家族

2015年9月 5日 (土)

美しい人

美しい人
いつも花と人に囲まれていた、素敵な方の笑顔が思い出となって一年が経ちました。美しい花がお好きだったあの方は、今もきっと花を愛でていらっしゃることでしょう。

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2011年10月16日 (日)

耳に残る悲鳴(2)~2008.12.18の記事~

私は一瞬、自分に何が起こったかわかりませんでした。頭の後ろを押さえられ、言われるがままにそろそろと立ち上がると、祖母と母が「何ともないの?!」と驚きを隠せない様子で聞きました。自分が今まで転んで手をついていたところを振り返ると、ガラス戸が割れて粉々になっていました。転んだ勢いでガラス戸に頭から突っ込んでしまっていたのです。祖母と母は、私が上半身をそっくりガラス戸に突っ込んでしまったのを見て、最悪のことを想像して悲鳴をあげてしまったのだそうです。普通に考えたらそうですが、不思議なことにかすり傷一つありませんでした。私に怪我のないことがわかると、母は物凄く私を叱りました。無理もないことです。すぐにガラス屋さんに来てもらったのですが、4枚あったガラスにはお揃いの模様が入っており、同じものがないということで、私が割ってしまったところだけ、違う柄のガラスが入ることになりました。その後来客のある度に、祖母と母にガラスの模様が一枚だけ違う理由を説明され、居心地の悪い思いをしました。

普段は穏やかで、声を荒げたことなどない母ですが、あの時の悲鳴だけは凄まじく、今でも耳に残っています。

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耳に残る悲鳴(1)~2008.12.17の記事~

小学校時代、二度の転校を経験したせいか、その前の記憶があまりありません。そんな私でも、ハッキリと覚えている出来事があります。確かまだ、小学校に入る前の冬でした。

いつものように、居間で2歳年下の妹と遊んでいた時のことです。テーブルの周りを走っていただけだったのが、いつの間にか追いかけっこになっていました。お互いに段々本気になり、凄い勢いで走っている様子を見て危ないと思ったのでしょう。祖母と母に「転ぶから止めなさい」と何度も言われました。それでも止めずに走っていた私は、テーブルの角に足を引っ掛け、見事に転んでしまいました。ガシャ~ン!という聞き慣れない音と、祖母と母の「ヒィィィィ!」「キャァァァァ!」という悲鳴に驚き、起き上がろうとした私は「動いちゃダメ!」と止められました。

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2011年8月16日 (火)

見守る…(2)~2008.11.30 長女5歳、次女2歳の時の記事~

その長女は今、卵を割るのと溶くのとにハマっています。朝忙しい時など、つい忘れてコンッ!と割ってしまうと、その音を聞きつけて「〇〇がやるっ!」と飛んできます。初めの頃は見ていられませんでしたが、最近はだいぶ上手になり、卵とボールを手渡して「お願いね」と任せられるようになりました。卵を割る時の長女は真剣な表情ながらも、それはそれは楽しそうで、私は自分が小さい頃、やはり卵を割るのが楽しみだったことを思い出しました。

年末になると、祖母と母が作っていたおせち…幼い頃の私の役目は、栗きんとん用に茹でたサツマイモの裏ごしをすることでした。その頃実家は7人家族。来客も多く、栗きんとんも鍋いっぱい作っていました。サツマイモの裏ごしも大量にこなさなくてはならなかったのですが、まだ小さくて力もなく、急ぐという感覚もなかった私は、お喋りをしたりテレビを見たりしながら、のんびりと手を動かしていました。祖母も母もさぞじれったかっただろうと思うのですが、不思議と一度も「早く!」とか「急いで!」とか言われた記憶がないのです。幼い頃の私も、見守られてきたのだなぁ…と懐かしく思い出しました。

サツマイモの裏ごしの役目は結婚する前の年まで続いていました。早いもので、明日から12月…もうすぐまたあの季節が来るのですね。

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見守る…(1)~2008.11.29 長女5歳、次女2歳の時の記事~

何でも一人でやりたがる時期真っ只中の次女は、いつの間にか一人でボタンが留められるようになっていました。パジャマのボタンは柔らかくて留めやすいようで、お風呂上がりに何度も留めたり外したりして遊んでいます。幼児用のパジャマには、寝相が悪くてもお腹が出ないように、脇腹のところに上下を留めるボタンのついているものがありますね。その脇のボタンを自分で留めようとすると、体をひねらなくてはならないので、難しくてなかなか留められず、悔しがって泣き出す次女を慰めることも度々でした。

先日、お風呂上がりにそれぞれ体を拭いたり、パジャマを着たりしていた時、次女はいつものように体をひねって何度もボタンを留めようと頑張っていました。手を出したくなるのをグッと堪えて見守っていると、とうとう留めることが出来ました。ふと見ると次女の顔は喜びに輝き、私と目が合うと「で・き・た~」と言って、私に誇らしげに脇腹のボタンを見せました。初めて一人で留めることが出来た達成感を噛み締めているようでした。文字通り、次女の瞳はキラキラと輝いていました。

私は声をかけたり手を出したりしないで良かったと、心から思いました。あの瞳の輝き・喜び・達成感の全てを、次女から奪ってしまうところだったからです。それと同時に、長女の時はどうだっただろうかと振り返り、ついつい先回りして手伝ってしまっていたことを思い出し、深く反省しました。

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2011年8月15日 (月)

祖父の背中~2008.11.24~25の記事~

私がまだ小さい頃、夕食を知らせに行くと、いつも机に向かって勉強している祖父の背中がありました。詩吟を教えていた祖父は、詩吟の言葉一つ一つ・歴史・背景等をいつも勉強しており、お稽古の時にお弟子さん達に伝えているようでした。祖父は先生という立場でなかったとしても、きっと変わらず勉強を続けていたと思います。そんな祖父を見て育った私は、学びには生涯終わりはないということを、子供の頃から本能的に感じていました。私も祖父のように、生涯音楽を友とし、学びそのものを喜びとしたいと常々思っておりました。祖父の学びの姿勢は、いつも私の理想であり、目標であったのです。

祖父は体の具合が悪くなっても、詩吟のお稽古はもちろん、公民館長と、選挙管理委員会の仕事も続けていました。選挙が終わり、仕事が一段落して病院にかかった時は、癌が進行し、もう手遅れの状態でした。

入院して数日後、私は祖父の足のむくみが、ひどくなっていることに気づきました。話すこともままならず、辛そうな様子に思わず「おじいちゃん、大丈夫?」と問いかけていました。祖父が何か言おうとしていたので、口元に耳を近づけると、祖父は苦しい息遣いの中「心頭滅却すれば、火もまた涼し…の精神だから、大丈夫だ」と気丈に答えました。

体は病に倒れても、祖父の精神までは蝕まれていなかったのです。私を心配させまいとの配慮からの言葉だったと思いますが、強い薬のせいで意識も朦朧としていたはずです。そういう時にこそ、その人の持つ本質・生き様のようなものが現れるのではないでしょうか。

祖父は辞世の句を残し、まもなく亡くなりました。

一年以上経った或る日、祖父のお弟子さんだった方が2人、ウチに来て下さいました。2人は仏壇の前で祖父に試験に合格したことを報告し「聴いて頂きたい」と、課題を吟じ始めました。私はその時知ったのです。祖父が私達家族だけでなく、お弟子さん達の心の中にも存在しているということを…亡き祖父に捧げられた詩吟はとても神聖で、その場の気が凛と澄み渡りました。

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2011年4月19日 (火)

解答例

今月から2年生となった長女が、家庭学習ドリルを始めてもう一年が過ぎました。小学校入学を機に公文や学研に通い出すお友達のお話しを耳にすることが多くなり、毎日数分でも机に向かう習慣だけは、今のうちからつけたほうが良いかもしれない…という思いから、通塾ではなく、時間のある時に家で出来るドリルを選択しました。進研ゼミ程ポピュラーなものではありませんが、今の長女に程良い進み具合で、息抜きのページも面白く、そして小学校で使用している教科書に沿わないという方針が却って気に入り、親子で楽しく続けています。

長女を学校へ、次女を幼稚園へと送り出した或る朝、前日に長女が独り言を言いながら取り組んでいたドリルのページの丸つけをしていました。絵に合うように□の中に自由に言葉を入れるというもので、模範解答に加えて「絵の内容に沿っていればOK」とも書いてあったので、悩んだ末に私は丸をつけてしまいました。なかなか面白い解答だと思って…親バカかもしれませんが…

解答例

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2011年4月 9日 (土)

空の絵の具~2008.9.21の記事~

~これは、長女がまだ5歳の時の記事です~


一昨日の夕方、そろそろお風呂にしようと支度していた時、長女が「ママ~お空が綺麗だよ」と呼びにきました。太陽が完全に沈んでしまう前のほんの一時、オーロラのように空が色鮮やかに染まる瞬間でした。

3人でしばらく空を眺めていた時、長女が「神様も絵の具遊びしたのかな」と言いました。前日に派手に絵の具遊びをしたばかりだったので、神様もお空で同じように絵の具で遊んだものと思ったようです。忙しい夕刻、思いがけないプレゼントのような、美しい空でした。神様のなさることは本当に美しいですね。

空の絵の具~2008.9.21の記事~
空の絵の具~2008.9.21の記事~

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2010年12月19日 (日)

月の満ち欠け~2008.8.12の記事~

~これは「胎児の記憶」の続きです~

出産と月の満ち欠けには法則性があると聞いたことがあります。長女を出産した日がまさにその日だったそうで、後で看護婦さんから「ラッシュになりそうだから気合い入れましょう!と皆で話していたら、本当にそうなった」と言われました。
長女は月の影響を受けたのでしょうか。予定日よりもかなり早く生まれてきてくれました。少しだけ宇宙との繋がりを感じた一時でした。

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胎児の記憶~2008.8.11の記事~

長女がまだ3歳になる前に、お腹の中にいた時のことを覚えているか聞いたことがあります。
彼女は迷いなく「覚えてる!」と答えました。
お腹の中は「暗かった」
「あったかかった」そうです。
じゃあ、出てきた時は?と聞くと「まだまだって言われた」との答えでした。

この日、私の通っていた産婦人科は出産ラッシュで、1分違いの出産を含め、8人の新生児が誕生しました。破水はしたものの、陣痛はまだ来ていなかった私は、分娩台近くのベッドで待機状態でした。時々思い出したように様子を見に来て下さる看護婦さんに「まだでしょうか」と聞く度「まだまだ」と言われていました。陣痛が来て分娩台に移されてからも「まだ力んじゃダメよ」「まだまだ」と言われ続けていたのです。

それはただの偶然かもしれません。でももし偶然ではなく、この子があの時の声を聞いて覚えていたのだとしたら…何だかとても不思議な気持ちになりました。

長女が4歳を過ぎた頃、もう一度同じ質問をしてみましたが、もう何も覚えてはいませんでした。いずれ次女にも同じ質問をしてみようと思っています。どんなお話しをしてくれるでしょうか。とても楽しみです。

次女は今、お話ししたいことがあっても、まだ上手く伝えられなくて癇癪を起こしたりする時期です。私も何を言っているのかわからなくて困っている時、長女が通訳をしてくれます。良くわかるね~と、私が感心していると「だって〇〇、この前まで赤ちゃんだったから」との答え。思わず笑ってしまいました。彼女の中に、まだちゃんと赤ちゃんの頃の記憶は残っているのですね。

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