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2013年6月

2013年6月19日 (水)

音楽の背景に(2)

内容が専門的過ぎただろうか・・・と心配になった私にその方は「その歌詞や場面を意識して弾いた時と、意識しないで弾いた時と、どのくらいの違いがあるのか聴き比べてみたいのですが・・・先生、失礼なお願いかもしれませんが、両方弾いて頂けないでしょうか」と言われました。

その時、私が例としてお話ししていたのは、講座の膨大な内容から二つ、一つは以前「痛みの音」という記事で書かせて頂いた、バッハの平均律のテーマが、ヘンデルやモーツァルトによって転用され、そのテーマ最後の減7度音程の部分に「傷」「鞭打ち」という歌詞がついている為、その響きをイエスの受難の痛みとして意識することによって、フレーズの表情となるということ、もう一つは、ベートーヴェンのソナタOp.110の3楽章の中の、受難曲のアリアのようなフレーズ、J.D先生が「エリ、エリ、レマサバクタニ」(我が神よ、何故私をお見捨てになったのですか)という歌詞がふさわしいと仰り、十字架上のイエスの最後の言葉のように意識することによって、その前後のイメージも膨らみ、受難の一場面のように感じられるというものでした。

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音楽の背景に(1)

以前「二度目の味わい」という記事でも書かせて頂いた、とても熱心な大人の生徒さんのレッスンの時には、考えさせられることが多々ありました。今でも忘れることの出来ない或るレッスンについて、また書かせて頂きたいと思います。

その時私は、J,D先生の公開講座を受講したばかりでしたので、その素晴らしい内容をその方にもお伝えしたく、レッスン後にお話ししていました。バッハの時代は、他の作曲家のフレーズを自分の曲の中に調を変えたりアレンジしたりして転用することが普通に行われ、宗教的な歌詞がつけられることもありました。また歌詞はついていない場合でも、作曲者が宗教的な或る一場面をそのまま切り取って音楽にしたとしか思えないようなところもあり、解釈の一つ、イメージの一つとして、その歌詞の内容や宗教的場面を意識することで、そのフレーズの表情となり、演奏がより深まるとJ,D先生が仰っていたとお伝えした時です。その生徒さんはメモを取りながら、私の話しを熱心に聞いて下さっていたのですが、ふとその手を止めて首を傾げ、納得出来ないといった様子で考え込んでいます。

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