私の考え

2015年10月 9日 (金)

やるせない思い

先日、友人から巨峰とマスカットを頂きました。私も子供達も巨峰とマスカットが大好きで、この時期は度々購入しているのですが、戴いたそれは、艶やかで甘く瑞々しく、今まで味わったことのないような感動的な美味しさでした。

「あんなに美味しい巨峰とマスカット、初めて食べた」と伝えると、とても喜んでくれました。その友人の親友が、福島の果樹園から毎年送ってくれるのだそうで、我が家もそのお裾分けに預かったのですが「喜んで食べてくれる人ばかりではない」という話も聞きました。

「福島産」というだけで、捨てていく人がいるのだそうです。厳しい放射性物質検査をパスしたものしか市場には出ていないのに…せめて、私達にわからないように処分して欲しい…と言っていると聞き、胸が痛くなりました。

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2013年4月24日 (水)

仕事としての演奏(5)~2009.3.20の記事~

音高音大と、クラシック音楽の中で過ごしているうちに、いつの間にか、クラシック音楽至上主義のようになっていたのだと思います。自分でも無意識のうちに「クラシック音楽が一番素晴らしい」と思い、自惚れていたことを、この経験が自覚させてくれました。様々なジャンルの中の一つとしての音楽、その中で更に枝分かれした一つのクラシックを、普通の人より余分に勉強しただけなのです。そのことに気づかせてくれたこと、即興やアレンジ(編曲)の奥深さや面白さを知ることが出来たこと・・・現役の音大生の時に気づかせてもらえたことは、私にとって何よりの収穫でした。

ピアノ講師となってからも、また別の生演奏の仕事をしていました。そのことについては、また改めて書かせて頂きたいと思います。

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仕事としての演奏(4)~2009.3.20の記事~

どちらのバイトも私にとって、とても貴重な経験となりました。コード演奏やアレンジの勉強になったのは勿論ですが、それ以上に、世間の人達に”音大生”というものがどのように見られているかということを知ることが出来たのが大きかったと思います。

クラシックの有名な曲ばかりいくつも頭出し出来る、ドラマやCM等の曲を聴いてすぐ適度なアレンジで弾くことが出来る、楽譜さえあれば何でも弾くことが出来る・・・世間の人達からはそのように見られているのだということを、強く感じました。私一人と接しただけで、その方々が「音大生といってもたいしたことないなぁ」等と思ってしまったら大変です。そのイメージを壊さないように、必死に頑張ったところもありました。

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仕事としての演奏(3)~2009.3.16の記事~

生徒さん達にとっては、カラオケのような移調奏は出来て当たり前で、私にとっては大変なことだということや、或る程度練習してきていることも、全く御存知ないのです。カラオケ機材と同じ扱い、同じ存在感でした。レッスン時、何でもないかのように生徒さんに合わせて伴奏をしていましたが、内心は冷や汗をかいている時も多々ありました。

もう一つのバイトの予備校は、普段は事務をしており、一般教養として必要な時に演奏をしていました。例えば、アトランタの知識の一部として、映画音楽「風と共に去りぬ」を演奏します。生徒さん達にとって、必要な膨大な知識の中のほんの一部として、音楽がありました。

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仕事としての演奏(2)~2009.3.14の記事~

自分なりにアレンジした伴奏でレッスンに臨むのですが、まだいくつもの難関が待っています。

レッスンでは最初はカラオケは使わず、ピアノだけで生徒さんが歌います。先生が気になるところを注意されたり、部分練習等で何度も同じところを繰り返したりするのに生伴奏はとても向いていて、生徒さん達に好評でした。ピアノの伴奏の時は、生徒さん達は本当に伸び伸びと、自由奔放に歌われます。カラオケの生伴奏者という立場上、100%生徒さんに合わせなくてはなりません。ジャンルこそ違うものの、自分を殺して相手に合わせるということを、本当の意味でこの時学んだような気がします。

もう一つ大変だったのは、キーが合わない場合です。カラオケでしたら、+-ボタンを押すだけで簡単にキーを合わせることが出来ますが、鍵盤ではそうはいきませんので、レッスンまでに、元のキーの他、上下に短2度、長2度、短3度、長3度程度はザッと弾けるよう、移調奏の練習もしておきます。メロディーとコードだけを見ながらの移調奏が、慣れるまで本当に難しく、このバイトで一番苦労したところでした。

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仕事としての演奏(1)~2009.3.14~

音大生の頃、2つの音楽関係のバイトをしていました。一つはカラオケ教室のピアノ生伴奏。もう一つは或る専門予備校での、一般常識(音楽)のクラスのピアノ演奏です。

カラオケ教室は、始めた頃は本当に大変でした。それまでの私は、クラシック以外の音楽では、遊びでジャズや映画音楽を弾く程度でした。ところがカラオケ教室となると、生徒さんの大半が50~60代のおじさまおばさま方で、歌いたいと希望される曲も演歌が9割以上を占めているのです。週一回30分のマンツーマンレッスンで、平均3~4週かけて、じっくりと一曲を歌い込みます。生徒さん御一人御一人は月に一曲ですが、週に何人も伴奏を担当していると、演歌ばかり何曲も練習しなくてはなりません。用意された楽譜はメロディーと歌詞、コードネームが書かれただけのもの。メロディーを弾いてコードを押さえただけでは雰囲気が出ないので、カラオケを聴いては、それらしいアレンジを考えていました。生ピアノで演歌の雰囲気を出すのは、とても難しかったです・・・

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2012年9月20日 (木)

新しい朝~2009.1.3の記事~

毎年大晦日から元旦にかけて、主人の実家で過ごすのが恒例となっています。元旦の朝、静けさで誰よりも早く目が覚めました。往来を通る車も全くなく、前日に降った雪が朝日で輝きながら溶かされていく音が聞こえるかのようでした。

とても静かな朝でした。素晴らしい朝でした。今年初めての朝の空気、朝日の輝きを味わいながら、私はこの静けさの中に響くピアノの音を聴いていました。実現することはないと思いながらも、いつも、自然の中でピアノを弾くことを夢見ているのです。

小高い丘の上、満月に照らされたグランドピアノでドビュッシーの「月の光」を弾くことが出来たら、どんなに素晴らしいでしょうか。森の奥深く、精霊が棲まうかのような神秘の湖に、ラヴェルの「水の精」が響く・・・ピアノの音の響きが波動となって水面を揺らす・・・どんなに美しく、霊的でしょうか。

新年の朝「ペールギュント」の”朝”が私の中で響いていました。オーケストラ版はもちろんのこと、ピアノ用に編曲されたものもとても美しく、朝の清々しさに心が洗われるような心地が致します。この輝きの中で”朝”を弾くことが出来たら、体の隅々まで清々しい気で満たされるのではないか・・・そんなことを思った新年の朝でした。

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2011年12月31日 (土)

変わらぬ光

今年もあと僅かとなりました。来年もどうぞよろしくお願い致します。


変わらぬ光

変わらぬ光

変わらぬ光

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2011年9月 1日 (木)

贅沢な音

自身でピアノの調律をすることが出来たら…と、思うことがあります。気になる音程をその都度こまめに調律することが出来たら、どんなに良いだろう…と。

お箏とお三味線のお稽古に通うようになってからは、その思いが一層強くなりました。どちらの楽器もお稽古前にまず調弦し、お稽古の最中はもちろん演奏の合間にもこまめに調弦しながら、常に音程を整えるからです。ピアノと違い、弦があまりにも不安定で、絶えず調弦をする必要があるからですが、完全音程を整えると響きが澄み渡り、清々しい気持ちになります。ピアノを弾いていると、調律出来ないということをつい忘れてしまいます。微かに狂った音程部分を、心の中で切り捨てるようにするのは、あまり気分の良いものではありません。

こまめに調律をお願いするのも難しいので、年に1~2度調律して頂いた後にピアノを弾くのが本当に楽しみです。1時間半以上、時には2時間かけて丁寧に調律されたオクターヴの美しさ、最高音まで調えられたピアノで最初に弾きたくなるのはいつも平均律です。私のささやかな贅沢の一つです。

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2011年8月16日 (火)

オーラに包まれて(3)~2008.12.6の記事~

演奏中のA.S先生のオーラがあまりにも強烈でしたので、私は譜めくりをする度に、そこに割って入るようで、申し訳ない気持ちになりました。少しの邪魔にもならないように、自分を消し、全身全霊で先生の演奏と呼吸を感じ、溶け込みながら譜をめくるよう心がけました。全てのプログラムが終わった時には、私は気力を使い果たしてヘトヘトでした。

間近で凄まじいオーラを感じたことは、その前にもありました。V.G先生にレッスンして頂いた時です。先生が入っていらしただけで、20畳程もある部屋の空気が一変し、そこに存在するもの全て(人も物も)が先生そのもののようになりました。その時は先生が恐ろしくさえ感じました。

V.G先生もA.S先生も、普段のお姿はとても暖かく柔らかい雰囲気でいらっしゃるのです。それがひとたび演奏となると、神秘のヴェールに纏われたようなオーラを発されるのです。あのオーラを感じ、同じ輝きの中に身を置くことが出来ただけで、私はとても幸せでした。

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