レッスン

2013年4月10日 (水)

感覚を奏する(6)~アルメニアの夜~

長女のアルメニアのイメージは夜の情景だけに留まらず、人々の普段の食事や衣服、家具にまで広がっていきました。同じ民族の衣装と音楽は常に密接な関係にありますので、ネットでアルメニアの民族衣装を探し、それを身につけて生活している様子を一緒に想像しました。同じ民族衣装であっても、普段の服と礼服とではまた違います。様々な衣装の写真を眺めながら想像を膨らませるのは、とても楽しいひと時でした。

湖の奥に修道院を見渡せる、緑豊かな風景画を見つけました。きっとこの辺りは今でも、夜は真の闇となるのでしょう。もしここにグランドピアノを置くことが出来、風景に溶け込むように奏することが出来たら、どんなに素晴らしいでしょう。

悩む長女にそのように話し、目をつぶってそのイメージのまま、最初の音を弾くよう促しました。情景のイメージの中に入り込み、大切に、そして深く長女が響かせた音は、それまでとは全く違うものとなりました。

|

2013年3月 3日 (日)

感覚を奏する(5)~アルメニアの夜~

4小節目の8分音符はテヌートで、やはり弦のように、一音一音途切れることのないように歌います。そして5~8小節目の左手の進行は、夜の色が刻々と変化していく様子を表現しています。4回繰り返される右手のメロディーによって、夜は明けてゆくのか、更けてゆくのか・・・それは弾き手のイメージに委ねられています。

このように隅々まで意識して練習した上で、これらのことを全て手の内におさめ、余分なものを削ぎ落とした研ぎ澄まされた音楽として奏します。

長女がこの曲を練習していた時、第一音目から全く進まなくなってしまったことがありました。右手のFと左手のDの響きを聴いては「違う」「違う」と何度も弾き直し、どうしても出来ないと悩んでいました。譜読み前からたっぷりと膨らませていたイメージ通りの響きを出すことが、なかなか出来なかったのです。永遠に朝のこない、架空の国の夜の闇のような音・・・聴く人に、そして自分自身に、そう感じられる圧倒的な説得力のようなものが、確かにその響きにはありませんでした。僅か8小節の最小限の音数で作られた小曲が、とてつもない難曲となって長女の前に立ちはだかっていました。

|

感覚を奏する(4)~アルメニアの夜~

1小節目で一番響かせる音は、一般的には最初のFですが、この場合、続く8分音符のDをFの中に隠し過ぎず、弦のような感覚で音量を保って弾くことによって、闇の深みを表現することが出来るのではないかと思います。3、4拍目のDも同様に・・・一音一音が、次の音に向かって膨らんでいくようなイメージでしょうか。音的にクレッシェンドするのではなく、内面のエネルギーが保たれ膨らみながら次の音へと誘うように。

2小節目は回転の中で、表の音と裏の音を感じながら奏します。1拍目のFは表の音、2拍目と4拍目のDは裏の音、3拍目のCisは表の音ですが、Fよりは控え目な響きとなります。1拍目のFの響きを軸として、同じ動きの中で2拍目のDを弾きます。3拍目のCisは音の方向性を変えた回転となり、4拍目のDはまたCisの動きの中で裏の音として奏します。

3小節目では、E~D~CisからBへ行く時、増音程を意識することにより、自然に変化を欲します。より深い闇のような、または闇の均衡が僅かに狂ったような、ハッとする響きがふさわしいのです。

|

2013年1月18日 (金)

感覚を奏する(3)〜アルメニアの夜〜

感覚を奏する(3)〜アルメニアの夜〜


「夜」アルメニアの歌

アルメニアの荒涼とした風景、漆黒の闇のような夜を思わせる曲です。

今でも市街地を少し離れると、セピア色の大地が広がり、灯りもまばらになるというアルメニア…この曲が作られた当時は、どれ程の深い闇であったのか…レッスンの中で想像を膨らませていきます。

長女の想像の中での「アルメニア」は朝と昼のない、夕方と夜だけの国で、夜が明けても夕方の明るさにしかならないそうです。同じ音型を繰り返す毎にどんどん暗くなり、遠くでカラスの鳴き声が聞こえることがあっても姿がまるで見えない程の暗闇となります。

|

2013年1月16日 (水)

感覚を奏する(2)

私がまだ音大生の頃から数年に渡り、A.M先生に薦めて頂いて、ロシアの(当時はソビエトの)ピアノ奏法を、或る先生に手取り足取り教えて頂いていたことがありました。先生の御宅で私は、今は廃版となってしまったその教則本と出逢ったのです。載っていた曲は小さな子供の為の易しい譜のものが多かったのですが、どれもが豊かな音楽性に溢れており、最小限とも言える僅かな音の中に、底が窺えない程の芸術の奥深さを思わせる曲もありました。一音の響きに求められている表現の多様性、また、音と音との間に流れる喩えようのない豊かさ、スラーの様々な意味等・・・沢山のことを学ばせて頂きました。一音の中に、一和音一フレーズの中に、これ程の違う音色と意味が隠されているのかと、レッスンに伺う度に驚きの連続でした。

譜読みは易しくても、音楽性においては大人でも難しいと思われるものも多々ありました。カンツォーネもその一曲です。当時の記憶とメモを頼りに、長女と共に学んだこと、またA.M先生にレッスンして頂いたことを、ここに書き記したいと思います。

|

2013年1月 5日 (土)

感覚を奏する(1)

長女は今、フレスコバルディの「カンツォーネ」を練習しています。まだ難し過ぎるとA.M先生には言われたのですが、長女に合うのではないかと思い、今のレベルよりも背伸びしてのレッスンをして頂くこととなりました(先生、御迷惑をおかけして申し訳ありません)仙台での普段のレッスンでは、フレスコバルディの肖像画や、その時代の美しい楽器の写真を眺め、当時はどのような生活をしていたのか一緒に想像することから始めました。長女なりにこの曲に対するイメージを膨らませてから、音質と音型を深め、心に染み入るまでのゆっくりの練習を繰り返していました。

どう表現したら良いのかなぁ…と長女は悩んでいます。ポリフォニー部分の難しさ、メロディーと伴奏とのバランス、音型ごとの奏法や強弱等を踏まえた上での、その時代の空気感、雰囲気としか言いようのない感覚について、私もどう伝えたら良いものか悩んでしまいました。それは意図的に表現するものではなく、忠実に奏することによって、曲全体を通して滲み出てくるものだと思うからです。
(感覚を奏する2に続きます)

遅くなりましたが、皆様、明けましておめでとうございます。実生活が忙しく、なかなか更新出来ずにおりますが、今年もどうぞよろしくお願い致します。

|

2011年7月15日 (金)

“或る記録”のその後

以前、auブログで書かせて頂いておりました長女のピアノのレッスンの様子は、メモを辿りながら一年以上前の状態を記録として綴っていたものですが、こちらに移ってからまた滞ってしまい、気づけば一年半分も遅れていました。

2010年1月からの長女の、私にしか判読出来ないレッスンメモが手元に大量に残っている状態に加え、幼稚園に入園した次女のレッスンもメモを取りながら進めており、教材や練習内容等重複している部分も多い為、ますますワケがわからなくなってきてしまいました。

このままでは、溜まるばかりでますます収拾がつかなくなってしまいますので、夏休みを機に思い切って整理してまとめ、こちらに一気に載せようと考えています。前ブログでは38回まで連載しておりましたので、新しい記事を投稿する前に、こちらも全部一気に移したいと思います。

あまりにもメモが溜まってしまった為、その分は省略し、進行中の記録のみ載せようと考えておりましたが、意外にも長女のレッスン記録を楽しみにしていて下さる方が多く、経過を読みたいという声を戴きました。いつもお読み頂き、ありがとうございます。もうしばらくお待ち下さい。

|

2011年5月 9日 (月)

初めての舞台(6)

どのようなピアノかわからないまま会場に赴き、リハーサルの間に出来るだけその状態を把握して臨むしかないのですが、長女はマイペースですので「弾きにくい」と言いながらも、完全に自分の世界の中で、3畳のアビテックスの中にいるように弾いていました。3曲目の自分で作った曲の時だけ、その殻が破られ、会場の隅々まで音楽が行き渡ったような気がします。予定では春休み中に仙台と東京でグランドピアノをレンタルし、違う場所、違うピアノを体験させるつもりでした。私も本番前に、違った環境で長女の音の響きを聴きたいと思っていたのですが、震災後はそれどころではなくなってしまい、10日以上もピアノに触れることなく過ごしてしまいました。その時のことを思えば、今回は出演出来ただけでも良かったのです。次回はそのようなことも頭の片隅に置けるように、準備を進めていくつもりです。

余談ですが、自分の出番を終え、客席で他の生徒さん達の演奏を聴いていた長女が「ショパンって良い曲作るんだね」とヒソヒソ声で言うので吹き出してしまいました。確かに…本当にその通りですが…こんな長女にも、いつかショパンを弾く日が来るのでしょうか。

|

2011年5月 8日 (日)

初めての舞台(5)

A.M先生とS先生に勧めて頂き、司会の方にマイクを代わって頂いて、長女の演奏前に、仙台から来たことと、3曲目についての解説を、1分半程お話しさせて頂きました。肝心の演奏ですが…リハーサルで緊張しておいたのが良かったのでしょうか?本番では長女は全くアガらずに弾くことが出来たそうです。

そして、客観的に聴いた私の感想ですが、ホールの大きさにやや適応出来ていなかったように感じました。普段長女は、3畳のアビテックス内で、C1という小さいグランドピアノで練習しています。そこでちょうど良い感覚のまま、数百人単位のホールで演奏した為、小さくまとまり過ぎていたように思います。ピアノの大きさもC7ぐらいだったのではないでしょうか。ピアノという楽器は他の楽器のように、自分が普段から使い慣れたものを持ち歩くということが出来ません。

|

2011年5月 2日 (月)

初めての舞台(4)

(3)その光から、雨のように雫がキラキラと落ちてきます。それはただの水ではありません。神様がくださった特別な水だったのです。
最高音のHとCをトリルでキラキラと、輝く雫のように響かせます。そして(1)から踏み続けていたペダルを、ゆっくりと消えていく音に添うように上げていきます。

(4)口元に落ちてきたその雫を飲み、男の子は生き返るような気持ちになります。やがて眠くなり、男の子の魂は飛んでいきます。
再びペダルを踏み、2点ECDEDCをゆっくり弾き、男の子が生き返っていく様子を表します。ペダルをフワリと離し、魂が飛んでいく様子を表します。

(5)男の子の肉体に魂が重なり、目が覚めると自分の家にいました。神様が助けてくれたのか、それとも全てが夢だったのか…わからないままです。でも男の子の唇には神様の雫の感触が残っていました。
ノーペダルで、一音ずつ噛み締めるように1点EDCHAと弾きます。それまで求められていた神秘的な雰囲気ではなく、現実的な響きで終わります。

|

より以前の記事一覧