を放射状に美しく並べます。焼き上がる頃には洋梨が生地に程良く馴染み、しっとりとした風合いになります。小さめに切り分け、濃厚な味わいを一口ずつ丁寧に戴きます。

フィナンシェはいつもマドレーヌの型で焼いていました。シェル型のほうが可愛らしくて素敵だと思う、私の好みです。焼き上がるとそれは色濃いマドレーヌのように見えます。アーモンドと焦がしバターの香りが甘く鼻先をくすぐります。

小さい子供が二人いる今、このようなお菓子は全く作らなくなりました。その代わり、市販のミックス粉を使って、子供達と一緒に気軽にお菓子作りをするようになりました。粉類を量る手間もなく、卵と牛乳とバターがあれば、だいたいのものは作れます。

最初に我が家でブームだったのはパンミックス粉でした。プレーンの他、ソーセージやチーズ、さつま芋、チョコチップ等を入れて焼き、昼食におやつにと大活躍しています。

長女のお友達が遊びに来た時は、度々一緒にクッキーを作りました。それぞれが好きに成型し、焼き立てをおやつに戴きます。いろいろな形があるのも、また楽しいものです。

先日は、ミックス粉に豆乳と卵を混ぜてクレープを焼きました。スライスした苺と練乳をのせてクルクルと巻いただけだったのですが、子供達には「お店のみたい!」と好評でした。

子供達と一緒に作るお菓子には、濃厚な味わいも洋酒の風味もありませんが、素朴で暖かい香ばしさがあります。まだ当分の間は、シンプルなお菓子作りが続きそうです。

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「夜のガスパール」より”スカルボ”

~アロイジウス・ベルトランによる3つの詩~

3.SCARBO スカルボ

おお!

幾たび私は聞き、そして見たことだろう

スカルボを

月が真夜中の空に

金の蜜蜂を散りばめた紺碧の旗の上の

銀の楯のように光るその時に

幾たび私は聞いただろう

私の寝台のある隅の暗がりの中で騒々しく笑うのを

そして私の寝床のとばりの絹の上でその爪をきしませるのを

幾たび私は見ただろう

天井から飛び降りて

魔女の紡錘竿から転がり落ちた紡錘のように

部屋中を爪先立ってくるくる回り、転げ回るのを!

あれ、消えた?と思ったら

小鬼は、月と私の間で大きくなりだした

ゴディックの大寺院の鐘楼みたいに!

とんがり帽子には金の鈴が揺れて

でもすぐに彼の身体は蒼ざめ

蝋燭の蝋のように透き通った

彼の顔は燃え残りの蝋燭のように暗くなった

ーーーそして突然、彼は消えた

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「夜のガスパール」より”絞首台”

~アロイジウス・ベルトランによる3つの詩~

2.LE GIBET 絞首台

ああ!私に聞こえるもの

あれはひゅうひゅう鳴る夜の北風か

それとも絞首台の枝木の上で吐息をもらす死人か

あれは、森が憐れんで足元に養っている苔と

実らぬ蔦の中に、うずくまって歌うこおろぎか

獲物をあさる蠅が

もう聞こえぬその耳の周りで

合図のファンファーレの角笛を吹いているのか

不規則に飛び回って

彼の禿げた頭蓋骨から

血のしたたる髪の毛をむしっているこがね虫か

それとも、絞められたその首にネクタイをしようと

半端のモスリンに刺繍をしている蜘蛛か

あれは、地平線の陰の町の城壁で鳴る鐘の音

そして、沈む夕日が真っ赤に染める絞首刑囚のむくろ

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「夜のガスパール」より”水の精”

~アロイジウス・ベルトランによるピアノの為の3つの詩~

1.ONDINE 水の精

「ねぇ!聞いて!私よ、オンディーヌよ。陰鬱な月の光に照らされた貴方の菱形の窓を、水の雫でそっと触って鳴らしているのは。

そうして今、お城の奥方は、波模様の衣装を纏い、露台に出て、星を散りばめた美しい夜と、静かに眠る湖をじっと見つめていらっしゃる。

波の一つ一つが、流れの中を泳ぐオンディーヌなの。流の一つ一つが、私のお城へとうねってゆく小径なの。そうして私のお城は水で出来ている。湖の底に、火と土と空気の三角の中に。

ねぇ、聞いて!私のお父様は、緑のはんの木の枝でじゃぶじゃぶと水を叩くの。姉様達は水の腕(かいな)で、瑞々しい牧草や、睡蓮や、あやめの茂る島々を愛撫したり、ひげを垂らして魚釣りをしているしおれた柳をからかったりするわ」

つぶやくような彼女の歌は、私にねだった。オンディーヌの夫となる為にその指輪を私の指に受けよと。そして、彼女と共にその城に来て、湖の王となるようにと。

そして私が人間の女を愛していると答えたら、彼女は拗ね、悔しがり、しばらく泣いてから、ふと笑い声を立て、にわか雨となって、私の青い窓ガラスをつたって白く流れて消えてしまった。

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水の精~2009.1.30の記事~

この世のものとは思えない、妖しい美しさに満ちた不思議なこの曲を初めて聴いたのは、まだ子供の頃でした。それ以来、もう何十年もこの曲に憧れ続け、いつか全身全霊を傾けて弾き込みたいと思いながら今に至ります。

曲の隅々まで、一音一音の余韻まで逃さず、全てをベルトランの詩のイメージのまま表現したいと夢見ています。最初の一和音から、立ち上るような神秘の響きで、夜の湖の美しい水の城が浮かび上がるような音が求められると思うのです。夜の闇の中、水の揺らめきと輝きは、どれ程の妖しさをもって私達を魅了することでしょう。現実とは思えないような美しさに満ちたその光景は、想像しただけで、私を神秘の世界へと誘ってくれます。

私の命が尽きる前にたった一度でいい、全ての音を神秘で溢れさせ、そのイメージ通りに弾きたい・・・或る程度綺麗に弾くことは出来ても、一音一音に全てを込めるような思いを大切にしながらでは、一生かかっても叶わないことかもしれません。それでも私はずっと”水の精”の存在を追い求め、一音一音を積み上げていくことを続けていきたいと思います。

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その店限定の常識(2)~2009.1.15の記事~

振り返って見ると、お店の、私達のテーブル担当の人が、少し離れた空いているテーブルに両手をついて、屈んでいました。目線をテーブル表面に合わせてしばらく見ていたかと思うと「プフーッ、プフーッ」と少し前に耳にしたのと同じ音をさせて、何とテーブルの上に息を吹きかけ始めました。彼が吹く度に、パン屑が飛んでいるのが見えました。どうやらパン屑を掃除しているらしい・・・ということがわかりました。

何故そんなやり方を?!と見ていて気がついたのは、お店の人誰一人として、そのことを気にも留めていないということでした。彼はいつもそうやって、担当のテーブルを片付けていて、それが注意したり止めさせたりする行為とはみなされていないということなのでしょう。目を逸らすことが出来ずにずっと見ていると、彼は最後の仕上げとでもいうようにテーブルの上を掌でサッと一払いし、フォークやナイフ、ナプキンをセットし始めました。ということは・・・私達のテーブルも同じように片付けられていたということになります。もう行くことはないと思いますが、ナポリの絶景より、ポンペイの遺跡より、強烈な印象として残ってしまっている思い出です。

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2013年4月10日 (水)

その店限定の常識(1)~2009.1.14の記事~

3度目のイタリア旅行で、初めてのポンペイの遺跡を訪れました。個人で行くよりは・・・と思い、ナポリとポンペイを丸一日かけて観光する、昼食付きのオプショナルツアーを申し込みました。

「ナポリを見てから死ね」とまで言われる景色は確かに美しかったですが、それよりも、街全体にやや荒んだ雰囲気が漂っているのが気になりました。美しい部分とそうでない部分の差が激しかったのも、印象に残っています。

ポンペイの遺跡は、ガイド付きでなかなか楽しめました。その後、昼食としてはかなり遅い時間に、ツアーに組み込まれているレストランへ案内されました。お店の外観からは「これは期待出来ないな」と思いましたが、中に入るとそこはレストランというより、寂れた食堂のようでした。それでもポンペイ帰りの観光客で店内はいっぱいでしたし、私も友人もお腹がペコペコでしたので、感傷的な気分に浸ることなく席に座り、お料理が運ばれてくるのを待っていた時、後ろで「プフーッ、プフーッ」という、聞き慣れない音が聞こえてきました。

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感覚を奏する(6)~アルメニアの夜~

長女のアルメニアのイメージは夜の情景だけに留まらず、人々の普段の食事や衣服、家具にまで広がっていきました。同じ民族の衣装と音楽は常に密接な関係にありますので、ネットでアルメニアの民族衣装を探し、それを身につけて生活している様子を一緒に想像しました。同じ民族衣装であっても、普段の服と礼服とではまた違います。様々な衣装の写真を眺めながら想像を膨らませるのは、とても楽しいひと時でした。

湖の奥に修道院を見渡せる、緑豊かな風景画を見つけました。きっとこの辺りは今でも、夜は真の闇となるのでしょう。もしここにグランドピアノを置くことが出来、風景に溶け込むように奏することが出来たら、どんなに素晴らしいでしょう。

悩む長女にそのように話し、目をつぶってそのイメージのまま、最初の音を弾くよう促しました。情景のイメージの中に入り込み、大切に、そして深く長女が響かせた音は、それまでとは全く違うものとなりました。

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