詩、言葉

2013年4月24日 (水)

幼い日

「幼い日」H・ヘッセ


おまえは私の遥かな谷間
魔法にかけられて沈んでしまった谷間
幾度となくおまえは
私が苦しみ悩んでいる時
おまえの影の国から私に呼びかけてくれ
おまえのおとぎ話の目を開いた
すると、私はしばし幻想にうっとりとして
おまえのもとに戻って
すっかり我を忘れるのだった

おお、暗い門よ
おお、暗い死の時よ
私の側に来るがよい
私が蘇って
この生の空虚の中から
私の夢の懐に帰るように

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2013年4月11日 (木)

「夜のガスパール」より”スカルボ”

~アロイジウス・ベルトランによる3つの詩~

3.SCARBO スカルボ

おお!

幾たび私は聞き、そして見たことだろう

スカルボを

月が真夜中の空に

金の蜜蜂を散りばめた紺碧の旗の上の

銀の楯のように光るその時に

幾たび私は聞いただろう

私の寝台のある隅の暗がりの中で騒々しく笑うのを

そして私の寝床のとばりの絹の上でその爪をきしませるのを

幾たび私は見ただろう

天井から飛び降りて

魔女の紡錘竿から転がり落ちた紡錘のように

部屋中を爪先立ってくるくる回り、転げ回るのを!

あれ、消えた?と思ったら

小鬼は、月と私の間で大きくなりだした

ゴディックの大寺院の鐘楼みたいに!

とんがり帽子には金の鈴が揺れて

でもすぐに彼の身体は蒼ざめ

蝋燭の蝋のように透き通った

彼の顔は燃え残りの蝋燭のように暗くなった

ーーーそして突然、彼は消えた

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「夜のガスパール」より”絞首台”

~アロイジウス・ベルトランによる3つの詩~

2.LE GIBET 絞首台

ああ!私に聞こえるもの

あれはひゅうひゅう鳴る夜の北風か

それとも絞首台の枝木の上で吐息をもらす死人か

あれは、森が憐れんで足元に養っている苔と

実らぬ蔦の中に、うずくまって歌うこおろぎか

獲物をあさる蠅が

もう聞こえぬその耳の周りで

合図のファンファーレの角笛を吹いているのか

不規則に飛び回って

彼の禿げた頭蓋骨から

血のしたたる髪の毛をむしっているこがね虫か

それとも、絞められたその首にネクタイをしようと

半端のモスリンに刺繍をしている蜘蛛か

あれは、地平線の陰の町の城壁で鳴る鐘の音

そして、沈む夕日が真っ赤に染める絞首刑囚のむくろ

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「夜のガスパール」より”水の精”

~アロイジウス・ベルトランによるピアノの為の3つの詩~

1.ONDINE 水の精

「ねぇ!聞いて!私よ、オンディーヌよ。陰鬱な月の光に照らされた貴方の菱形の窓を、水の雫でそっと触って鳴らしているのは。

そうして今、お城の奥方は、波模様の衣装を纏い、露台に出て、星を散りばめた美しい夜と、静かに眠る湖をじっと見つめていらっしゃる。

波の一つ一つが、流れの中を泳ぐオンディーヌなの。流の一つ一つが、私のお城へとうねってゆく小径なの。そうして私のお城は水で出来ている。湖の底に、火と土と空気の三角の中に。

ねぇ、聞いて!私のお父様は、緑のはんの木の枝でじゃぶじゃぶと水を叩くの。姉様達は水の腕(かいな)で、瑞々しい牧草や、睡蓮や、あやめの茂る島々を愛撫したり、ひげを垂らして魚釣りをしているしおれた柳をからかったりするわ」

つぶやくような彼女の歌は、私にねだった。オンディーヌの夫となる為にその指輪を私の指に受けよと。そして、彼女と共にその城に来て、湖の王となるようにと。

そして私が人間の女を愛していると答えたら、彼女は拗ね、悔しがり、しばらく泣いてから、ふと笑い声を立て、にわか雨となって、私の青い窓ガラスをつたって白く流れて消えてしまった。

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2012年9月20日 (木)

音楽と精神

***フリードリヒ・ニーチェ***

音楽が精神を解放したことに

思考に翼を与えたことに

そして、音楽家であればあるほど、人はますます哲学者になるということに

果たして気づいた者がいるのだろうか

***ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン***

音楽は、不思議な力に満ちた大地だ

人間の精神は

そこに生き

そこで思考し

そして創造する

***ハインリヒ・ハイネ***

音楽というのは、不思議なものだ

それはほとんど、奇跡と言ってもいいだろう

何故なら音楽は、思考と現象のあいだ、そして精神と事物のあいだにあって

双方を漠然と仲介する存在だからだ・・・

音楽とは何なのか

結局私達にはわからないのだ

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2011年9月20日 (火)

日々の祈り

おおらかな心が欲しいのです
どこまでも広がっている大空のような心が

人の自分中心な振る舞いを目にしても、心の波を騒がせることなく、冷静に受け止めることの出来る心が

誰の協力も得られず、自分一人で仕事をすることに疲れを覚えることがあっても、周りの人を非難したり、悪く思ったりすることのない心が

けれども神様
いつもおおらかでありたいと願いながら、小さなことにこだわり
優しくありたいのに、人を傷つけてしまい
賢くありたいと思いながら、愚かなことを繰り返してしまう私です

おおらかな心
それはイエス様の御心
十字架の愛なのですね

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2011年8月16日 (火)

愛と音楽~2008.11.30の記事~

「愛と音楽」
エクトール・ベルリオーズ


愛と音楽
この二つの力のうち
どちらが人を最も崇高な高みに上げることが出来るだろう?
それはとても難しい問題だが、私が思うに、答えはこうだ。

「愛は音楽についての知識を与えてくれないが、音楽からは愛についてのアイデアを与えることが出来る」

愛と音楽を何故切り離すのだ?
それらは、魂が持つ二枚の翼なのだ

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2011年8月 6日 (土)

永遠のソナタ~2008.11.22の記事~

「無題」
オシップ・マンデリシュターム


昔、アレクサンドル・ゲルツォーヴィチというユダヤ人の音楽家がいて
シューベルトを弾いていた
澄んだダイヤを愛でるように
思う存分、朝から晩まで
擦り切れてしまいそうなほど
一曲の永遠のソナタを
譜面もなしに弾き続けた…

おい、アレクサンドル・ゲルツォーヴィチよ
通りは暗いだろう?
諦めなさい、心優しいアレクサンドルよ
何をやっても無駄なのだから

あのイタリア人の女の子を
雪のザクザクしているうちに
そりに乗せて飛ばしておやり
シューベルトの飛びゆく彼方に

いとしい音楽のある限り
我らは死など怖くない
向こうには、からすのような外套が
フックにかかっているけれど…

アレクサンドル・ゲルツォーヴィチよ
前から決まっているのだから
おやめなさい、スケルツォを弾くアレクサンドルよ
何をやっても無駄なのだから

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歌の力~2008.11.16の記事~

「歌の力」
サルマン・ラシュディ


歌の力というのは、いったいどこにあるのだろう?多分それは、この世に歌う行為が存在するという、まったくもって奇妙なことに由来している…

人間は指の届く範囲で、音と音の間隔を魔法のように組み合わせ、数少ない音からなる群れを見つけてきたのであり、そこから、音の大聖堂を造り出すことが出来たのだ
それは、数字やワインや愛と同じくらい不思議な錬金術である…

歌は、我々の憧れにふさわしい世界を描き出し、我々自身が願う姿を示してくれる
あたかも我々がその世界を生きるに値するかのように

五つの神秘が、目の見えないものに対する鍵を握っている
つまり、愛するという行為、赤ん坊の誕生、偉大な芸術をめぐる黙想、死や災難との直面、そして人間の歌声を聴くことという神秘だ

これらは世界にかけられた錠がぱっと開くきっかけとなり、その時我々は隠されていたものを垣間見る…

地震の持つ驚くべき暗黒の力
新しい生活の不思議な危うさ
歌うことの輝き…を感じ取った時、大いなる栄光が、突如我々にもたらされるのだ

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2011年7月19日 (火)

「音楽と調和」~2008.11.7の記事~

「音楽と調和」
アンリ=フレデリック・アミエル

ああ、ピタゴラスよ
音楽が我々をこうして天空へと運んでくれるのは
音楽が調和であり
調和が完全であり
完全が我々の夢であり
我々の夢が天空にあるからだ…

宇宙の秩序との調和が取れてさえいれば
我々は偉大である必要などないのだ

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