2013年4月13日 (土)

彼女の空腹を満たすもの~2009.2.28の記事~

T.カポーティー「ティファニーで朝食を」

”旅行中”と記された名刺を持ち、荷物はスーツケースと、開かれていないいくつかの梱包箱だけ。霞のように可憐で天真爛漫で、生活というものを感じさせない人・・・初めて原作を読んだ時、きっと私も「僕」だったなら、気まぐれなシャム猫のような彼女に魅了され、彼女と逢えなくなっても、心の中にいつまでもその存在を留めているだろうと感じました。

初めて原作を読んだのは10代の頃でしたが、そのイメージを何年も抱いていた為でしょうか。初めて映画で、オードリー・ヘップバーン演じるホリーを見た時は、原作のイメージと少し違うような気がしました。

いつ何処へ行ってしまうかわからない・・・いつ目の前から消えてしまうかわからない・・・そんな危うい存在感がホリーの魅力の一つではないかと思われるのですが、原作と違うラストといい、その危うさ脆さがあまり感じられませんでした。あくまでも私個人の感想ですが・・・

「僕」の部屋を初めてホリーが訪れ、お腹が空いたと言うシーンがあります。その彼女に対し「僕」が勧めたのは、林檎を盛った鉢だったのですが、初めて読んだ時、10代で食べ盛りだった私は「有り得ない」と思ってしまいました。お腹が空いている時は、炭水化物系が食べたくなるものではないでしょうか。空腹時に林檎・・・今考えても有り得ません。でも、それがまたホリーらしく、似合っているのかもしれません。

最近久し振りにこの本を読み返しましたが、食べ盛りの頃のようにこのシーンに惑わされることなく、物語の魅力を堪能出来ました。同じ本であっても、10代20代30代では感じる部分もかなり違うのでしょう。それにしても、初めて読んだ時に一番印象に残ったのが林檎のシーンというのも、いかにも食いしん坊といった感じで恥ずかしいものです。

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2011年10月16日 (日)

宝物(2)~2008.12.19の記事~

それに対してママはにっこり笑い、バニーを優しく抱っこしながら「バニーはバニーらしくしていてくれるのが一番よ。だっておかあさんは今のバニーが大好きなんですもの」と答えるのです。

子供にとって、ありのままの自分を受け入れてくれ、そのままの貴方が好きと言ってくれる存在が、いかに大切なものなのかが伝わってきます。繰り返しこの本ばかり「読んで」と言う長女もそれを欲しているに違いありません。ありのままを受け入れる…頭ではわかっていても、とても難しいことです。つい「ああしなさい」「こうしなさい」と口を出し、こういう子になって欲しいという欲も出てしまいます。バニーのママのように、欠点も含め、そのままの貴方が一番好きだと、心から言うことが出来たら、きっと子供達にも伝わることでしょう。寝顔を眺めている時だけでなく、普段も心からそう思い「貴方はママの宝物」なのだと言葉にして伝えることが大切なのだと思います。わかってはいても、つい忘れてしまいがちなこの気持ちを、行動がなかなか伴わないながらも、心の中に留めておく為に、今夜も私はこの本を読んだのでした。

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宝物(1)~2008.12.19の記事~

「いいこってどんなこ?」
作:ジーン・モデシット
絵:ロビン・スポワート
訳:もき かずこ

子供達が寝る前に、絵本を3冊読み聞かせるのが習慣となっています。長女と次女がそれぞれ1冊ずつ好きな本を選び、それだと同じ本ばかり続くことがあって偏ってしまうので、最後の1冊は私が選んでいます。

一時期、長女はこの「いいこってどんなこ?」ばかり選んでいました。子ウサギのバニーがママに、タイトル通りどんな子が良い子なのかと質問をするのです。何度も質問を繰り返すうちに、バニーは自分がどんなにおバカさんだとしても、プンプン怒ってばかりいたとしても、いつも変わることなくママに愛され、自分の存在がママにとっては宝物なのだということを知ります。小さいバニーの最後の質問は「僕がどんな子だったら一番嬉しい?」でした。

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2011年9月10日 (土)

広がる世界(2)

結婚当初、我が家にあったコーヒー挽きは壊れてしまい、次女は実物に触れたことがありませんでしたので、本のイメージそのままに、コーヒー挽きを回すと音楽が鳴るものと思い込んでいたのです。妖精アマリリスの魔法によって、おばあさんの手元に戻ってきたコーヒー挽きは二重奏になっていて、それがまた素敵だと、次女も思っていたようでした。最近目にすることの多い、絵本に出てくるお料理やお菓子を忠実に再現したレシピのように、音楽を奏でるコーヒー挽きも是非作って頂きたいものです。

今は、やはり私が昔大好きだった本「シャーロットのおくりもの」を毎晩読み聞かせているせいか、蜘蛛の巣を見かけると次女は「シャーロット」と呼びかけています。子供用に易しく直されたものではなく、そのままを読んで欲しいと思っておりますので、長女達が、名作と呼ばれる美しい様々な物語を読むのは、まだ少し先のこととなりそうですが、これからあの素晴らしい本の世界を体験することが出来るのだと思うと本当に羨ましいです。長女達の心の糧となる、その時々にふさわしい本をこれからも用意していきたいと思っています。

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2011年9月 9日 (金)

広がる世界(1)

先日、お友達の御宅にお茶に招いて頂いた時、テーブルの上に置いてあったコーヒー挽きを見て、次女が「やってみたい」と言い出しました。おウチの方が「やってくれるの?助かるわ~」とコーヒー豆を入れて下さり、次女は嬉々として挽き始めたのですが、しばらくして「あれ?音がしないよ」と言います。次女の疑問にハタと気づいた私は「これは、カスパールのおばあさんのコーヒー挽きじゃないのよ」と、答えました。

夏休み前に、本屋さんで懐かしい本を見つけました。私が今の長女と同じくらいの歳の頃に繰り返し読んでいた「大どろぼうホッツェンプロッツ」シリーズです。3冊揃って置いてあり、懐かしさと、再び読み返したい気持ちとで、3冊共購入しました。夏休み中は、長女と次女と3人で毎晩少しずつ読んでいました。夏休みが終わる頃には3冊共読み終え、長女は読書感想文の課題に、ホッツェンプロッツを選んでいました。「大どろぼうホッツェンプロッツ」の最初の事件で、おばあさんのコーヒー挽きが盗まれます。ハンドルを回すとおばあさんの大好きな曲が流れる素敵なコーヒー挽きなので、ホッツェンプロッツも欲しくなってしまったのでしょう。

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クリスマス・キャロル(2)~2008.12.11の記事~

スクルージの迎えたクリスマスの朝程美しく、素晴らしいものはないでしょう。読み終えると私はいつも思うのです。3人の幽霊は、誰の心の中にも存在する…と。私の中にもいるはずなのです。過去の自分を振り返り、現在を見つめ、未来の自分を予測する存在が…自分の中に、今どれだけ恵まれていて幸せなのか、いかにそれを当たり前のように見過ごしているか、今自分は何を為すべきなのか…感じているものがあるはずなのです。

毎年「クリスマス・キャロル」を読み返す度に、その思いが蘇ります。私にとって大切な一冊です。

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クリスマス・キャロル(1)~2008.12.8の記事~

街がイルミネーションで彩られ、賑やかにクリスマスソングが流れるこの時期になると、ディケンズの「クリスマス・キャロル」を読みたくなります。クリスマスまでの間、何度となく手に取り、つい最後まで読んでしまうのですが、その都度スクルージの心の変化のプロセスを共に辿り、最後にはスクルージと同じように、心を入れ替えてクリスマスの朝を迎えたような気持ちになります。朝の光は素晴らしく明るく、空気は清らかな冷たさで澄み渡り、見るもの全てが輝き、生きている喜びを全身で肌で感じる…スクルージの迎えた朝の美しさを思い、私もそのような朝を迎えることが出来たら…といつも願うのです。

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2011年8月 2日 (火)

予告済みの衝撃

もう数年前のことになると思いますが、或るブログで紹介されていた本がどうしても読みたくなり、本屋さんへと急ぎました。店員さんのPOPがつけられて平積みになっていたそれはすぐに見つかり、私は自分のものとなった本のページを繰りながら、或る誘惑と必死に戦っていました。

ブログの記事にもPOPにも、そして本の裏表紙にも「絶対に先に“最後から2行目”は読まないで!」と書いてあったからです。最後から2行目で、あなたは必ず衝撃を受ける!もう一度最初から読みたくなる!とも書いてありました。

読むなと言われると、どうしても読みたくなってしまうものです。途中何度も、ラスト2行を先に読んでしまいたいという誘惑にかられ、内容に集中するのに本当に苦労しました。ラストに近づくにつれ違和感を覚え、そしていよいよ最後から2行目を読んだ時、違和感の理由がわかって思わず「え~っ!」と叫んでいました。あれ程予告されていたにもかかわらず、本当に驚き、そして予告通り最初から読み返してしまいました。

乾くるみ著「イマジネーション・ラブ」…御存知の方も多いと思います。私にとってはアトラクションのような読書タイムでした。

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2011年5月21日 (土)

高瀬舟(2)~2008.10.20の記事~

私はビックリして、何も言うことが出来ませんでした。しばらくして落ち着いた祖母は「何て良い話なんだろう。心が洗われたよ」と言いました。昔も読んだことはあったが、こんな風に心に染み入るように感じたのは初めてだと…実は私もそうでした。何十回となく読んでいる筈なのに、この時程この短編に心打たれたことはなかったのです。きっと声に出して読んだせいなのでしょう。そして、聞いてくれている人がいた為に、行間を感じ、セリフの息遣いも意識し、一人で黙読している時よりも感覚をフル回転させて読んでいたのだと思います。高瀬舟の上で交わされる静かな核心的な言葉、互いを思い合う兄弟、そして「“足る”ことを知る」ということ…全てが、あまりにも私の感覚から遠く、潔い美しさでした。家族の為に自ら死を選ぶことが出来るでしょうか。今持っているもので満足し、何も望まずに幸せを感じることなど出来るでしょうか。そのような「悟りの境地」とでも言うべき清らかさを、目の前で自然体で見せてくれている喜助の存在を、私もその場で、奇跡を見るような思いで共に体感したのでした。

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高瀬舟(1)~2008.10.18の記事~

祖母がまだ生きていた頃、夜中に祖母の部屋のベッド脇に座って過ごすことがありました。日中寝過ぎてしまい、眠れなくなった祖母と、超のつく程の夜更かしだった私…祖母の部屋の前を通る時、たいてい声がかかります。ベッド脇に椅子を運んで腰掛け、たわいもない話をしながら、お互いに自然な眠りが訪れるのを待つのが常でした。

或る時、祖母が珍しく「何か本を読んで欲しい」と言いました。その時ふと思いついたのは森鴎外の「高瀬舟」でした。誰かの為に朗読するということに少し緊張しながらも、丁寧に心を込めて読みました。最後の一文を読み終えても祖母は何も言わず、目を閉じています。眠ってしまったのかと覗き込むと、何と祖母は泣いていました。

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